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ソーシャルスキルトレーニングを吟味する

 久しぶりに親の会のソーシャルスキルトレーニング

をのぞきました。(以下SST)

私にとっては「SSTの成果が般化していかない。」と言わ

れているのが気になって仕方ないのでなぜかな?と考え

ながら拝見しました。

①大人の意図とこどものとらえが違うのでは?
 ゲームでやりとりしながら共同する友人のことを思い
勝敗でゆれる思いを乗り越えていくという機会でした。
特に負けてもいいよ、「ドンマイ」を覚えて欲しい。そし
て似た場面でも「ドンマイ」使ってほしい。そんな意図
が内在されています。
ちょっと待てよと思ったのは、「ドンマイ」はひょっとし
たらこどもにとってはこのゲームのルールやここでの
振る舞いにしか過ぎないのではないか?という感じが
したのです。また、大人が思っているほど、こどもは勝
敗に固着しはしない。ゲームに負ける→ドンマイという
ようには一直線にはなっていない。

②つけたい力を明確に意識づけるプロセスも必要?
 「ドンマイ」の般化には色々なゲームやプロセスをや
った後、「ドンマイ」をどう使うか?を提示し考える場面
や学校生活場面での用法を提示する機会が必要なの
ではないか。

③こどもだけが頑張ってもだめなのでは?
 これは最近、いろんな所で指摘されはじめています
が、この子たちだけがスキルをつけてもだめなのでは
ということなのです。
せっかく乗り越えるソーシャルスキルをつけても、周り
のこどもたちが葛藤し調整している本人を揶揄したり、
大人がこどもを包み込む姿勢ができてなければせっか
くの力は生きてこない。
進行役の先生がうまくなくて、すっかり機嫌を損ねてしま
ったこどもが居ました。そこで先生が「ごめんね、あたし
が悪かったわ。」と謝っていました。大人がこどもに謝る。
これは通常はそうないこと。クラスつくりや啓蒙がSST
を生かすためにはまだまだ必要。

④般化のために、ある「育ち」が必要なのでは?
 自己を対象化できる、相手に思いを致すことができ
る、視点を移すことができるという「パースペクティブ」
の育ちがある程度必要なのではないかと感じたのです。
発達障害児が安定して「心の理論」を通過するのは1
0歳以降なのだといいます。SSTがピタッとはまる時
期やできる育ちを見定めて実施していかねばならない
のかもしれません。

そして現時点でのSSTの意味
 構造化された場、こどものことを知っている大人が居
て基本的には認めてあげようと思っているという場自体
が大事だと思うのです。
存在の肯定や関係性への動機が確かに保障されてい
る場があること。そのことの意味は絶大です。
「パースペクティブ」の前には確かな愛着=対象恒常性
自分が肯定されていること、大人(他者)は信頼できる
ものであることが確かになければないはずです。
スキルを得る場としての吟味はこれからとても必要で
すが、まずはソーシャルスキルトレーニングをやる場の
ある意味の大きさを思います。

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