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「参加」と発達障害、学校、特別支援教育

 今月のはじめに「保健の先生」という記事を書きました。

事例が届いて準備を進めています。

養護教諭の視点でいろいろな事象をみつめてみると、今

までみえなかったことがいくつか見えてきました。

・新しい参加の困難としての発達障害
 二次障害としての不登校、ひきこもりををまとめてい
て気がついたのですが、不登校、ひきこもりの前に発
達障害には厳然と「参加の困難」が立ちはだかってい
るのです。
 そして、それは、学校や養護教諭にとってはこれまで
外在化としての非行、内在化としての不登校という2種
の参加の困難を抱えるこどもたちがいたのですが、発
達障害はもうひとつの参加の困難といえそうです。
 さらにこの3つ目の参加の困難は、参加できている時
の安定度がそもそも弱いという基盤があり、そのことは
こどもたち自身も、向き合う学校にとってもとても苦しく
なってしまっているということ。

・「参加」を外す方法論は難しい。
 次は養護教諭の声をきいていて感じたことです。
あまりに参加の困難が極端になってしまった時には、一
時的に意図的に参加を外し、大人との関係を基盤にし
ながら存在を肯定し、行為や内容への関心をはさんで、
参加への動機を喚起しつつ、戻っていけるように支援
することが方法論
です。これは鉄則に近い。
 でも、この鉄則、内容や評価にとらわれることの少ない
立場でこどもに向き合う保健の先生であっても実行する
のが難しいようです。
 ①この鉄則なかなか方法論としては容易ではない為
に参加に向けようという校内からの強い要請に抗しきれ
ない。
 ②参加を外してから戻すケアには校内体制が必要だ
けれども、その構築が難しい。
 ③そのため安易に参加を外すと担任もこどもも保健室
に依存してしまう可能性があって踏み切れず、ともかく
ちょっと相手をして教室に帰そうという苦しい対応にな
ってしまいがち。

実質の少ない、不安定な参加の渦の中にこどもたちを巻き

込むことはかえって苦しみを増大することが多いのです。

「とにかく教室に居てくれれば」は大人の都合でしかない。

このことを乗り越えるための文化の創造も必要なのかもしれ

ません。

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