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2009年5月

保育とは子どもに良質な記憶を創ってあげること

 これは首都大学東京の浜谷直人先生の2004年の著書「困難を抱えた子どもを育てる」新読書社の序に丁寧に記していらっしゃる一節です。

名文であると思います。

我々の支援には限界があります。

そしてもし、十分な支援を我々がそばに居る間にできても、次のステップでうまく支援されないことはままあります。

まだまだ啓蒙期の現在、本当によくあることです。

移行していったこどもたちが苦労していると聞くと胸がつまります。

一体、我々が支援した数年間は何だったのか?と思うこともあります。

けれども、浜谷先生は語っています。

「楽しい記憶があれば悲しくなる余地がない」と。

この言葉は救いになります。

やったほうがいいこととできることは違います。

けれども、その中からできることを見つけて、人生の数年間だけかもしれないけど

楽しい記憶をこどもたちにプレゼントするように努力する。

私は先週叔母を亡くしました。大好きな叔母でした。

でも、うれしい記憶ばかりで感謝こそあれ、悲しみはそんなに多くありません。

さて、明日から月曜日。

こどもたちによい記憶をプレゼントするためにがんばりましょう!

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身を捨てる

 助産師さんのテレビを見ました。

老先生が若い生徒たちに自分を犠牲にしてやっていく仕事なのだよと講義していました。

賛成です。

今時はやらないかもしれないけれども対人分野は支援とか利他がなければなりたたない。

「豊かな個性」とか「個人の選択」が子育て現場の支援のありようにも影を投げかけています。やってもやらなくてもいいこと、教えても教えなくてもどっちもいいこと、支援してもしなくてもいいなんて状況なんかこどもの前にはないし、個人の好みで変な価値やふるまいを教えていいわけはない。ちょっと自分の状況に即していうと聞いても聞かなくてもいいコンサルテーションなんて実はないはず。(極端な提案はしていない以上は…)

ぐっと踏ん張って対象に没頭する。他者の事を思い没頭する。

「山川の瀬々に流るる栃殻も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ。」

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気になる子、発達障害児への保育は障害児保育か?

 最近、「障害児保育」という響きに違和感を感じるようになりました。

ある町の保健師さんが「ここは障害児保育、統合保育の伝統があるから…」と言った時…

ある園の園内研修が障害児保育研修だった時…

なんともいえない違和感があったのです。なぜだろうと考えたのですが…

①抽出、個別支援、加配をつけなければならないの雰囲気

②障害児には障害児の支援があるのでは?という雰囲気

なのではないかと思うのです。

発達は定型、非定型を問わず通底しているもの。「気になる子たちにとって有効な支援はみんなにとってもよい」という支援のユニバーサルデザインということを思った時にこうした雰囲気は違和感として感じ取られているのかなと思います。

短期療法(問題解決思考の記事をみてください)にリフレームという言葉があります。考え方を変えると言うこと=私はカメラのファインダーの向きをかえたり、ズームインとズームアウトをするようなイメージをしています。

そう簡単に個別支援はできない現実状況を思った時にこどものとらえをリフレームさせていきたいと感じます。

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運動が手がかり!

 発達障害のこどもたちには運動に困難を抱えている場合が少なくありません。

発達性協調運動障害などと直接的に不器用さが障害とされる場合もあります。手の運動(微細運動)、粗大運動どちらも困難なことがあります。

運動の難しさ、できる、できないは自覚されやすいものです。こどもたちは自信をなくしてしまうことが多いようです。「がんばりたいけどがんばれない…」

けれども、経験的に思うのです。そんな子ほど運動で自信をつけてあげると変わっていく。手を添えて、手足の動かし方を示して、道具や表示の工夫でできる装置をつくり、できたことを喜び…そうやって自分の体と対話し丁寧な助走や練習を積み重ねればできていく自分を知ること。

できないことにさえヒントはあります。

そして、この運動というアプローチの根底にも信頼できる大人が寄り添うことことばかけや身体的補助だけでなく、視覚的支援や道具の工夫など彼らができる、わかる装置のこしらえをするという基本原理があります。

運動会の竹馬のりにむけて今から丁寧な練習や足場づくりをしているおこさんと御家族がいます。

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地域研究会・地域学会をつくりたい。

 私の仕事のひとつに地域に研修会を提供することがあります。

そろそろ5年目になりますが、企画運営にだいぶ慣れてきて地域からも期待感を持って参加してくれるようになってきました。

支援者を支援することで地域全体の高まりをという趣旨です。

提供される内容はいろいろですが、基本的にはあくまで支援技術の提供です。

利他的な仕事であっても自分に興味や動機がないと続かないものなので、企画の趣旨は自分が知りたいことを研修で掘り下げる、自分のネットワーク作り、情報収集という側面も強いのかも知れません。

5年もたったんだから…と思うこともあります。もっと能動的な学びを…参加者の積極的な反応を等と。けれどもやはりまだまだ啓発型の提供型の研修メインなんだろうなと感じています。

 一方で、深まる場の欲しさもあります。まだまだ啓蒙期だからこそ熱意を持っている専門家がつながる場所が必要です。苦しい時期に支え合う機会。前の記事にある学齢期の研修会はそんな方向性を帯びてきました。

そろそろ自分が事務局として企画提供する場だけでなく、世話人が集まってきて試行錯誤する場を持ちたいなあと思いはじめてきました。本年度はちょっとよそで熱心な学びを提供している研修会の講師もします。そういう機会を利用して地域で自主学習会を開こうという提案をしていこうかなと思っています。

研修会事業の行く先、自主学習会の行く先は地域研究会・地域学会であったらうれしいなあと思っています。

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「どこまでわかっているかわからない。」

 昨日のある市主催のケース会議でのこと。

「こどもがどこまでわかっていて、どこまでわかっていないかがわからない。」ということが2つのケースであがりました。

発達障害の特性のひとつである、認知にアンバランスがあるということの保育現場的な表現であり、発見であるのだなと思いました。

そこで通常はアセスメントをしっかりとか、行動分析をしましょうとか、それが発達障害の特性ですよ。というのでしょうが…昨日はパッと

「わかっているかわかっていないかわからない時は、わからないと思って支援して!」という言い回しでコメントしました。

とにかく支援を!と思ったのです。大人の腑に落ちてから支援開始ということが多いのですが、それではこどもが置いてけぼりを食ってしまう。大人が困惑しているということはその間はがこどもが放っておかれることになると思うのです。

昨日は午前の巡回、午後のこのケース会議とジリジリしていました。今日は少しだけ怒りが解けてきてまだまだ啓蒙期ということと、現場の言葉使いをとらえてコンサルテーションしていくことが大事なのだろうなと思い至っています。

あきらめない、期待しない!

これは上司が昔からよくいう名言ですがやはりこれなのでしょう。発達障害児を理解し、その支援を広げるということは教育文化、保育文化との戦いみたいな所があります。敵は巨大で時々やっていられなくなる時もあります。

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コンサルテーションの難しさ(と言っていいのか…)

 今日も巡回のお話です。ある園訪問に行ってきました。大きな園です。結果的に気になる子は大勢います。研修会にもよく来ていいただいています。この春ちょっと気づかされたのですが、それと実際によき支援がなされているのは違うのではないかということを思ったのです。大人がいい話きいた気になるのと、本当にやってるのは違う。実際どうか不安でしたが、やはり視覚的支援をしている訳ではなく予告している訳でもないのです。おまけに今日はかなり困難を抱える子がリズム遊びの中でほったらかしでした。不安な表情で座り込んでいるのに…あとから聞くと管理職がありのままの姿をみてもらうために介入するなという指示を出したのだそうです。それをきいてまた腹がたち…すいません。文句ばかりですね。午後の支援のためにちょっと吐き出させてください。

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保育指針改定の影響?!

 園訪問の相談票にあった記述です。

ある年長さんのケースのひとこま

「今年度どのような視点で記録(支援も)していけばいいでしょうか?」

勝手な想像かもしれませんが、これは要録を意識した質問なのかもしれないなと感じました。

いろいろ議論はあるかもしれませんが、それで意図的な支援ができればよいのだろうと思います。

こどもの文脈で、意図的に、最近接領域をうかがう支援をしていく。

あたりまえのことが一番難しいです。

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こどもの成長にとらわれすぎない。

 園訪問でなんとなく違和感を感じたことです。

この4月に入園した発達障害サスペクト児のケースです。

記録や聴取ではかなり特徴的な様子がうかがえるのです。

担任の先生はそのこどもの変容を強調します。

入園当初よりも劇的に変わっていると。

まわりのこどもよりもまだまだ似たような育ちなのでともおっしゃいます。

なんだか話していてかみ合っていかないのです。

 なぜだろうなと考えながら帰ってきました。

私は成長しつつあるこども自身のあらわれは予測了解しながらも、その子の育ちの質について話していたつもりでした。

担任の先生はそうではなくて、入園当初よりも刻一刻と変わってきたこどもの姿や入園前の情報やイメージよりも豊かに変容しているこどもの姿を語っていたのでした。

なんだかとっても不安だったのは…肯定的なこどもの捉えが楽天的過ぎてそのこどもが発達的問題を抱えていることさえそのうち忘れてしまいそうな雰囲気だったのです。

それこどもだもの変わるはず。でもすべてが解消というのは楽天的すぎる。

そのことがとっても違和感でした。

巡回相談はおおよそ担任の先生に主観にもとづいてケースがあがります。

チェックリスト等を使うにしてもそれは確かなはず。

それでいいのだと思います。

でも、気をつけておかねばならないのは担任の主観は担任で完結していく可能性が少なからずあります。

くりかえし書いているかも知れませんが保育が回ることとこどもの育ちの質が変わることは別ということ少なくありません。

育ちの質を見る目を確かにと感じます。

園訪問の前に母子保健のお手伝いをしました。

健診チェックのケースと園訪問であがるケースが違いすぎることがあるという議論をしました。

保健師さんと保育士さんのみたての優劣などないと思いますが、困難や支援の必要性はみるひとによって違ってしまってはいけないのです。そんな相対的なものではないはず。

ちょっといろんな交通整理が必要かなと感じました。精密な議論と。

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こどもの様々な困難と発達障害

 私が勤務している施設現場は地域や世の中の状況の縮図です。

最近は「発達障害」を抱えて「不適切な養育」の影響を強く受けたこどもの入所が増えてきました。二次障害を呈しているこどもの姿は荒れています。

養育の問題の影響は複雑で、障害へのアプローチだけでは太刀打ちできなくなっています。

自己コントロールができたり、ヒトへの信頼感が回復するまでには数年から十年近くかかるのです。

発達障害のこどもは育てにくく、虐待につながりやすいといいます。

一方、こどもの側から考えると、「発達障害を持つこどもたちは傷つきやすい」ということを知っておかねばならないと思うのです。

そしてそれは家族にどう育てられたかだけでなく、子育て現場でどう育てられたかも同じです。残念ながら学校での対応や無理解が困難事例を作り出していることも少なくありません。

かなり厳しい表現ですが、「適切な支援を受けないということは虐待と同じ。」なのだと考えています。

我々はこのような不幸なこどもをなくすために地域に出ています。ちょっと必死です。

※このあたりはLD研究最新刊の巻頭言で梅永雄二先生が明確に語っていらっしゃるのが参考になります。

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引き受けて、現場でできる支援をしていく

病院へ受診してくれたら…

療育や通級につながってくれたら…

家でもう少し頑張ってくれたら…等と我々は思いがちなものです。

こどもへの思いが募るあまりに。

けれども、我々は自分がこどもを支援することがよって立つ基盤です。

自分のフィールドで答えを出し、自分の手で試行錯誤することがスペシャリティー。

自分の関わる現場でこどもが上手くないのは自分の問題なのだと思いたい。

やった方がいいこととできることが違うけれど、誰かのせいにすることよりはちょっとしたできることを模索することがこどもの変容に繋がるはずです。

思うのです。

引き受けていくことの大切さ。

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問題解決志向-心ひかれる考え方③-

 短期療法(ブリーフセラピー)、問題解決志向等というカウンセリング、心理療法の方

法論があります。ここで用いられている視点はとても有効だと思っています。

 

 我々は物事の原因や因果関係を探って問題の解決を図ろうとします。

けれども、そんな簡単に原因や因果関係はわからないもの。結果がさらに原因になって

というようなこともあります。

だから前後の関係の把握はそこそこにとにかく問題を解決しようという視点です。

そのために以下のようなことをします。

 ①例外状況の観察をする。

 ②今までやっていたことや考えていたことをやめる。

 ③できるだけいつも考えないような方法論やばかばかしい行為を取り入れてみる。

 

 気をつけないと、大人はこどもが発達障害であるかないかにとらわれがちです。

でも、そのことよりもとにかく支援をはじめることが大切なのです。

例外の状況の観察は行動分析をするということです。

例外状況 ひょっとしたら、それはこどもの最先端の力=発達の最近接領域なのかも

しれません。ABC分析的な視点で例外状況をみつめてもいいかもしれません。

それから今でやっていたことや考えていたことをやめること=リフレームといいます。

今までの教育、保育観を少し変えていくことが発達障害の理解と視点には必要です。

こどもの認知特性を知ってこどもも合わせてアプローチしていく作業は、子育て現場

にとっては新しい思考の構築等だと思います。(そこがまだまだ啓蒙が必要な処)

ばかばかしい方法の導入も同じで、かたくなった頭や自分の文脈でのみ支援を考え

がちな我々を変えてくれるヒントになります。

「四の五の言わずにこどもがどうにかなればいい。」

いいと思いませんか?

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幼児期の特別支援と保育の見直し

 夕方、本屋さんで保育向けの本を見てきました。

いくつか目についたのは新しい保育のありかたの本です。

昨年度、保育所保育指針と幼稚園教育要領が共に改訂され本年度から本格実施で

す。

我田引水かもしれませんが、これは気になる子、発達障害の問題への対処もしっか

り背景にある改訂だと感じています。

 昨年度までの2年間、文科省指定事業のお手伝いで幼児期の特別支援教育の研

究をある幼稚園と一緒にやりました。

学齢期の特別支援を鋳型にしながらツールつくりをしたり、視覚支援や構造化の方

法を幼稚園の中でどのようの導入していくかを検討しました。

園の先生方は特別支援の方法論をさっとものにして、次は全体の保育の見直しにた

どり着きました。

「発達障害のこどもたちにとってよき支援はみんなにとってもよき支援」という支援のユ

ニバーサルデザイン化を進める中で、「じゃあ定型発達とはなんだろう?」「課題や活

動の発達的意味とはなんだろう?」という方向に研究は展開し、指定事業が終了した

現在も研修は進んでいます。

 本屋さんでみたあたらしい保育の方向性はそんな幼稚園の実践にも似て

①発達的視点を明確に打ち出していて、②プランの作成などもしっかり要求、要録を

小学校に送るという個別の指導計画、支援計画の香りがするものだと感じました。

この大きな流れが何かを変えてくれますように。

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学びの場をつくり、維持していく難しさ②

 事例検討を実施しました。

インシデントプロセス法です。口答で事例のイメージを明らかにし、みんなで支援の方法

を明らかにしていく簡易法です。

すごく頭を使いますが、メリットが多いです。

 中学生の事例が出ました。

いい助言や提案がたくさん出ました。

ただ、ちょっと考えてしまったのは、様々の視点からの提案があったのはいいことなの

ですが、肝心の、当の、発達障害のこどものアセスメントや支援の方法論の視点が弱い

のです。

クラス作り、養育のありよう…こうした視点は欠かせないのですが、まずは個のみたて

とその支援からと思うのです。

長年続けてきて継続してきた事例研ですが、だからこそ視点が広がり過ぎるのかもし

れないと感じました。

そしてまだまだアセスメントや支援の視点は深まっていない。

発達障害の事例なのに発達的問題以外の視点にみたてがずれていってしまうのです。

「肛門期?」「家族が?」なんて発言がけっこう出てきて…

発達的問題は養育の問題よりも影響はまず大きい。

発達的問題への対応は心理的解釈よりも現実的なあらわれや行動を理解と支援の基準にして

このあたりぶれないように言語化して日々確認しなければならないのかもしれません。

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学びの場をつくり、維持していく難しさ①

 研修会のひとつとして特別支援教育の事例検討会を始めて5年目になりました。

今年から新しいしつらえです。

①外部講師をやめた。

②企画の挿入をやめた。

③新規の募集を制限

こうやってみるとすごく後ろ向きにみえるかもしれませんが、すごくうまくいきました。

①スーパーザイザーが複数居て方向性の舵取りが難しかったのが明確に。

②意見情報交換と事例検討に内容を集約することで、開催者の負担感が軽減

されたのと、参加者の到達レベルに左右されにくくなった。

③深まる学びを求める継続参加者と、「発達障害とは?」からはじめたいヒトのニーズ

を同時に満たすのは今までとても難しかったのです。啓発型の研修は別枠で設けました。

 現時点でまだまだ特別支援教育の視点や方法論の啓蒙はとても必要です。

もうひとつ思うのは、現場でがんばっている担当者を支える場の必要性なのです。

なかなか広まっていかない特別支援の状況に、疲弊している先生も少なくありません。

だから支え合う場が欲しいのです。

そして、専門家だからこそスーパービジョンが欲しいのです。

地域でちょっとした場が維持できれば…それでよいのだと思っています。

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発達の最近接領域-心ひかれる考え方②-

 ソビエトの心理学者ヴィゴツキーの考え方のひとつです。

発達の最近接領域とは、ちょっと支えていけば伸びていくこどもの最先端の力、領域

のこと。まさに発達しつつある水準を支えていくことに意味があるというのです。

そして、この発達の最近接領域を支えるための大人の支援=足場づくりが大切。

こどもの発達は模倣を基盤とし、協同学習が学びを支えていくというのです。

 この理論が考え方として有効だと思われるのは…前向きだからです。

今の発達、現在を捉えていくと、行動問題やできないことに光があたりがち。

そうでなくて、先を見通していくことに明るさがあります。

 そして、大人の支援や協同学習を学びの重要な要素と考えています。

困難を抱えたこどもであってもどうしても「ひとりで」「自立にむかって」という旗が振られ

がちです。

そんな中で、「いっしょに」が大事な要素である方向性は、今の支援参加という考え

方を支えてくれるものでもあります。

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変わってきた早期発見の状況

 10年近く早期発見の支援をしています。健診後のフォローアップの場である一次療育の場への参加を中心に。

発達障害の増加で最近はどのように療育システムを稼働させていくかが母子保健の現場の大きな課題です。

いろんな議論がありますが、今日はかわってきたチェックされるこどもの姿についてです。

 ひとことでいうとやはり軽症化しているということ。

2歳前後でチェックされることが多いですが、10年前はその時期チェックされ、支援を受けたこどもはその時点で知的障害、自閉症という姿が比較的はっきりしていました。

今は違います。「あれ?」と思うこどもの姿がちょっと違うのです。

発語ややりとりはなんとなくしている。ある時期すごく特徴的でも半年ぐらいでとてもフォローアップしてきたりするのです。ただ、そんな子はほんとうに増えてきた。

こうした場でみるのは、発語や歩行という端的な指標ばかりでなく、主には共感性です。1歳の力でかなりの共感性や大人への動機があります。だからヒト(大人)への動機をみていくことは重要。

ただ難しいのは、最近は共感性の有無でなくて、質を見なければならないのです。

同じ現場で2度続けて「うーん。」と考えるケースがふたり出てきました。

なんとなく遊びの場には参加している。興味はある。ちょっとした参加もしていなくはない。

けれどもそのあらわれは必ず大人からの働きかけを起点にしているのです。そのことがやはり心配な要素のひとつ。

そして見てみると、多動性やあそびのまとまりのなさ、表情の硬さなどがあり…

やはりここは発達障害サスペクト児という構えで支援をしていこうということになりました。

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エラーレス ラーニング-心ひかれる考え方①-

 今日から支援につかえる考え方をちょっとづつ紹介していこうと思います。

今日は「エラーレス ラーニング」です。学習についての考え方のひとつです。

文字通り、最初から補助を適切に加えて成功させて、強化し失敗経験なしで学びを積み上げていこうということです。

ひょっとしたら違和感を持つかもしれません。

学びは失敗を含めた試行錯誤でなりたっていくはずと考えるでしょう。

 けれども、障害のあるこどもたちはその困難ゆえに生活のありようそのままが困難や失敗に陥ってしまいがちです。

となると、そんな存在のこどもたちにとって学びの鍵はよき場面をつみあげていくことに他なりません。

注意叱責ではなく、ほめること。しっかりした足場作りをしてできる、わかるや認められる経験をつみあげること。

そのことによって基本的なヒトへの信頼感と自己肯定感が育ってきます。

そしてそのことは関わりへの強い動機やスキルへの希求につながっていきます。できる、わかるへのさらなるエネルギーになります。参加への意欲になっていきます。

よく考えたら当たり前の考え方ですよね。

怒ってもこどもは育たない。わかっていてもぶれていくのです、私たち。

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家での姿を思い浮かべながら昼間を支える-園で-

 今週きいた入園しはじめの発達障害児の2つのケースのことです。

①一次療育から診断などをへて、4月より幼稚園に入園している。

 やはり園に行くのはチャレンジらしく夜泣きがはじまり、行きたがらないことも増えてきた。担任の先生はベテラン。なんとかバスに乗せてくれれば受け止めるよと言ってくれる。そして、そんな風に行けばそれないり過ごして帰ってくる。でも、その行きたがらない状況、家で荒れる状況はひどく不安。家の状況、伝えているが、園ではまあ回っているのでその困り感に着目してもらえない。保健等から情報もいっているが先生は「いろいろきいているが、まあ私なりにいろいろやってみるね。」と言ってくれる。でも、家での状況に着目してくれないことで「私なりに」が不安になってきた…

②療育のよる入園準備をへて今年度から保育園に並行通園を開始したケース

 担任との密着関係もでき、聴覚過敏への対処のために音源を取り外す等よき支援がはじまった園でのこと。園ではおっかなびっくりだがみんなの中でなんとかなんとかやっているようです。母によるとどうもやはり昼間がんばっているようで家では思いが通らないとパニックになることが増えたり、不安や怖いことが増えたという。母はそのことはチャレンジのあかしとして受け止めているようだが、そのことをこちらが担任に話すとピンと来ない感じ…

 どうお感じになりますか?

覚えておきたいのは、①こどもたちはその生活の場所によって表情が異なり、ひとつひとつのあらわれに意味があるということ、②昼間のみんなの場では頑張っており、一方家庭では情緒を解放したりしているということなのだと思います。

「園では園の支援を」「園でよく過ごせることが大事」とは思います。気をつけないと「園でうまくいかないのは家庭の養育がうまくないからだ。」という論理展開がまだまだ起こりがちだからです。でも、一方で昼間の世界がまわることがすべてではないということも覚えておきたいものです。保育のまわることと、個の育ちとは必ずしもかみ合わないことが少なくありません。

思うのです。

誰かにどこかにしわ寄せが来たり、犠牲がいくような支援はよくない。家庭を荒れさせて、昼間の世界がまわっているのは支援者の独善ではないかと…ちょっときついでしょうか?

一時の混乱はある。その混乱を共有する姿勢は持ちたい。家庭でのよき時間のために、昼間の支援をゆるめることもしたい。

そんなこと大事にしたいなと思います。こどもとこどもの大事な場所としての家庭を支えるのが支援者。そして、できれば家庭とのつながりについては、昼間の薬が夜まで効くような深い支援をしたいものだと思います。

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目と手の協応にむかうプロセス

 昨日のAクンで思い出したことです。

 物をもてない、投げてしまうAクンにカードを両手で持って貼り付ける、入れる活動をしてもらっています。両手でカードを持たせるように補助をし、ホワイトボードに貼り付けていきます。

昨日、気づいたのは、手がホワイトボードに伸びていく過程でAクンの視線は手元に行き、貼り付けるとどうも達成感のような表情をすることです。これはポストのようにカードを落とす装置でも同様です。

「目と手の協応」の発達過程を思い出しました。「目と手の協応」はけっこう誤解されています。これは目と手が一緒に動くことではなくて、視覚がリードしてそれに手が導かれて動いて行かねばならないのです。

Aクンのような運動が視覚や聴覚よりも優位なステップでは、運動に視覚・聴覚が呼応しています。だからこそ運動を導いた結果、視線が動いていったのではないでしょうか。

そして、大事なのはそこでみえた達成感。まだまだ身体のコントロール性が不十分で思うに任せぬAクン。「がんばりたいけど、がんばれない。」中で補助してもらって、見ていたみんなと同じような動作が「できた」喜びが感じられたのでしょう。

物を貼り付ける、納める、終点のある動きからスタートしていく意味を確認したのでした。

 視覚的な情報処理の統合が難しい発達障害児の支援の方法論とひとつとして、視機能のトレーニング等もはじまっています。この目と手の協応という視点から運動を頼りに注視や選択的な注意を支えていくのも方法論かなと思います。

感覚と運動の支援については淑徳大学の宇佐川浩先生の実践が秀逸です。

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具体的に支援する文化を

先週ある現場で支援計画を見せてもらいました。

手だてがなんとも微妙で「一緒に経験する」「声をかける」「見守る」と記述が多いのが気になりました。幼児期や障害の現場ではこんなプランに案外なりがちですが、もっと具体的な手だてを打って条件をつけて評価も出来るようにしたいものです。

一緒にやれば、声をかければ出来るものではないのです。

より具体的な手だてにしたいのです。

その具体性は支援ツールをつくる、物理的環境を整えることだと思います。

待てない子に張り付いて待つだけでなく、「いすを使う」「待つ場所のマーキングをする」「あとどの位待つかの視覚化をする」などです。

こうした支援をただ保育に統合するための、そつなく過ごすための支援ではという批判も出てきました。

ただ思うのです。オトナのこだわりと関係なしに、あらゆる場面で上手くやれるしつらえと経験はさせてあげたい。そのままでいるとエラーに巻き込まれがちなこどもたちですから…オトナの都合に巻き込まれないように。

一方、大人との愛着の生地をつくる緩やかな時間の保障もしながら。

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日にちぐすり

今日は携帯から投稿です。うまくいかなかったらごめんなさい。

私の中心的な担当は幼児療育です。

今日はこの春から利用をはじめたAクンのお話です。

このAクン、まだまだ体ができていないせいか過敏で姿勢変換しただけで大泣きです。

手に物は持ちません。おまけに人見知りの時期なので、おじさんなんて恐ろしくてとても見ていられないのです。そんなAクンがとにかく場に慣れる、みんなの活動に巻き込まれるように参加しようと教室を利用始めてようやく数回がたちました。

そんな今日のこと。いつの間にかご機嫌な時間が増えていました。手を出して物を持てるようになった。赤ちゃん体操でちょっとだけ体をゆだねられるようになった。感触遊びでご機嫌な瞬間が見えてきました。

Aクンはまだまだ年齢が小さく、生活習慣の影響よりも障害の影響が強い時期です。どうにかしたい思いがお母さんにも我々にも大きくなってしまうのですがじっとこらえての日々を過ごしています。特に我々にとってはお母さんがおっかなびっくりAクンに働きかけていることに不安やいらだちを感じることを否定できません。

でも今はお母さんが居てくれることはホントに大切なのです。お母さんに療育の内容を知ってもらうこと。スタッフの人となりやチームのありようを知ってもらうこと。Aクンのはじめてのチャレンジを見つめて貰うこと。そして突っ走ってしまいそうな我々にブレーキをかけて貰うこと。最後が特に大切なんだなと今日のAクンの姿をみて思いました。

今はAクンの育ちが深まってくるのを待つことが大切な時期。肥大しがちなスタッフの思いを程よい所で落ち着かせてくれるためにはお母さんがいることが必要で、じっと時間を積み重ねていくことそのものに意味がある。こんなふうに毎年新しい小さなメンバーを迎えることで気づくことは多いのです。

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親の会のゆくえとありかた

 昨日、時々お邪魔しているある発達障害児の親の会の新年度例会に行ってきました。4,5年前から細々と続けられてきた会ですが、昨日は案内を市内全校配布してもらったせいかか今までの数倍の30名近い参加者がありました。

おこさんの年齢は様々で、抱えている問題も様々ですがみなさん話したい、つながりたい、知りたい思いは目一杯で長時間の語らいになっていました。

いつも思うのはご家族にとってはこんな場が大切だということです。ひとりひとりが違う中で「発達障害」を語り学ぶよりはうちの子を知り、気づき、先輩の試行錯誤を傾聴することに力があります。研修会の開催も私の大きな仕事ですが、そんな訳で家族向けというのはやりません。いつも「帯に短し襷に長し」になってしまう可能性があるので…

さて、大きくなった親の会のゆくえ。難しくなってきます。発達障害の親の会の難しさはおこさんの育ちの多様性ゆえ参加離脱の出入りが多いことだといいます。多様な「うちの子にとって」をどう提供できるかは難しい所なのかもしれません。昨日はこどもの指導グループを作ろうという提案も出ていました。ひょっとしたらペアレントトレーニングも提案すべきなのかもしれません。

ただこどもへの支援の広まりの一方で家族のそれはまだまだを痛感した会でした。

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タイトルの由来-ちょっと長いかもしれません-

 「発達」が教えてくれることというタイトルの由来について書きます。

 私は障害児の支援畑で仕事をしてきて15年くらいになります。私の職場では障害のあるなしに関わらず、こどもを支えるということは育ちを支えるということだという視点でこどもたちに向き合っています。

そんな中で「育ち」の中身や質を知ることはどうしても必要なこと。発達とは何か?定型発達のこどもの育ちとは?障害児の育ちとは?等は知らねばならないことでした。

発達には順序性があること、構造性があること。こどもが成長していくということはその順序や構造が劇的に変わっていくことだと知りました。育ちを支えるためにはその順序や構造を変わるような働きかけに意味があります。こどもの現在の変わりたい願い(発達欲求、発達課題)を見つめたり、ちょっと背伸びする水準を支えていくと順序や構造は変わっていくことを知りました。(発達の最近接領域)

そんな風に施設でこどもたちと向き合ってきました。

そして、そうこうする内に地域のこどもたちを支援することも施設の、私の仕事にもなりました。いろんな現場にいきます。いろんなケースに出会います。母子保健、保育園・幼稚園、学校など。どんな時でもこどもたちを支える提案の基礎にはこの「発達」の視点があります。

障害のあるこどもへの支援はともすると、「ケア」になってしまうことがあります。「対処」になってしまうことがあります。でも、それだけではこどもは変わらない。障害を乗り越える、障害とうまくやっていくことはできません。そんなことを知りました。

それからもうひとつ…子育ての現場に案外、発達的視点がないことも知りました。知りましたというより衝撃でした。こどものことを知っているはずの先生たちがこどもたちがどこから来て、どこへ向かうかを知らない。

気になる子、発達障害のこどもたちが増えています。クラスに数人のこうしたこどもたちを抱えて支援していくのは担任の大きな役割で回避できません。

不適切な養育、虐待も少なくありません。

そんな状況だからこそ「こどもを支えるということは育ちを支えること」とそれを紡ぎ出す「発達」の視点や理論、方法論を語りたいと思ったのです。

ちょっと大上段に構えすぎですが…

※ランキングに参加してみました。みなさんの評価は支えになるかもしれません。

お願いします。

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日々のつぶやきをつづっていくことにしました。

みなさん、こんにちは。けやき堂です。

ある地方で障害のあるこどもたちの支援をしている臨床発達心理士です。

日々の支援の中で感じること、ノートに綴るようにしながらちょっとだけ発信していくことにしました。

ネットワークがつながっていくこと、支援にとっては大きな資源です。

そんなきっかけにもなっていったらと思っています。

よろしくお願いします。

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