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2009年12月

1年間ありがとうございました-ブログをはじめて気づいたこと-

 あと数時間で2009年が終わります。

このブログを5月からはじめて200本あまりの記事を書き

ました。

この間みつけたことがたくさんあります。

誰かに伝えるという形式で毎日毎日自分の感じたことやこ

どもたちとの日々の中でみつけたことを整理していくことは

本当にたくさんの意味がありました。

何人かの方にコメントをいただき。共感をはさんだお付き

合いがはじまったことも大きな力になりました。

 そんな中で改めて気づいたこと…

支援者はことばに力がなくてはならないということです。

多くのこどもたちのよき暮らしのためにはよき実践や考えを

広めていくことが必要で、そのためにはそれを確かに伝える

ことばがなくてはなりません。

難しい専門用語や生活実感のないことばでなく、支援と生活

の視点で紡ぎ出されたことばが必要なのだと思います。

そして、日々の汗だくの支援におわれて整理しきれない事柄

をことばで整理したり、構造化したり、系列化したりする作業

も必要です。さらにわかりやすさの裏側にしっかり支援への

熱情が乗っかっていなければなりません。支援者相互、

御家族とも共感したいという思いがなくてはなりません。

 あたらしい年もあたらしい豊かなことばを見つけていきたい

と考えています。

2009年はお世話になりました。

来年もよろしくお願いします。

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こどもは身体でこたえを出す。

 冬休み。

完全に私の趣味で我が社ではやきいもをやります。

いもの処理からはじまって薪の運搬等々結構やることは

あり、それをこどもたちと積み上げていくことは面白いも

のです。さつまいもだけでなく、里芋もジャガイモも焼いて

りんごもみかんも焼いてあれもうまいこれもうまいと感じる

こと、火の熱さを体験すること、燃える燃やすを実感する

こと、危険を思い知ること、危険となんとかやっていくこと

を体験すること、けっこう面白いのです。

 前回の記事ではありませんが、いろんなものが剥奪され

た入所施設での生活の中で、我々はいかに施設を家庭に

近づけるか、地域に擬していくかを考えてけっこうムキに

なってきました。教育的支援的な意味でなくて、生活実感

を豊かにすることに腐心してきました。

けれども、この頃思うのはそんな施設での経験の方が地

家庭よりも豊かになってきているという寂しい現実です。

 関連して思うのは、障害児の支援の方法論がちょっと認知的

になりすぎているということです。

視覚支援や構造化は認知的アプローチでとても有効です。

でも、見せる前に経験が身体と記憶に入っていなければこども

は動き出さない。

ものごとの理解や認知が一面的で偏りがちなこどもたちです。

事実や現実を自分で見聞きして、現実を知って欲しい。

発達性協調運動障害で不器用をたくさん抱えています。

自分の動かし方、動き方知っておきたいね。

また、初期発達や関係構築においては言葉の以前に

情緒やゴール、プランの共有が行為をはさんで必要で

有効です。

そんなことを思いながら今年は大掃除頑張っています。

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大事だけど、あんまりちゃんと説明できないこと

 入所施設である我が社の年の暮れ、こどもたちは家に

帰っていきます。

昨今は家族機能が崩壊してしまって盆暮れにも誰か必ず

居るものですが、それでもこの時期には年に1回だけは

家庭に帰る、家族と会うというこどもも居ます。

そんな状況の中では帰れないこどもも家庭と家族を意識

しない訳にはいきません。大人が配慮しなければことも多

くなってきます。

 そう、今日のタイトルは家族、家庭のことです。

通常あるものがないという施設という場にいると、こどもに

とっての家庭、家族の意味の大きさを感じざるを得ません。

本当に不思議だなあと思うのは、何にもわかっていないの

かもしれないと感じてしまうような重度感の強いこどもでも

お母さんのことはわかっていて嬉しい情動をみせるというこ

とです。

家に帰れるということは家族との関係だけでなく、生活の自

由度も高くなるため、食べることや遊び、お出かけ等要求の

実現可能性は高くなります。そのことと家族の顔が結びつい

ているのかもしれません。でも、どうもそれだけではない。

家に帰った所でどうにもならない、おそらく施設の暮らしの方

が断然豊かな家族の所にもこどもたちは喜々としてして帰っ

ていきます。

 愛着は説明できないものなのです。

というよりも説明しようとしてもいけないのかもしれません。

その甘美さは、その無条件性は説明の外にあり、そもそも

人間が存在することに根ざしているのかもしれません。

ここから言えることは、大人が思っているよりもこどもに

とっての大人は重要であるということです。

このこと、噛みしめておく必要があります。

父としても母としても。大人としての支援者も。

こどもは圧倒的にその存在を大人に依存しているのです。

となると、ちょっと大人が無茶をすると、その関係は支配的

に、隷属的になってしまうのです。

気を付けなければ…

 また、ちょっと視点をかえると、子育ての基礎は依存を

ゼントすることなのでしょう。

私は①大人、ヒトを好きにすること②自分を好きにすること

が子育ての基盤だと思っています。参加のステージにある

こどもたちも困難にぶつかったらここに帰るべきです。

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「武士の一分」

 夕べ、フジテレビ系で木村拓哉さん主演「武士の一分」を

放映していました。

木村さん演ずる主人公の下級武士は、事の起こる前、壇

れいさんの演ずる奥さんとの小さな幸せな日々の中でこんな

ことを話していました。

-剣術に覚えのある彼は将来の夢として早めに隠居し
て道場
を開きたいのだといいます。
そして、今までの剣術の師匠方の教え方を変えたいの
だと。反物からひとりひとり違う長さの着物を縫い上げる
ように、ひとりひとりの特性にあった教え方でその特性
を伸ばしていきたいのだと…

公開当時もこのくだり名場面だと思いましたが、そうです、こ

こ、発達障害児にどう向き合っていくかを端的に表現してい

ますよね。

このセリフを木村さんに語らせた山田洋次監督、教育をテー

マにした作品もたくさんとっているだけあってさすがです。

 教育の問題を語るときにどんな制度をつくるかとか、落ち

ている力をどう伸ばすかという大人からの論点からしか語ら

れなくなっています。

「こどもの力を引き出す」ということがよく語られますが、そこ

には「大人がなってほしいように」とか「大人が教えたい方

法で」が実はくっついている。でも、本質的にはそうではない。

スタートもゴールもこどもにあるはず。

LD学会の上野一彦先生が紹介してくださる

「あなたの教え方で学べなければ、その子の学び方で

教えなさい」

といういいまわしも端的にこのこと表していますね。

主客をかえると見えてくる光…

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「参加」と発達障害、学校、特別支援教育

 今月のはじめに「保健の先生」という記事を書きました。

事例が届いて準備を進めています。

養護教諭の視点でいろいろな事象をみつめてみると、今

までみえなかったことがいくつか見えてきました。

・新しい参加の困難としての発達障害
 二次障害としての不登校、ひきこもりををまとめてい
て気がついたのですが、不登校、ひきこもりの前に発
達障害には厳然と「参加の困難」が立ちはだかってい
るのです。
 そして、それは、学校や養護教諭にとってはこれまで
外在化としての非行、内在化としての不登校という2種
の参加の困難を抱えるこどもたちがいたのですが、発
達障害はもうひとつの参加の困難といえそうです。
 さらにこの3つ目の参加の困難は、参加できている時
の安定度がそもそも弱いという基盤があり、そのことは
こどもたち自身も、向き合う学校にとってもとても苦しく
なってしまっているということ。

・「参加」を外す方法論は難しい。
 次は養護教諭の声をきいていて感じたことです。
あまりに参加の困難が極端になってしまった時には、一
時的に意図的に参加を外し、大人との関係を基盤にし
ながら存在を肯定し、行為や内容への関心をはさんで、
参加への動機を喚起しつつ、戻っていけるように支援
することが方法論
です。これは鉄則に近い。
 でも、この鉄則、内容や評価にとらわれることの少ない
立場でこどもに向き合う保健の先生であっても実行する
のが難しいようです。
 ①この鉄則なかなか方法論としては容易ではない為
に参加に向けようという校内からの強い要請に抗しきれ
ない。
 ②参加を外してから戻すケアには校内体制が必要だ
けれども、その構築が難しい。
 ③そのため安易に参加を外すと担任もこどもも保健室
に依存してしまう可能性があって踏み切れず、ともかく
ちょっと相手をして教室に帰そうという苦しい対応にな
ってしまいがち。

実質の少ない、不安定な参加の渦の中にこどもたちを巻き

込むことはかえって苦しみを増大することが多いのです。

「とにかく教室に居てくれれば」は大人の都合でしかない。

このことを乗り越えるための文化の創造も必要なのかもしれ

ません。

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長くつきあうとみえてくるもの

 この暮れに地域に帰っていったこどもがいます。

我が社で暮らして5年近く。家庭の火の手がおさまって

5年といった所でしょうか。おこさんのあらわれもお母さん

も落ち着いての旅立ちです。傷を抱えた母子に受容的に

穏やかにつきあった後輩を仰ぎ見ます。

家族の問題と連動するケースを見たときに時間の必要性

を感じます。この5年あたりの月日です。

 また、この暮れに地域で暮らしてきたこどもたちの危機

もちらほら聞こえてきて胸をいためています。

幼児期からお手伝いをしたりしてきたこどもたちです。

もともと家族機能が高くはないケースでしたが、時間が過ぎ

状況が変わって危機となりつつあります。

我が社の機能としては、私の発達支援から生活支援モード

に切り替える時期のようです。

施設にいてちょっとすくわれるのは、こんな風に支える手立て

はいくつかあるということです。

時間が解決することと時間がつくってしまうこと…

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専門家のありかた

 最近地域できいた困ったお話です。

ある専門機関にかかっているのですが、そこの先生が

ともかくきついのだそうです。

家族の子育てを批判し叱り、子どもの状態像をなじる

んだとか…

いつも行ってきた御家族が打ちのめされて帰ってきます。

「先生のいうことは最もだから反論できないけど、先生

のいうことはできない…」

お母さん達のつぶやきです。

家族には生活を回すという側面がある。

お母さんにはこどもより手がかかるお父さんの世話も

あるのです。

やったほうがいいこととできることは違うのです。

我々専門職はできそうで、結果がでそうなことを言えなけ

れば意味がないのです。

家族を叱りとばして一体何になる。

気を付けなければいけません。

温情味がなければ何にもはじまらないと思うのです。

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我が社の最も有能なスタッフのこと

 我が社の最も有能なスタッフのことを書きます。

年老いてきましたが、確かもう10年以上、こどもたちを見

つめています。

自分のペースでつきあってくるこどもたちに怒ることもなく

丁寧につきあってくれます。確かほとんど吠えたことはあり

ません。職員も日々の業務に追われて、最近では彼女の

相手をすることが難しくなってきました。職員が若くこつぶに

なってきて余裕もなくなったこともあります。

数年前突如病気を抱えて、意識が混濁し、こどもたちと同じ

ような発作を抱えるようになりました。

それでも、まもなくするとこどもたちとの穏やかな日々をとり

もどしていきました。

びっくりしたのは、ある子を連れて遊びに行った時のこと。

言葉がではじめたばかりのその子のつたない言葉と指示

に応じてちゃんと行き来してくれるのです。

その受容的な姿、胸を打たれるものがありました。

 そう、我が社の最も有能なスタッフとは、一匹の犬のこと

です。

この暮れで我が社から離れて篤志家のもとで余生を

過ごすことになりました。

施設で犬を飼うというのはチャレンジでした。

そのチャレンジに彼女はこたえてくれました。

我々は都合良く彼女を利用したのかも知れません。我々は

彼女になんにもしてやれなかったけれど、彼女がこどもた

ちにしてくれたことの多かったこと。

ただただありがとう。

あなたが居てくれたことで、すくわれたこどもが大勢居ました。

あなたとこどもたちとの散歩ですくわれた職員も大勢居ました。

本当はあなたの最期までお見送りするのが、我々のあなたに

対する礼譲かもしれませんが、寒い寒い施設の軒先であなた

にこれ以上苦労を掛けるのもしのびありません。

本当に感謝しています。

ありがとうございました。

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ちょっとどういうこと?

 ある市域の支援で児童課と巡回相談をしていますが、

今年から保健領域の保健師さんも同行して健診事後

などの確認をしています。

そろそろ、次年度の話をする中で次年度は保健の事業と

して踏み込んだ巡回相談をしては?と提案すると、びっくり

な答えが返ってきました。

我々と同行するのは、「どうしたらいいか?」を園から尋ねら

れた時に回避するためなのだそうです。そう、それは我々

が答えるように…その時はサッと通り過ぎましたが振り返っ

てみるととんでもコメントです。

するってえとなにかい?どうしたらいいかもわからないのに

チェックしているというのかあんたは?

支援の方策の提案のない、問題の指摘は意味がないのです。

健診が、こどもと御家族にとってとっても大きな物であること

をわかっていないんでしょうか。

この市は非常に保健のスキルが弱く、そのために市域の支援

体制が非常にゆがんだ形で構築されています。

初期発達支援のスペシャリティが弱いために、療育システムの

構築がうまくいっておらず、なんだか縦割りでなおかつ他課の模

様眺めみたいな市域の支援になっています。

ライフステージを通じた支援も、ライフステージに応じた支援も

できていない。原因はここにあったのです、きっと。

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視点をかえると開ける地平

 就学に関わる相談でのことです。

特別支援学級への転籍を進められているおこさんの御家

族とお話しました。

動作性Qと言語性IQの差がとんでもなく大きく、そこぬけに

不器用で、選択的に注意を向けにくいタイプのおこさんです。

かなりに生活のしにくさをもっていますが、道具や用具の工夫

育ちの場での様々な配慮をうけて通常の学級で生活してきま

した。本人の成長は著しいのですが、学年があがる毎に求め

られるものは質的に高くなってきますし、周囲の成長は本人の

それより加速度的に増しているのでギャップは大きくなってい

ます。努力家の本人、みんなと同じに自分もやりたいという心

性の持ち主です。みんなのこのヒトのことが大好きです。

地域と仲間とつながっています。

 さて、特別支援学級に行くには学区から離れなければなりま

せん。この子のみんなとのつながりを思うと、御家族もよく知って

いる私もそのことが離れませんでした。

でも、「がんばりたいけどがんばれない。」ようになってきている

この子の生活の質はかえてあげる必要がありそうです。

お話しする中で私たちの視点と思考は代わってきました。

すこし光がみえてきました。

・「できない」「わからない」から転籍する。
              ↓
・この子の今ある意欲や努力を支えるための個別的
小集団への転換である。

・地域から離れ、仲間から距離ができてしまう。
              ↓
・ヒトが好きでみんなとつながっているこの子だから
新しい仲間を作りにいくのだ。

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「時間が解決してくれること」そして、「こどもたちには力がある。」

 学期末の今日この頃、我が社でも随所に感動的な場面

がありました。

共通するのは、「時間が解決してくれること」と「こどもたち

には力がある。」ということです。

①数年間を過ごしたこどもが帰っていきます。発達障
害で不適切な養育を受け…といった状況でしたが、お
別れのセレモニーの場で別れが悲しくて絶句していま
した。あの子にその情性が育ってきたこと、我々の喜び
です。

②なかなか作業に行けない子が、反省会で真っ先に手
をあげて、作業にいけるようになりたいと発表していた
のだといいます。願いを抱えて毎日葛藤して葛藤に負け
て大人に支えられての日々のこの子のこの願いです。

③見捨てられ不安が強く大人を振り回してあの子も来
年は実習があるから、がんばりたいと語ったといいます。

こんなことがうれしいなと思いながら作業をしていると、就労

コースの女の子たちがなんとなく集まってきてお茶の時間に

なりました。

大人がとにかくこどもたちに付き合いながら寄り添いながら

「ヒトを好きにする」「自分を好きにする」支援を時間を掛けて

やっていくこと、それだけなんだと思いました。

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文字を書くのは難しい

 文字を書くのは難しい。痛感しています。

これは私のことです。

どういった風のふきまわしか、大人になってお習字を習っ

て5~6年たつでしょうか。毛筆書道ですが苦慮していま

す。お手本を書いてもらってそれを見ながら書くという作

業は本当に難しく、LDの子達の困難を体感しています。

・見るという作業の難しさ。
 お手本を見ているようで我々はみていないのです。
後から添削していただいて、言語的に解説していただい
て、文字のポイントが胸に落ちることが多いのです。

・書くことは運動の調整である。
 私は力を抜いて書くことが難しく、しかも怠け怠けに稽
古しているせいもありますが、それがなかなか定着しま
せん。筆をたてる、おさえる、動かすという作業は実に微
妙なタッチが求められる運動要素であることを痛感してい
ます。そのことが実に難しい。

・褒められればうれしい。
 ちっとも上達していきませんが、先生は必ず褒めてくれ
ます。そのことは継続の支えになっています。そして、どん
なにさぼりがちでも待っていてくれます。

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園でリソースルームをつくる

 最近、そんなやり方もあるのかなと思っていることです。

園の中にリソーススームをつくるという方法論です。

これだけ発達障害、気になる子が多くなってくると園での保

育を支える資源は目一杯で、園でがんばるしかないのです。

とはいえ、集団参加を基盤にした生活が容易ではない子は

どうしても出てきます。そんな子のためのリソーススームです。

東京のわかくさ保育園の実践が有名ですが、まだ全国的に

多くのとりくみがある訳でもなく、制度的な保障もありせん。

園で努力することになりますが、模索する価値はありそうです。

 方法論を考えています。

大事なのは園での生活、参加を支えるためのツールであると

いうことだと思うのです。

・基本的には集団生活が基盤なので、ある時間、週に
数回リソーススームを利用する形態をとる。

・したがって外部からの通級の形態はとらない。

・年齢に応じた参加を支えるためのプログラムを組む。

・集団の保育への参加のための補完をじっくりやれる時
間帯の保障。

・園のスタッフでできるような。

・クールダウン、タイムアウトの場所としても。

・園のこどもたちに開放される時間帯もある。

出入りが自由度が高く、特別支援教育でもまだ十二分に実

現しているとはいえないインクルーシブができる可能性があ

ります。実は来年、やってみるという地域が2カ所あります。

また、実施状況はレポートしますね。

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協働するということ

 連携や協働、チームの支援を巡って最近思うことです。

「いっしょに」やることが互いを傷つけることがよくあります。

それは、「いっしょに」が行き過ぎてしまうからだと思うのです。

価値と、目的と、方法とみんな「いっしょに」したくなるのです。

でも、それは絶対に無理なことなので、どちらかがどちらかに

合わせることを強要したり、路線闘争になってしまうのです。

 「いっしょに」はあわせることではない。

役割分担を明確にし、それぞれを尊重することなのだと思いま

す。

「あなたがそこをやってくれるなら、私はここを押さえます。」

それぞれのストレングス(強み)を生かして支援する。

すべての支援者がまんまる、オールマイティの力を持つことは

不可能です。また、これだけ支援領域や支援サービスが広がっ

ていくと支援も細分化、専門化されてきてもいる。

奇妙奇天烈な共同幻想は本当にあぶないのです。

協働することで傷つけ合うことは避けたい。

支援者相互の対立をみていると「みんないい人なのにねえ。」

と言いたくなることがけっこうあります。

「いっしょに」の限度、考えておきたい。

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日陰者

 上司が話したことが奮っていました。

「俺たちゃ、こどもに食わしてもらっている日陰者。指導と

か支援とかじゃなくてこどもにきいて、共感し添うことが絶

対基盤!」

こどもに食わしてもらっている日陰者、いいじゃないですか?

ひょっとしたらヒトの不幸で飯を食っている不埒な奴らです、

我々。

こういう所を立脚点にすることで、こどもの風上に立つこと

がなくなるかもしれません。

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嬉しくて…

 新型インフルエンザで休んでいるこどもの部屋に行きま

した。もうすっかり元気で退屈しています。

なんだか部屋の蛍光灯がちらついているので、脚立を持っ

てきて交換することにしました。脚立にあがると、さっと彼

はよってきて言うのです。

「だいじょうぶ?」

安全面ではまったく大丈夫でしたが、涙腺が大丈夫じゃあ

りませんでした。いつの間にやらヒトに配慮できる子になっ

たのは、しっかり大人に受け止められたからでしょう。

蛍光灯交換のお手伝いもなんだか巧みでまた涙…

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障害児じゃなくて天才児

 杉山登志郎先生の新刊がでました。

ギフテッド 天才の育て方 学研

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です。

 かなり衝撃的でした。

というのも天才のことよりも、本当は天才的な力を秘めた

こどもたちにその力を発揮させることができないこの国の

教育や支援システムに愕然としたのです。

支援の中心がよき育ちに導く以前の問題に終始している

我々って一体何をやっているのでしょうか?

発達障害

発達凸凹

ギフテッド

つながるこの3つを捉えて新しい地平を築きたい。

心から思いました。

ぜひ読んでください。

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身体の緊張をゆるめる技法

 最近感じているのは高機能のこどもたちで過敏性の高い

子の緊張性の高さです。身体的に働きかけて弛緩すること

でやりとりのかたさや対人的な緊張、過敏性をとってあげる

ことができるのではと思います。

特別支援学校の先生が教えてくれた方法論のひとつは…

背後から抱いてお腹に手を当てるというものでした。

「お腹」が意外でしたが身体の芯を緩めると考えると納得。

ただ、触り方にコツがあるようで、柔らかいボールをそっと

抱えるようにとか、0グラムの重さでなおかつ手のひらを十

分つかってとか、相手の身体の中を探るようにとか微妙な

タッチが必要なようです。

肩や鎖骨まわりへのアプローチも教えていただきました。

ストレスケアという観点でも身体に向かう方法論の研究

したいと思っています。

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内服をめぐって

 内服をめぐって起こりがちなことが同時に2点顕れたケ

ースがありました。

①学校は薬さえ飲んでくれればなんとかなると思って
いる。

②家族は身体に悪影響があるし、飲ませるのが大変
だから飲ませたくないと思っている。

乱暴ですが言ってしまえば両方とも間違いだと思います。

薬は行動をコントロールするための万能の手段ではあり

ません。あるタイプの子にはよく効いて生きにくさを大きく

改善してくれることもありますが、それはわからない。

リタリン時代には多動衝動性を抑制するための第一選択

肢は内服!なんてこともありましたが、今はそんな風でも

ないようでもあります。

また、大事なのはそもそも「動かないようにしている」「落ち

着いている」ということを要求することが行動目標ではなく、

こどもを死人にするような誤ったねらいだと思うのです。

もうひとつよくあることは、こんな薬に頼りたい現場に限って

その前提となる家族との対話がへたくそなのです。

「お薬をなんとか飲んで欲しいけど家族がわかってくれな

いからなんとか説得して!」なんていう勝手な注文が来る

のは薬に過剰な期待をする現場からです。

 ②は御家族には当然の心配かも知れません。

でも、最も大事なのは薬でこどもをどうにかするのではなく、

内服でそもそもあるべき機能の働きを補うことで、こども自

身の生きにくさを和らげ、その時間帯によき行動や過ごし

方を習得してもらうためのものです。状態像によってはその

結果、内服を外すこともできる。

もちろん、内服初期の不定愁訴や身体的トラブルはある方

もいるので試行錯誤は必要です。あわない子もいるのは事

実。でも、それはやってみなければわからない。ケースによ

っては内服しないでトラブルが頻発し、二次的な困難が大きく

なってしまうなら内服で支えた方が絶対にいいこともあります。

内服は必要悪や諸刃の剣ではないはず。

ただ、飲ませたくないという意思がはっきりあるならそれは

それで大切です。大事なのはそれならこどもの特性をよく掴

んで具体的な手立てを試行錯誤し、支援機関との深い連携

が必要になってくるのだと思います。

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今は「外す」

 同じ日に支援のポイントが同じケースがあがりました。

学齢期と幼児期のケースです。

どちらも知的には良さそうですが、過敏性・衝動性が高く

参加ができません。いろんな試行錯誤していますが、手

詰まりで家族の問題もからんで複雑。ケース会議となり

ました。

 共通してみえたこと。

一生懸命、集団に入れようとしていること。学習に参加さ

せようとしていること。いいときにはやれているし、聞いて

いない、やっていない割にできるので是非、みんなとある

べき場でやるべき姿であってほしいと思って支援している

ようですが、もうどうにもならなくなっている。

本人の御気分次第で大人が振り回されている…

 こんな場合は一時期

  「参加」を外すことが肝腎 

                 だと思います。

2つのケースとも結果的に個別援助をしています。

個別援助の中で関係をつくり、小さなルールに乗る生活

をつくること。欲求に対して注文をつけ、葛藤場面をつく

っていくことが大きな方向性です。その前に、せっかくの

個別援助をただの警備や本人を後ろから追いかけ回す

支援でなく、大人とこどもの向き合った関係にしていくこ

とがどうしても必要なのです。

受容があり、信頼があり、やりとりがある。

相手に合わせる相補的なやりとりをつくる。

手詰まりを感じたら、いちばんの大事だと思っている部分

や基盤も疑い、外すことからはじめていくことも必要だと思

います。けれども「参加」を外すには、支援者集団、保育文

化、学校文化全体の合意と調整が必要なため、外部から

のヒトをいれたケース会議が必要なことが少なくありません。

両方のケースともそのような手立てが必要でした。

第三者的専門家を入れるのはこんな時なのでしょう。

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構造化ともうひとつ

 保育園で優れた実践に出会いました。年中さんの保育

実践です。

 個への支援としてもユニバーサルデザインとしても構造

化や視覚的支援がはまっていくのは年中さん以降です。

このクラスでは担任の先生がよく工夫し、視覚的によく伝え

物の置き場所もしっかり決まっていて整理されています。

まずそのことが秀逸でした。

 そして、もうひとついいなと思うのは、行動単位として小集

団をよく使い、なおかつ丁寧な働きかけをしているというこ

とでした。

外遊びに行く場面です。

・担任「お外へ行くよ。どうすればいいんだっけ?」

・こども「うわぐつしまって、帽子かぶって!」

・担任「そうだね、じゃあ、グループ毎に順番に出よう!」

年中さんです。外への行き方なんて知っているに決まってい

る。

でも、発達課題を抱えた個のためにも身支度への意識

や行動規範を確認する。

一声に声を掛けても外へは出ることはできる。

でも、きっと大騒ぎでトラブルも起こるだろう、大きな流れ

だからこそ巻き込まれていかないヒトも出てくるだろう。

グループで待つ。モデルがある。期待感がある。

この先生には年中保育のスペシャリティを感じました。

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10歳の節目

 前回の記事と対比的かもしれません。

「9歳の壁」の一方、「10歳の節目」もあります。

早期から支援にとりくみ、継続してきたこと、チャレンジ

てきたことが実ってくるのは10歳頃です。

障害の影響の強い時期を経て、家族と支援者が頑張って

きたことが、生活の積み重ねとしてかたちになってくる時期

です。簡単に言うと、落ち着いてくる。思春期の前のまとまり

なんてことを感じる時期でもあります。

 Dr.によるとこの時期、神経繊維の剪定が行われるそ

うで、よく使う回路が残るんだそうです。

昔、「先生、いつまで頑張ったらいいの?」と聞かれ、この話

をきいて10歳を目安にして一緒に支援をした所、本当に

おこさんが落ち着いてきてホッとしたことがありました。

早期発見、早期支援の意味を物語る話でもあります。

 「9歳の壁」と「10歳の節目」一見すると矛盾すると思われ

るかもしれません。

しかし、こどものあらわれ全体像を見つめた時に困難だけ

に彩られてはいないということ、知っておきたい気がします。

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9歳の壁

 よく9歳の壁といいます。こどもの発達課題を示す表現

だとは思いますが、発達障害児にとってはまさに壁の側

面もあります。

①学習の深化についていくのが難しい。

②対人関係の深化についていくのが難しい。

③本人の発達的変化が矛盾となって立ちふさがる。

 ①は3年生の学習の難しさのことです。割り算があり、

時間道のりの60進法があり、四則演算をつかってもの

を考えるという学びもはじまります。やっと計算法則を

手に入れたこどもたちにこの展開や文章題は本当に

難しいのです。学習のターニングポイントです。

 ②はこどもたちの対人関係の発達的変化です。

ギャングエイジという年代にこの時期到達します。

随分前から厳密な意味でのギャングエイジはみえにくく

なっているようですが、排他的な、同一性を重視する

仲間集団という集団の性質はある程度同じです。

3年生は違うあらわれをする仲間を、遊びに響き

あえない仲間を巻き込める余裕はないのです。

このことは厳しい。

 ③は発達障害児自身の発達的変化のことです。

5歳代で難しかった心の理論(相手の立場になって

考える)や内言の育ちがこの時期ようやく出てきて

自己を対象化できるようになります。

みんなと違う自分が意識されるようになります。

できない自分が意識されます。そこで不安も強まります。

合わせて幼児期に多動性衝動性のために拡散しがち

だった母親への愛着がこの時期に形成される子等も

いて、不安を家族との密着でしのごうというあらわれも

みえたりします。「どうせ僕なんか」という語りに直面

して家族の困惑も深まります。

この時期はこんな激動の時期です。

いろんな手立てで困難を支える足場つくりをしたいもの。

高学年に向けて学びの場や仲間関係の確認をしたい。

学びの質もみておきたい。

一方で、ピンチはチャンスという視点も持っておきたい

とも思います。

自己対象化できる育ちの中で、自分の特性を知るチャンス

も訪れてきます。自分を知ることは困難もつらいことも多い

ですが、そこからはじまることも多いのです。

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「専門性」を整理する

 巡回相談はコンサルテーションという言葉に基盤をおい

ています。これは、専門家による専門家への支援、協働と

いうことです。

ただ、それぞれの専門性についての確認はしておいた方が

いいのかなと感じています。

私は自分を障害児をみる専門家だとは思っていません。

発達的な視点で子育てを考えるという点では専門性を持ち

たいとは思っていますが。

同じように保育や教育の持つ専門性は、定型発達の子育て

や集団をみる専門性や学習をみる専門性ではないと思うの

です。保育や教育ももともとの基本的構造と基本的専門性

は発達段階をおさえた子育てなのだと思います。

そう考えると、比較的幅は広く、さまざまなこどものあらわれ

に対応する余地が生まれてきます。

 一方、対比的に設けられている療育機関や特別支援学校

は中でも特にこどもの初期発達に焦点をあてたり、顕著な困

難に光を当てて支援する場所です。このように焦点化された

子育てが必要な子は少なからず居て、増加傾向にあるので

しょう。こうした場所と教育、保育が役割分担し、協働していく

ことで地域の子育てが深まっていくのだと思います。

自分の今やっていることの意味の確認…時折必要です。

 専門性でもうひとつ…

特別支援教育や気になる子もいる保育の中がはじまって、今

までの現場のよき実践についての語りが静まってしまっている

のが気になります。新しい言葉で語らなくても、どんな子も集団

の一員として大切にし、個の育ちをみながら支援している先生

はたくさんいます。そこにある専門性を大切にしてほしいのです。

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日常にある大発見

 障害児学童のケース会議でのことです。

スタッフが上気した顔で語ってくれた内容がよいのです。

会議ごとにこの1~2ヶ月はこんな視点でこどもたちを

みていこうというテーマをみつけていくようになっている

のですが、前回からこどもの要求をきき、どうしたいか尋ね

ていくことをしっかりやろうというテーマになりました。

 実際やってみたらみえてきたことはたくさん

今まで援助しすぎていた。

・ちょっと手を出し、口をはさむのに時間遅延を入れ
るとこどもたちが自分でできること、自発的にやり出し
たことがとても多かった。

・ちょっと待つ、尋ねたらそれなりの表出をしたり、絵カ
ードで伝えようと言う姿もみえて。

・こどもに添うようになったらこどもがこちらの言うことを
きいてくれるようになってきた。

ひょっとしたらこれら当たり前のことなのかもしれません。

でも、これはほんとによくあるミスマッチなのです。

支援には責任が伴います。支援の対象者は困難を抱えて

いることが明白です。まずは安全確保が大事。

そんなこんなで支援者はやりすぎてしまうことの方が多い

のです。保護しすぎたり、~しないようにも多くなります。

どこかで聞いた「適切な支援」をまずは自分も取り込んで

やろうとします。それはそれで当然なのだと思います。

 けれども、

「こどもを見る、待つ、きく」

このことからはじまることは多いのです。

ただ、「見る、待つ、きく」には基盤が必要です。

それは、一定のこどもたちとの時間経過です。

お互いに信頼関係があること。

そして、大人の側に支援に対する不安感が軽減されてき

ていることが特に重要だと思います。

おこさんの行動予測がある程度できること。

問題が起こったときの対応の蓄積ができてきていること。

チームによる支援ができてきていること。

ある程度経験を積んだ支援者、現場だから出てくる大発見

なのです。

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多動性衝動性は授業、教師次第

 巡回相談に出かけました。

タイプの違うADHDの子ふたり。

個とクラスと担任の先生を見ながら2つのケースともに

観察されたことは…

「授業の活性度があがると多動衝動性が気にならな
くなる」

ということです。

不思議になものでやりとりがまだこなれていない内は担任

はADHDのこどものあらわれがやけに気になっているの

です。全体の発言ややりとり、反応が活発になるにつれ

担任の心は授業にむいていき、ADHDの子もなんとなく

授業に巻き込まれ、うまく担任の先生もその個を支え、掬い

といったことができていくのです。また、授業の盛り上がりの

中でADHD児もなんだか静かになっていくのです。

強い特性をもつこの個たちに大きな変容を求めるということ

よりも、大人が彼らの特性を受け止め、うまく生かしほどよく

取り合わないで授業をつくっていく。

生き生きとしたこどもたちのやりとりは個の落ち着きのなさを

包含し、ひとりの個の特性への過剰な大人の着目も和らげて

いく。

これって何かのヒントになりませんか。

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保健の先生

 年明けに養護教諭の先生達の研修のお手伝いをする

ことになり、打ち合わせをしました。

その趣旨が実に的確でちょっと感銘を受けました。

・こどもの様々な困難の根底に発達障害があること
がわかってきたのでその理解と対応を学びたい。

・そのこどものあらわれも多様になってきたのでその
意味や理由を知りたい。

 学校全体ではひょっとしたら「発達障害とは?」がまだ

まだ必要な時期ですが、深い実践をしておられる保健の

先生方の問題意識の高さに驚きました。

実際に保健の先生は校内のこどもの全体像を把握して、

学習や参加の場面以外でこどもを捉える役割を果たして

います。特別支援教育Co.が表のCo.ならサブコーディネ

イターとでも言えるでしょうか。

また、学校の中で学習や評価など学業の外にいる唯一

のスタッフとしてこどもとの関係を別次元で結ぶことの

できる大事な役割を果たしています。

特別支援教育以前から不登校などへのアプローチで豊

かな実践を重ねていますが、最近は特別支援教育の影

に隠れてしまっているのが残念です。

 打ち合わせではかなり多角的にこどもを捉える場にな

りました。

先生達のことばで興味深かったのは、

 「自分たちだけでこどもとケースの話をするとどうも
困難事例ばかりで共感はしあえるが前向きな方向性
になって
いかないのでそれをクリアにする研修会にし
てほしい。」

ということ。

大賛成だったので研修の目標を「終わりを明るく!」にしま

した。

ただよく考えてみると、かなり難しいです。

でも問題解決志向、大切です。

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