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2010年1月

自分の支援の限界を知る

 支援にはいろいろな立場のヒトが関わります。

相談や支援のありかたも様々です。

そうなってくると、「ケースの抱えている困難はわかるけれ

そのヒトの仕事の範疇では支援できない。」という状態

像が起こってきます。

例えば、相談者は直接支援はできないし、担任でなければ

クラス運営や授業つくりへのアプローチはできないのです。

けっこう当たり前のことですが。

このこと、ひとりひとりの支援者が押さえておくこと、重要だ

と思っています。

 というのも、情熱を持っているメインの支援者でないヒト多

いのですが、その情熱が災いして自分の役割を超えた支援

をしてしまいトラブルが起きたり、できないこと、やらなくても

いいことをやりたい思いが強くなりすぎて他者を攻撃したり、

自分がどうにかなったりしてしまうこと、けっこう多いのです。

支援の入り口が「障害」への熱すぎる思いや感動だったり

するとおこるトラブルはなおさら大きくなってくるのです。

 我々にとって大事なのは「分際を知る」ということだと思

います。

自分の限界設定を十分した上で、自分の仕事の範囲での

最善やテクニックを磨くことに努力したいものです。

このクールさを持っているのがプロフェッショナルなのでしょ

うね。

そして、そんなことをした上でできる努力は以下のようなも

のだと思います。

①情報とネットワークを持っておいてその提供やリフ
ァーができるようにしておく。

②遠回りかもしれないが、メインの支援者を動かすた
めの手立て探しや手立てつくりをする。

③自分の仕事や活動の範囲を拡大していく。

④自分がメインの支援者になるような努力をする。

あるケース会議に出席していて感じたことです。

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新しい就学問題

 ある就学、学籍をめぐる会議でのことです。

中学生のケースのことで議論になりました。

過敏で融通がきかないアスペルガータイプのおこさん。
学習面ではほぼ満点を取っているが、参加ができなく
なってきていて不登校状態を呈している。
就学指導で学校は特別支援学級が適切ではないかと
いう判断をしたそうです。
この判断はどうか?ということです。

勉強できるからこそ学力、学習の保障はどうするのか?と

いう思いが首をもたげます。特別支援学級でそれができる

のかと。

 でも、私は思いました。これでいいのではないかと。

というのも彼が苦しんでいるのは参加の問題であり、それは

学校にこれなくなる程の困難です。

いくら勉強できるからと行って通常の学級に在籍することは

同調圧力が強まり苦しくなる。

ここは小集団で理解ある先生のもとで関係を基盤に学校に

来ることから参加をやり直す。

特別支援学級だから学習の保障ができないのではなく、情

緒・自閉症学級は考え方を変えて必要な個にはどんどん学

習が深められるようにしていったらいいと思うのです。

高機能だが参加が難しいタイプ。

こんなタイプの個、しばしば見かけるようになりました。

「高機能」に着目しすぎてはいけないと思います。

学籍の問題も柔軟にしても悪くないと思います。

なかなか躊躇しますが、一時の移動というのもありうるので

はないかと考えます。

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エピソードを巡って

 ある園の保育実践です。

こどもたちのエピソードを記録し、保育者がその話題を

考察していくというものです。

ここで大事なのは、エピソードを記録することよりも保育

者がそれを考察していくことにあります。

 友達とうまくやれないあるアスペルガータイプのおこさん

ある日、友達との手つなぎを拒否するという事件があった

そうです。理由を聞くと感覚的なことをあげるのだと。

でも、その子の先生は考えています。

前後の脈絡やアクシデントを考えると、単純に感覚過敏

だからで処理し理解するのではなく、関わりたいのにうまく

関われなかったその子の表現が手つなぎの拒否なのだと。

そして、その心のひだに添いたいと。

子を理解するのに特性で表層的理解するのでなく、子ども

としてヒトとしての発達欲求や願いにまで踏み込んでいく。

実に豊かな保育研究です。

この園ではつぶやきひろいにもとりくんでいます。

エピソード記録とナラティブ(語り)の収集。

ただの保育研究でなく、最新の発達研究でもあります。

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大事な価値

前回の記事と同じ教科書からです。「障害のある人たちの進路と社会資源」という領域でその理念が「生きがいをもって、住み慣れた地域で、気の合う仲間とともに、望まれて、暮らし続ける」に変わってきているという記述があります。あっと思ったのは「望まれて」というくだりです。本人の願いが尊重されるということはもちろん、それを本質的に豊かにするためには周りも彼らが地域で選択的に暮らすことを望むことが必要なのです。彼らの生きていく方向彼らの願いは、我々の願いでもあるという思考を育てていく。これは大事な啓蒙啓発の方向性なのでしょう。

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移行支援の勘所

 そろそろそういう時期なので移行支援についての模索を

はじめています。

 最近、支援関係者と、家族と本人が記入するファイル、

移行支援様式の作成提案をしようという仕事をはじめま

した。

毎年繰り返される引き継ぎが上手くいかないという議論

に接していて、「そもそも支援者の移行支援は当てにな

らないのではないか?」という観点に思い当たったのです。

・エンパワメントの視点で考えた時に本質的には本人
と家族が経過と情報とニーズを伝えていくことが本筋。

・伝えたい情報が知りたいことか?伝えたい情報が必要
な情報か?その辺りけっこう支援者次第なのでは?
そんなミスマッチからうまくいかないのでは?

・本当に必要な情報は来る物ではなく、取りに行くもの
では?

・支援者の移行支援は組織や担当者の異動や能力に
影響されやすく、安定的ではない。

・問題解決志向で考えた時に、過去にとらわれた支援
はあんまり能動的ではない。

・また、役所などのケース把握、支援システムづくり、
ファイルつくりがすべて一緒にして議論される傾向が
あるが実は全部、別の話なのでは?

 そう考えると、御家族が経過と情報をまとめて持ってい

てニーズも含めて伝達する。サポートブックやファイル等

もあわせて作成していくことが最も有効だと思うのです。

もちろん、支援者間の連携システムの構築も不可欠です。

ただ、やっぱりそれだけだと片手落ちになる可能性は高い

ように感じています。

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かたい言葉をもう一度探る

 ある本にいいことが書いてあり、はっとしました。

教科書的な本でインテグレーション(統合)とその後出てき

たインクルージョン(包括)について記したものです。

最近はこういう教科書的な本の中に日常の支援のヒントが

案外転がっている気がします。なかなか読み難いですが。

 インクルーシブ教育についての重要な点が挙げられてい

ました。

原則としては

①障害のある子とない子を分けない。

②これまでの教育の問い直しをする。

③柔軟な学習形態をとる。

④ひとりひとりの独自性を尊重する。

があるそうです。

なるほどと思いませんか。

特に大事なのは②これまでの教育の問い直しをする。

ですよね。この言葉の重みをなんだか実感します。

 障害児の支援の現場で暮らしてしばし経ちます。

インクルーシブ教育。最近進んできたように思います。

というのも重度児の統合というインテグレーションはかなり

意図的な働きかけが必要で制度的にも内容的にもかなり

ハードルが高かったのですが、通常の教育、場の中での

存在の気づきとしてはじまった発達障害児の支援は自然に

インクルージョンに向かっています。

世界がつながった感があり、個人的には発達障害のこ

どもたちの存在に感謝しているのです。

我々がなしえなかった垣根を取り払ってくれたのは彼らなの

ですから。

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ソーシャルスキルトレーニングのバックヤード

 最近、ソーシャルスキルトレーニング(以下SST)に触れ

る場面が多くなってきました。

いろんな論調も耳に入ります。

その中で思うのはSSTはそれだけやってもうまくいかない

のではないかということです。以下の3つを思っています。

①他者(大人)に対する基本的な動機付けや初期関係
が成立しているということ。

②セルフ(自己)を支える支援が並行して行われること

③集団つくりや集団の構成員に対する働きかけも行わ
れるということ

 ①はまず初期関係が成立していて、大人との双方向のや
りとりの基礎や感情交流ができているということです。
ラポートでもリレーションでも愛着でも対象恒常性でも言葉
はなんでもいいのですが、ともかく大人との関係性とその関
わりへの動機はあることなのだと思います。まず、受容して
くれ、かなり巧みにあわせてくれる存在である大人との関係
がなりたち、関わりたいという思いがあることは基本のきだ
と思います。

 ②が実は肝だと思っています。
自分の気持ちを表現できること。
自分の状態や特性を理解し、感情や行動のモニタリングや
コントロールできること。
への学びが関わる術としてのSSTとともになければなりたた
ないのです。SSTのプログラムの中にはセルフを育てる、セ
ルフにアプローチする内容も内在していますが、私は積極的
にかなり意識して別立てでとりくんでもいいと感じています。

 ③は発達障害児の支援で強調されつつあることです。
この子たちだけが頑張ってもだめなのです。周りも変わらな
ければ。また、困難を抱えているのはこの子ではなく、周りで
あるということも少なくないのです。
となると、発達障害児に変われというのは不当でしかない。
集団への支援も必須なのです。

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虐待と学校

 児相職員による虐待研修会でのことです。

学校ほど虐待への感度が鈍い所はないんだそうです。

通告が遅れがちなんだそうです。

なんだかわかる気がしました。

今年何件か聞いた話。
生徒指導、家族支援が大変で毎晩23時過ぎまでやってい
るという先生の苦労話でした。
ケースの中身を聞くと、なんでさっさと人を入れてソーシャル
ワークに移行しないのかしらというケースばかり。

①学校は踏ん張りすぎる。
 教員の専門性と責任感はほんとに凄い。
情熱とそのスキルで支援はどんどん深まる。
けれども、虐待はそれでだけじゃ対処できない。社会や家族
の病理と向き合い、「変容」というベクトルだけじゃ解決しない
こともある。そのあたりでどんどん苦しくなってしまうのです。
人とのやりとりは直面しすぎてはいけないと感じます。
誰かをいれて三角にしていくことを早めにしたいもの。

②特別支援の影響かな?
 特別支援教育は新たに対応された学校で踏ん張る視点と
方法論です。そのかなりの部分は虐待対応にも応用できる。
ただ、いけないのはアウトリーチやリファーの視点も持っておか
ないと行き詰まり、こどもの生命が危険になると思います。
そして、教員も追いつめられ傷つきます。

③家族との関係を大切にし過ぎる
 家族支援も大事な教育の一端で、学校がかなり大事にして
いることのひとつです。モンスターなんとかの影響もあり、配慮
も必要。
でも、先にも述べたように家族の病理や困難が虐待につながっ
ていることもあり、まっすぐ向き合ってもらちがあかないこともあ
る。
 そして、気を付けなければならないのは天秤にかけるものの
重さを間違ってしまうこと。
こどもの命と家族との関係を天秤にかけてどっちが重いかを考
えてみたいものです。

虐待はみんなで対応し、防ぐ物です。

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就労支援プログラムのあり方

 就労支援プログラムのありかたについて問われたので

考えを整理しました。

①関係の保障と自己の回復から
 まず思ったのは、まっすぐな就労トレーニングの前にケア
の視点の必要性です。
青年期に至るまで、特性や困難を持ちながらチャレンジし
てくる人たちではありますが、格闘の結果、二次的な困難
も抱えててくることが少なくありません。
「働くために頑張れ」の前に支援者とのラポートを丁寧に作
り、これまでのチャレンジを評価し、がんばりたいけどがん
ばれない姿を肯定し、それでも本人の中にある力を見つけ
出し、本人の願いをくみ取っていく。
ここが就労支援の基盤だと思うのです。

②ソーシャルスキルとセルフを支える支援
 
そして次は仲間との生活を通して就労にもつながる関わ
りと自己を支えたいものです。
ソーシャルスキルトレーニングの方法論をいれてもよいし、
もう少し区切ってライフスキルトレーニングという形のパッケ
ージでもいいかもしれません。
想定される場面と日々の具体的な関わりとエピソードを舞台
にして。
 もう一つ対になるのは自己理解や自己表現、行動感情マ
ネジメント等セルフを支える支援だと思うのです。
やりとりの基盤は自己です。SSTとセルフを支える支援は
対でなければうまくいかないと思うのです。

③アセスメントとジョブマッチング
 あるプログラムやメニューに押し込めるのではなくて、本人
の特性にあった仕事をみつけだしてトレーニングできる体制
が必要だと思います。
就労支援にもアセスメントが必要で、なおかつ大事なのは
本人の選択。
産業構造も変わってきて、今までの就労先であった単純生産
でなく、サービス業やそのバックヤードでの管理、清掃業務等
が就労先になっています。それを支えるトレーニングを組みた
い。

④構造化を就労トレーニングの中に
 
作業分析して本人にあったプロセスで再構築し、指示・手順
書や治具、視覚的な支援ツールを作成してスモールステップで
マネジメントできるようにしていきたい。
幼児期、学齢期で積み重ねられた支援を継続したい。

そのほか
・仲間づくりを支える小集団の経験
・行ってこいだけでないジョブコーチ的支援の導入
・体力や余暇に繋がる体育的プログラム
・自活にむかったライフスキルトレーニング
等々が思い浮かびます。

 幼児期学齢期で培われている支援やアイデアを導入してやっ
ていきたいものですし、こどもたちもこれまで受けた支援をその
ままつなげてうけることで深まっていくはずです。

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センター的支援の限界性

 「センター的機能」という言葉があります。

有名なのは、特別支援教育における特別支援学校の役割

ですが、幼児期などにおいても療育施設を早期支援の中心

にしてという支援体制つくりが進められてきました。

 でも、このセンターをつくって支援を進めていくということに

は限界があると思っています。

①ケースの増大でセンターだけでは機能もキャパも不足

②支援に相性やタイミングがあり、資源の多様性が必要
 ①と②はわかりやすいと思います。できるだけ整理統合、集
約をというこちらの都合のいいようにはいかないのだと思って
います。
福祉教育行政という枠組みをこえたNPOや私塾等様々な形
態のとりくみによって発達の凸凹を抱えたヒトたちの多様なニ
ーズにこたえていく必要がある。 

③これまでの機能を土台にセンターになった機関が、実は
新しいニーズや機能を求められてその機能を果たせない。
 
これはあるものを使って新しい対応をしようとすることで起こ
っています。
例えば、特別支援学校のセンター化といっても容易でないのは、
重度児への支援のノウハウがそのまま地域の高機能タイプの
おこさんへの支援には活かせないのです。
通常学級のクラスつくりやわかりやすい授業つくりには別の専
門性が必要で、そういった提案をするためには特別支援学校
でも専門家、専門部署が必要で傍目が思っているように応用
問題が簡単ではないのです。

私は思っています。

支援の資源はたくさんあった方がいい。

そしてそれとは別に広域な支援や、地域の支援システムの構

築をする機関は機関で用意していく。ただ、その機関に機能や

権限やキャパが集中することは意味がないのだと。

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啓蒙啓発と研修のゆくえ

 ある専門機関の先生とお話ししたことです。

我々と同じく地域にむけて研修などを広く提供している

専門的機関です。

 提供する研修の中身や方法をかえていきたいよねえと

いうお話になりました。

もう「発達障害とは?」というような内容ではないのでは

ということで一致しました。

やっている、やってみた支援の中身を検討し確認する研

修会とか、あらゆる生活の場面で困難に直面し、あらゆる

生活の場面で成長するヒトたちなのだからその生活や場面に

ついて語ったり違う切り口でみた時に、「発達障害とは?」

が気づければいいのかもしれないねということです。

それぞれが今年度取り組んだ研修では、災害時の生活、支援

のありかた、ストレスマネジメント、スクールソーシャルワーク

等がありました。そのまんま啓蒙、発達障害ではないものです。

 そんなしつらえが大事なのにはいくつかの理由があります。

研修提供側のモチベーションの問題がひとつ。

こどもたちの存在保障のためには啓蒙啓発は必須ですが、

「いつまで啓蒙啓発なの?」という状況ではちょっとこっちも

頑張れない。

 もうひとつは啓蒙啓発でやらねばならぬ内容の問題。

要は「発達障害とは?」をやると、苦手や困難などうまくない

所ばっかりを説明せざるをえないのです。それが耐えられない。

 さらには、やっているヒトをもっと支える場の不足。

そうなのです。みんな学びたくなってきたのはいいのですが、

玉石混淆ではどうもぶれていく。困難の幅が広く深くなってい

ます。支援の方法論や資源も多様。そこにあってやれること、

できること、現場の状況とは関係なくやるべきことの探求も

必要です。自閉症・発達障害研究、実践の深まりの中で、

いろんな切り口を知っていなければなりませんし、次の一手

の模索も必要です。いつまでも啓蒙の場で足踏みしても

いられないのです。

もっと勉強したいヒトを支える場もつくる必要はあります。

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外野からの余計なひとこと

 外野からの、現場の熱心なとりくみをちょっと無視した

余計なひとこといろいろです。

・ある校長先生の名言です。
「勉強できなくても勉強嫌いじゃない子にしたいよねえ。」
フィーリングはとっても賛成だけど至難の技ですよねえ。
この先生、おまけに「勉強できるだけが能じゃないと思うし
そのうち時間が解決することもあるのだろけどねえ。」
とおっしゃるので、先生と私(巡回相談員)の立場だから
言えることで担任の先生には絶対言えないですよねえと
2人で苦笑。

・ある学校のグランドデザイン図をみて、ふと思ってしまった
ことです。「~できる子」「~する姿勢を」が一杯書いてある
のですが、今の時代はそういう取り組みや学びの以前の
「こどもの存在保障」が脅かされているなあという気がします。
先生達がこんな子に、こんな学校をの前にことが…

・あるクラスの目標です。
「よく反応しよう。」「授業は自分たちで作ろう。」
「このクラスでしかできない授業をつくろう。」等々
そして、とてもいいクラスなのです。
でも、何か違和感が…
うまいえないのですがなんだか生活実感がなく嘘くさいのです。
先生があってほしい、とってもきれいなクラス、とってもきれいな
こどもたち。
あと、こどもって頑張らないといけないんですね。

すいません、外野からのすねたコメント集です。

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ベテランの悩み

 前回の続きです。

視覚化、構造化にとりくんでくれはじめているベテラン支援

者にいつも尋ねられることがあります。

「こうした支援を外すタイミングはどこか?」

「こうした支援がなければ生きていけなくなってしまうの
では?」

この疑問わからない訳ではないのですが、実践が深まって

くると卒業できます。

 ずっと使い続けていくと、必要なこどもはそれを継続的に

必要とし、一方クリアできたこどもは卒業して使わなくなって

いくのです。ということは使う使わないは実はこどもたちに属

している事柄なのです。

我々はただこどもたちのわかりやすい明日のために、視覚支

援、構造化を続けていく。そのことでかなりの数の、今までの

刺激の提示方法ではなかなか参加しにくかったこどもたちが

救われていく。

私は眼鏡着用なのですが、もはや同じようなものだと思う

のです。必須のヒトとそうでないヒトが居て、必須のヒトが

用いていることも広く認知されていて世間で肯定されている。

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ベテランのつぶやき

 ベテラン保育士さんが思考をかえて視覚支援、構造化

をかなり熱心にとりくんでいる園を訪問した時のことです。

「なかなか先生達クラスの支援者の視点の転換は容
易ではないのに、よくやっていますねえ。」

とつぶやいた所、ある先生が視点転換できないヒトの気持

ちがわかるというのです。

そうした特性に応じた支援開始の黎明期、見せたり刺激を

コントロールする支援をはじめたよそのクラスの担任を見て

「どうしてそこまでする必要があるのか?」と思ったのだそう

です。「言えばいいのに…」と。

でも、クラス運営がそう簡単ではなくなってきて、園内全体の

とりくみが進む中で自分自身もやってみた。

すると、こどもにとっては「言う」と「見る」の意味は違っていた。

だから、とりくんでみている。

 そうなのです。私も思うのです。

「ダメ」というのと×をみせるのとは同じなのだけれど、ある

タイプの子にとってはまるで違う。

このことを発見できるか。そして、クラスの中で少なからず存在

するこうしたタイプの子に添うという気持ちになれるかどうかが

鍵なのかもしれません。

ただ、この鍵は個人に属するものでそれをどう揺り動かすかは

我々の役割なのだろうなと感じました。

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中学生に必要なこと

 ケースのまとめやら、いろんな資料を繰る作業をしていて

気づいたことです。

中学生への支援のことです。

ひとことで特別支援教育といっても小学校のそれと中学校

のそれとは別のしろものであると私は思っています。

思春期になると、障害の影響よりもどう過ごしたかの影響

がかなり顕著になります。もともと持っている特性はどちら

かというとそんなに目立たなくなる。

そして、自己が育つ時期になってきます。

高学年以降は心の理論課題を通過し、他者の視点や自己

対象化できるようにこの子たちもなってくるといいます。

パースペクティブの成立とでもいうのでしょうか。

そこで「みんなと違う自分」「うまくいかない自分」に気づく。

そうなのです。

この時期、自分の特性理解や障害理解受容に方向づ

けたい。

大人はかなり気をつかいますが、こどもは知りたい情報なの

で案外サッと入っていくようです。

そして、大人が思っているより予備情報もあって「知ってい

たよ。」なってことも少なくないようです。

うまくいかない自分だけど大事な自分。大事なあなた。を一

緒に、遠くから援助しながらつくりあげていくシーズン到来なの

でしょう。

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「有るもので勝負!」

 ここ何日かで思い返したことです。

先週の新聞報道で自閉症の脳の組成や器質分析の話が

出ていましたが、我々がやはり押さえておかねばならない

ことがあるように思います。

それは、「障害」を持っているということはある種、発達可

能性に限界があり、「障害」がこどもたちのありようを規定

しているということです。

 なぜ、こんなことを言い出すか。

以前に比べたら発達障害等に対する理解は進んできまし

た。支援の手立ては情報としてたくさん提案されています。

本屋さんにいけばたくさんたくさん関連書籍があります。

・教えればすべては解決?

・対処すればいいのだろうか?

 いろんな特性を持ちながらも適応したいと努力するこども

たちですが、ストレスに対して脆弱で、心的外傷の記憶を

引きずりやすかったり、不安やネガティブな印象を蓄積しや

すい存在です。

だからこそ、頑張ってもらう方向や程度に調整が必要だ

と思うのです。

支援と理解は進んできています。放置するよりはいいだろう。

養育の問題にするよりはいいだろう。

あるべき方向がまだまだ大人のあってほしい方向であったり

大人がクラスを回していくための対処でしかないのでは?

子育ての方向が「できる人間」「わかる存在」「迷惑かけない

ヒト」の養成でしかまだまだないのでは?

持ってないヒトに持て持てと言わない。

・持ってなくてもやれる場つくりが肝要。

・持ってることを前提にした場ではなくて、持っていない
ヒトがいることも想定した場つくり。

・人間もっているもので勝負。

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障害理解教育の必要性とありかた

 まわりとの関係性をめぐって障害理解教育も特別支援

教育とセットになってきているような気がしています。

発達課題を抱える子本人へのアプローチだけでは立ちゆ

かなくなってきており、クラスつくりやユニバーサルデザイン

が必須になってきていることと呼応しています。

 ただ、これは「クラスの○○さんには△△障害があって」

という形の啓蒙啓発や「世の中には…」というような福祉教

育とは違う発想が必要になってきています。

ここにも「発達凸凹」という考え方を土台においた語りが必

ということです。

そして、連動してもうひとつ、「自分について」ということに目

をむける必要がありそうです。

・我々には得意不得意がある。

・みんなの中にも内在している。

・自分の中のそれと他者のそれを認めていこう。

・できないことできないヒトの現時点の肯定。

・道具や支援によってそれは克服できるかもしれない。

・克服できなくても得意や好きや代償で補えば…

・ひとりひとりの力が平均的であるとか、すべて優れて
いるなんてことはない。

・自分にないものを他者が持っていることもある。

・認め合っていこう、支え合っていこう。繋がっていこう。

おおざっぱにはこんな展開になるでしょうか?

もうこうなると障害理解という小さな話ではなくなってきます。

セルフをどう育てていくかと、ICFの「参加」の視点を持ってと

いうこと、それから進路や自己決定の話にもなってきます。

なかなか奧が深くて素敵な学びだと思います。

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帰り道のトラブル

 ある事例検討会でのこと。

帰宅をめぐって友達との関係性がこじれているというのです。

聞いてみると、友達と帰るという学校の決まり事がトラブ

ルをさらに悪化させていますし、帰らなければならない、

帰ってもらっている関係がお互いの苦しさにもつながって

いるようにしかみえません。

 参加、やりとりが難しいこどもたちです。

こどもたちだけで過ごす登下校がうまくいくはずはありません。

けれども、その時間帯は大人の生活の都合上、家族も教員

も支援が行き届かない。本腰が入らない。正直、そこで時間

を取られたくない。だから、こどもたちにお任せ、お願いします

ということになりがちですが、今回は大人の都合がこどもたち

を結構苦しめているなと思いました。

事例検討では…

・帰宅の約束の取り交わしが安定しないというのでそこは
スケジュールの視覚的管理を。

・放課後の支援や、生活支援サービスを使ったり、将来の
自主通学に向けたトレーニングという意味合いをみつけて、
様々なメニューで帰り道を組み立て、友達任せの下校のト
ラブル軽減。

・そもそもの学校における下校ルールの見直しや確認。

・世話がやけるヒトと帰ってくれている労をねぎらう機会と、
個性障害理解啓発を対に

などがあがりました。

こどもは生活のあらゆる場面で困難に直面し、その
あらゆる場面に支援が必要。
そして、生活のあらゆる場面で成長発達していく…

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入学準備というものがあるとすれば…

 前回の記事の続きかも知れません。

ちょっと前に似たことを書きましたが、年長さんの秋以降入

学前につけておきたいとは?とよく問われます。

本質的にはそんなのない訳で、答えるべきでもないのだと

思いますが最近はそうはいってもいくつかあげるようにして

います。

あげてみて分かったのは結局は入学準備以前に育ちを押さ

えた支援がしっかり必要だということでした。

通常の学級、特別支援学級でなんとか過ごせる土台となり

そうなことあげてみます。

・援助を求めるスキル
 
これは特に重要だと思います。~できる、わかるは正
直能力差はあります。届く所はそれぞれ。とにかく大人
に動機があり、困ったら困ったと言えて援助を求めるこ
とができるとたいていのことは助けてもらえるのです。

・なんとか生活をマネジメントする力
 
まあ、身辺自立ができていること。
具体的には繰り返しの手続きは場面や状況ができれば
ひととおりなりたち、3~5つ程度の手順のあるプロセス
もこなせること。
具体的な経験のある動作なら言語的指示でやり遂げら
れること。
自分の物の管理がまあできること。
細部の仕上げや注意喚起は必要でもなんとかやっていけ
ること。

・本人に添った伝え方をすれば短時間の「みる、まつ、
きく」がとれること。
 
言葉だけに頼りすぎず見ることにも支えられ、注目集中
しやすい環境が与えられ、適切なプロセスやステップが用意
されれば、活動への動機があり、まあ参加できること。

どうでしょう?

全部、基盤となる育ちは年長さん以前の深い所で用意さ

れていなければならないものばかりです。

関係への意思、生活への意思がちゃんと育つ保育をする

こと。これが入学準備だと思います。

 そして、最も大事なのはどんな子でも年長さんの成長が

あるということです。重い子でも重い子なりの年長さんの成

熟が必ずどこにもあります。それは確か。

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1年生になるのだけれど…

 今日は新年の支援の初日。

療育に通ってきている年長さんのおかあさんたちが口々

に就学の心配をお話していかれました。

年が明けて学校が現実的に感じられる時期が来たのです。

でもねえ、おかあさん。

・年あけ大人が世話を焼いたら「自分でやる!」って断られま
したよ。

・お昼寝のお布団敷き、なんにも言わないのに手伝って
くれました。シーツのはしっこ持てだってよ。

・自我が育ってきてちょっと手を出すと「うるちゃい!」と
言っていた子がにこにこ援助を求めてきました。

・学校の暮らしの方がはまる子だっているんです。
内容がはっきりしていて5回切り替えがあった方が。
園児の時には先生がひとりついていた子が立派に小学生
やっているのをたくさん知っています。

・心配とは良いながらも去年と今は違うよね。
その前はもっと大変だったよね。
だから、きっとこの先も変わっていくはず。

・引き継ぎもちろん丁寧にやります。検査の情報も持って
いこう。落ち着いたら学校も見に行こう。
小学生のフォローアップのもちろんやるやる。

まあまあ心配だけど、行ってみようよ小学校。

一緒に心配しますから…一緒にバタバタしますから。

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自我とこだわり

 年明け初日、前の学期のまとめやらこの後のプランを

たてていてこどもたちの姿がみえてきました。

なんだか大きくなって主張性や自分でやりたい思いが出て

きたこどもたち。自分が育ってきたのはうれしいことです。

 けれども、ちょっと待てよと感じる場面多数。

発達障害のこどもたちの自我の育ちには検討が必要だと

感じています。

というのも、自我の育ちとこだわりや自己の興味や自己中

心性とのかねあいがけっこう微妙なのです。

よくみていると、「自分が育ってきたね。」じゃなくて、「一方

だしが強まってきたね。」だったり「折り合いをつけにくくな

ってきたね。」という場面が少なくありません。

ここはしっかり眺めておきたい所。

時と場合によっては無条件の尊重が危ない場合もけっこう

あります。

難しいのは、自閉症スペクトラムのこどもたちにとって「こだ

わり」という言葉で表現される彼らの感じ方は彼らの存在を

規定しまうこともけっこうあって、この子から「こだわり」をとっ

たら自己表現がなくなってしまうという子も少なからずいます。

 となると、子育ての目的のひとつは、「こだわり」を否定せず

に「こだわり」と隣接するように、時には対になるように、時に

は乗り越えるように個性を育てること。生活や人生を選びと

れる彼、彼女そのものを育てることではないのだと思います。

発達障害のこどもたちのもつ味は「こだわり」という言葉に

代表される彼らの世界です。これを無くしちゃつまらないが

それだけじゃあ、生きにくい。

そんな所でしょうか。

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あけましておめでとうございます-「龍馬伝」はじまりの日に-

 あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いします。

寒い寒い年明けになりましたね。

寒さにも慣れた正月3日、今日はちょっと出かけようかと

思っています。

 さて、新春の書き出し、何の話題にしようかと考えていま

したが、今日からはじめる大河ドラマをトピックに書き起こ

していきます。

大河ドラマ、いつも見ているような見ていないような感じで

そう熱心な視聴者でもありませんが、今年の「龍馬伝」ち

ょっと楽しみにしています。

主演の福山雅治さん、嫌いじゃありませんし、「坂本龍馬」

には興味があるのです。といっても龍馬ファンではありませ

ん。そもそもみんなが好きというだけでイヤになってしまう

あまのじゃく体質の私です。どうしてみんなが坂本龍馬大好

きなのかとっても興味があるのです。歴史的にみて何か大

きな実績を残した訳ではありませんし、彼が初めてした!と

いうことのいくつかは勝海舟の2番煎じだったりすることも

少なくありません。どうしてなんでしょう?

 夕べ、予告編をかねたテレビをみていてはたと気づいたの

です。坂本龍馬の魅力は、当時から今まで彼のなしたことで

はなくて、彼の人柄にあるのではないかと…

どうにもこうにも、彼の提案よりも人好きでチャーミングな彼

の魅力に惹かれていってしまう。当時で言えば「あいつの言う

ことなら聞いてみるか。」という風な感じに巻き込まれていって

しまったのではないかと。

 坂本龍馬は発達障害ではなかったのかという人がいます。

私もひょっとしたら…と思っています。

幼少期のぐずぐずエピソードを聞けば、その可能性はなきにしも

らずです。むしろ、そんな感じのヒトだったからこそ幕末の膠着し

た時代にみんなの考えなかったことを考え出したのかもしれませ

ん。彼も発達の嶺と谷を持ちながらもその力で世の中を変えた

天才のひとりかもしれません。

「龍馬伝」楽しみにしています。

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