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2010年3月

必要な「荒れ」もある。

 春休み。

帰省していくこどもたちもいます。

あるケースです。

待望の一時帰省をしました。

とんでもなくひどい家庭で、虐待から保護されたおこさん

です。一時帰省は本人の願いですが、期待と不安が入り

交じり帰省前はみんなの前で大暴れ、職員には八つ当た

りでした。

喜々として帰っていきましたが、我が社に戻ってきて大暴

れ。本人は多くを語りませんが、楽しかったのはつかの間

で本人が期待していた帰省とは家族とはやはり違っていた

ようです。残念。本当に残念。

 不適切な養育、虐待ケースの支援の基本的な方向性は

家族再統合です。でも、このケースのようにそうでないかも

しれないこともあります。ひょっとしたら再統合ではなく、決

別を支えていく必要があるかもしれない。

けれども、どんな家族でも家族です。

本人が家族の困難を受け止めて、引き受けていくことはそ

んな容易な作業ではありません。

なんとなく力をつけてきてこの子の荒れを焦らず困らずに

みている我が社のチームを見ていて思ったこと。

この荒れは許してやってほしい。

どうか荒れさせてやってほしい。

本人だってそのよろしくないことぐらいわかっている。でも、

簡単には引き受けられないはしない。

こうやって暴れながら何かを探していく時期もあるのだろう。

こうやって暴れながらこの子はレジリエンス(回復力、なんと

かやっていく力)をつけていくのだろう。

行動問題はまずは起こらないようにすべきです。

起こったら立ち直りを支えるべきです。

でも、こうやって何かを見つけていく時期もあります。

これを受け止めるのも支援者の力と思います。

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新人職員との出会い

 我が社にも新しい職員が来ます。

古いヒトとして思うのは新鮮な感覚や常識的な感覚で施設

の生活を見て欲しいと思うのです。そして、疑問は提示して

欲しい。

古いヒトたちもそのことを受け入れるとともに現状や理由を

ちゃんと説明していく力を持ちたいし、見直すべきは見直し

ていきたいと思います。

 そもそも、まず支援現場で行われていることが世間の状

況や方法と解離していないこと。目的的に行われ、第3者

にちゃんと説明できること。これが大事だと思っています。

 支援者は言葉に力が必要。

毎年思うのは、知らない言葉や考え方はあるもので新しい

言葉が見つかった時にリフレームが起こり、世界は変わる

のです。言葉探しは必要ですね。

 それから、目的的に支援が行われることの大事さは、そう

しているからこそ支援の見直しが容易にできるのです。

状況が変わったら目的と手段は変えなくてはならない。

なんとなくやっているのではないからこそできることです。

ただ、そこには状況を説明する言葉と、目的を明確に語り

通じる言葉と誰もが納得できる方法論が言葉で語られなく

てはならない。

目的的で、折衷主義で暮らしている私は、場合によっては

自分たちのやっていることの枠組みや状況を全部変えてし

まってもいいのかなと思っています。

 新人さんに覚えて欲しいことは、仕事じゃありません。

こんな風に支援を組み立てていくこと。

その前にこどもと寄り添い、振り回されながら大人としての

役割や大人としての自分を確かに知ること。

楽しみです。

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タイムアウト、クールダウンのこつ

 激しい感情や行動の表出に対処するタイムアウト、クー

ルダウンという方法があります。

発達障害のこどもたちの特性がわかってくるとこういう方

法も支え方のひとつであることが痛感されてきます。

時には言葉かけや説諭、「優しく抱きしめる」が意味では

なく作用することを知ってくるとこの2つは大切な技術の

ひとつです。ただ、これは非常に難しいのです。

 ポイントとおもわれるものをあげます。

まずは基本的な考え方は

 「刺激と関係から離す」

               ということだと思うのです。

そして、そのために必要なのは主に5つ

 ①大人がクールダウンすること
 ②刺激から外れた沈静環境をつくること
 ③ことばを削ること
 ④身体接触を外すこと
 ⑤おさまったら添う。方向付ける
 ⑥契約しておく必要性。
 

①大人がクールダウンすること
 
タイムアウト、クールダウンが必要な場面は激しい場面
なのでたいてい大人もそれに巻き込まれ興奮したり、こど
もの行動に憤慨しています。
これがそもそもうまくいかない原因を生み出します。
よくこつとしてお話するのは「相手を酔っぱらいだと思う。」
ことです。酔っぱらいにヒトの道は説きませんし、怒りをぶ
つけはしません。しょうがないなと思いながら介抱する。
そのぐらいがタイムアウト、クールダウンはうまくいく気が
します。

②刺激から外れた沈静環境をつくること
 
みんなのそばや教室の中でやろうとすることがあります
が、これはほぼ失敗します。
みんなに見られていることの意識や自尊感情、参加したい
意識は興奮にこそ向かえ沈静には向かってはいかないの
です。
余計な刺激のない、安全な場所に一時離れることが必要
なのです。
意味は興奮をとるだけではなく、そのふるまいでは参加で
きないから調整しようというメッセージがあります。
ただそのことを言葉という刺激で伝えることはこどもの状
況によってはやめたほうがいいかもしれません。
そして、用意すべき環境ですが、こどもがそう荒れていな
い場合のクールダウンには弛緩が必要で、かなり表出が
激しくなっている場合にはむしろ姿勢の管理をしてあげた
方がうまくいくことがあります。
静かな所で、隅っこで、大人がそれなりの距離を置いて
見守る
という環境です。
そして、静かな所で落ち着きなさいだけではなく、自己コン
トロールに向けたフィードバックが基本的には必要だと思
っています。

③ことばを削ること
 これがまず必要です。
大人のクールさ、無刺激性をこどもに伝染させていくつも
りで向き合います。静かにさせるには静かになる。
沈静に向かっての指示をいくつかする他はほぼ無言がい
いのかもしれません。大人も座位をとるべきでは?
無言だけどまなざしはある。
聴取や指示や行動調整は興奮がとれてからすることなの
でここではみんなから離して話を聞こうなんて思ってはダ
メなのです。

④身体接触を外すこと
 
暴れているのを押さえようとしたり、小さい子の場合は抱
いてあやしたくなりますがそのことさえも止めた方がいいと
思います。
触られているということはそこに関係が生じており、刺激を
与えていることになり、実はうまくいかないのです。
刺激と関係を絶って沈静化と自己コントロールに向かうた
めにはそんなこともポイントだと思います。

⑤おさまったら添う、方向付ける
 
落ち着いたら振り返りやどうすればよかったかを確認す
る場面は必須ですがここにもこつがいります。
指示や調整から入りたくなりますが、こどもの言い分をま
ずはききたいものです。
ただ、言い分はあっても表現はよくない状況に用いること
は多いのでききすぎないでどうすべきだったかに早めに方
向づける方がうまくいく気がします。

⑥契約しておく必要性
 
最初に書くべきでしたがクールダウン、タイムアウトは事前
に契約しておく必要性があります。
うまくいくための方法論としてこどもとこうしようと話しておき、
明示しておく。

長々書きましたが、有効で必要で難しい方法論です。

ちょっと枯れてきてうまくできることが少しだけ増えてきました。

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「この子もそうじゃないかしら?」に寄り添う。

 家族例、きょうだい例が珍しくなくなってきました。

健診やその後のフォローの場でもきょうだいが発達障害

で、その子もことばが遅くて…というケースがいくつかあり

ました。たまたま、そうではありませんでしたが多くを考え

ます。

・家族に知識と経験があるからこそ質を捉えた評価が
必要

 共感性や自我の育ち、言葉の中身という発達障害っぽさ
でない育ちの全体像をみて御家族の心配に共感し一緒に
心配していく必要がありそうです。

・ひとりひとりの育ちと考えて対応を組み、ただしそれを
回す家族の生活マネジメントに合わせてメニュー提示
 
リスクがあったとしても育ちはひとりひとり違います。単純
にきょうだいが通ってきたメニューを提示してよいかについ
ては検討が必要です。「この子もか…」という切ない思いも
抱えてしまう御家族のことを考えたい。
ひとりひとりのあらわれや子育てについてひとつひとつ対応
したいものです。。
 そして、複数のおこさんを支えるメニューを御家族がこなさ
ければならなくなってきます。「こなせる」メニューを提案した
いものです。
「やったほうがいいけどできない」メニューは提案すべきでは
ないのかもしれません。まあ、少なくとも情報提供はすべきか
もしれませんが、できないことを共有し次善のメニューに行こ
うということは分かちあいたい。
 さらには上のきょうだいの生活支援なども話題にはあげて
いくことが深まる「共に」につながる気がします。

・家族の意志の尊重が重要
 御家族がどうしたいか?が何より重要。
心配ない育ちであってもそのことが明確になる時期まで繋が
っていく必要はありそうです。相談やフォローアップの場には
つなげていきたい。
いろんなサービスや資源の利用についても同様です。
できるかやるかは御家族が決めること、御自分でそれを決め
て進んでいった御家族は何かをみつけていかれるようです。

大事なことは…

ひとりひとりのこどもたちに添いたい。

さらにもうひとりを抱えてチャレンジしようとする御家族に添い

たいというこちらの思いひとつ。

ひとつひとつの人生を大事にして添っていきたい。

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意図性のもうひとつの形

 年度末。

振り返りと次年度の準備です。

「やれやれ」と「さあ!」が交錯する所です。

意図的に関わるというのが支援の基本ですが、それはわか

っているけど案外大きな所を忘れがちだと気づきました。

それは、時間や1年の流れをみつめておくこと。

 というのも、1年の生活の流れ、展開は四季や行事に左右

されながらも学年毎にほぼ同様。そこに新規への弱さや環境

の変化への弱さ、新しいチャレンジへの挑戦や繰り返しの中

での成長、トラブルやアクシデントが織り込まれていきます。

つきあいが長くなってくると1年の過ごし方やあらわれのサイ

クルのようなものが見えてきます。おまけに大人の仕事状況

もそこに連動してきます。

・この時期にはこんなチャレンジしたい。
・この時期のこの行事はこの個にとって鬼門。
・この時期のこの学びの中で充実を。
・この時期、私は忙しく構ってやれない可能性。
・この個は暑さにやられる。
・クラスがかわってあいつ、どうにかなる。
・という時間を過ごしてきたけど新年度はやれるかも。
・という時間を過ごしてきたけど今度は揺らしてみよう。

こういうことも実はかなり予測して意図的にやれるものです。

でも、案外そのあたりノープランで向かってしまったり、続いて

いなかったりでこどもたちに苦労掛けてしまう。

1年のサイクル、時間軸を見つめる中でこどもと支援者の

生活イメージを押さえておく。大事ですね。

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知っておくべき3つの切り口③

 珍しく続きものの記事も3回目です。

③行動理解
 
行動理解の方法論=応用行動分析的視点もぜひ
押さえておきたいものです。
我々が知っておきたいのは、行動には原因がある、
行動には意味があるということ。
①の所でも書きましたが、ADHDである。PDDであ
るというような説明概念のみでこどもたちを理解しよ
うというのは危険なのです。
「落ち着きがない」中身をちゃんとみていく必要があ
る。
いつ、どこで、どのような条件の時に動いてしまうの
か?逆で止まっている時はどのような時か?
こうやってこどものみていくことがこどもを変えるチャ
ンスを見つけることにつながり、失敗させない、成功
経験を意図的にプレゼントすることにつながるので
す。

 もうひとつ行動理解の方法論を知っておくことの大
事さとして思うのは、支援者の思いこみによる支援
の停滞や支援の未実施を防げる可能性です。
行動は客観的な指標であり、事実であり、「私がこう
考える」によって支援がゆがむことが防げる気がし
ます。

 また、クールさという点では、価値や言葉の理解、情
緒的なものの理解が弱い発達障害児にとって、事実
を評価とする契約や見て分かるトークンエコノミーは
彼らに通じる手だてとして有効だと思うのです。

 さて、支援者が知っておきたい3つの切り口をなぜ、

それが必要かまとめてきました。

「どんな困難にもそれを支援する技術はある。」という

ことを思っています。私は折衷主義者です。こどもにと

って必要でいいことならなんでもやってみたい。

一芸万道なんてこともいいますが、ひとつの方法論に

固執するとそこには絶対に限界や過不足があります。

時には大人のこだわりでひっこみがつかなくなったり、

手だてがあるのに支援されないことが起こってしまう。

それはおかしい。

我々は実践者です。間口は広くもっておきたい。

今回の3つの切り口は基本のつもりです。

これは今後もっと増えていくかもしれません。

それでもいいと思っています。

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知っておくべき3つの切り口②

 前回の記事の続きです。

支援者が支援のために押さえておきたい視点を整理して

います。今回は②発達です。なんといってもブログタイトル

「発達」が教えてくれることですから、力が入ります(笑)

 ②発達
 
実は「発達」理解の視点が最も遅れていると思うのです。
障害と接するのにそれを理解するのは当然で、行動につ
いて応用行動分析チームの奮闘で発達障害児の支援に
おける普及度は劇的に増しています。

 発達を知るということはどういうことか。
ちょうど障害と行動の間を知るということなのだと思います。
発達は構造です。
ある時期のこどもの育ちの質です。
そのことによりこどもの姿はかなり規定されています。
この子はこのステップにいるから、こんな思考をする、こん
な働きかけをするといった構造の理解です。
対比的に見ると、障害はこの障害があるからこんな思考が
できない、こんな働きかけができないという構造です。
行動理解とは、そのひとつひとつの構造をつくる要素を見
つめてよきあらわれを紡ぎ出していこうとする態度だと思
います。

 世間は「こどもをみているヒトはこどもの育ちについては
わかっているはず」と思ってくれています。
ところが、支援者は自分のみているこどもの育ちの質と構
造を語れない。
実はこれはとんでもなくゆゆしきことなのだと思います。
これは集団主義と経験主義が作り出してしまった子育て現
場の闇なのだと感じています。
課題や活動、学習が毎年やっているから、みんなやってい
るから、上の方から降りてくるからでその意味やなぜやるか
、なぜできるか、なぜ必要かが検討されないで日々が過ご
されているので子育てに従事しているヒトがこどもの育ちを
知らないというとんでもないことが起こるのだと思っています。

 さて、発達を知るという作業のポイントはひとつには対人
関係の育ちを知ることなのだと思っています。
発達はヒトの全体的構造ですが、全体を知ることは難しく、
おそらく無理(笑)。ですから、ヒトの育ちの基盤となる対人
関係の育ちの質、構造、質的転換を知ろうとすることが意
味があります。

とはいえ、子育てのどの時期に従事するかによって知って
おくべき分野は違うのかも知れません。
 ・大人との関係の質や参加の初期段階までを押さえてお
きたいのは保育園、幼稚園、療育、学齢期も重度児に接
するスタッフ。
以前は3才までの質をしっかり捉えておけば幼児期の現場
はつとまりましたが、高機能群のこどもたちの増加で初期
参加につまづく状況をみるとその育ちの世界まで押さえた
い。
 ・初期発達から集団の質がギャング、チャム、ピアと変わ
っていくのをとらえておきたいのは学齢期の支援者。
 ・あわせて我々は自己自我の育ちの変化を知っておきた
い。自己主張や自己表現、自己理解の分野がそれを教え
てくれます。
 ・また、虐待臨床や二次障害、精神障害の理解の中で、
愛着や見捨てられ不安を通して大人との関係の質や初期
発達の構造を知ることができます。
なんのことはない、結局、いろんな切り口でけっこう色々知
っていたいものですね。

 それから、知っておくべき発達の理論はなんだろうかと迷
うかもしれませんが、通底しているものがあるのでその根底
がみれればよいのだと思っています。かじっておきたいのは
田中昌人さん(白石正久さん)、宇佐川浩さん、太田ステージ、
ピアジェですかね。

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知っておくべき3つの切り口①

 支援のために知っておくべき考え方、まとめておく必要

があるなとふと思ったのです。

たぶん、それは3つ。

①障害②発達③行動理解

そして、この3つは3つとも知っていないとまとまった支援

にならないのだと思います。まとめて3つを知っておくこと

が必須なのでしょう。

①障害
 障害の特性の概略は知っておきたいもの。
こどものあらわれと○○障害というものは…を照らし合わ
せて確認しておきたいものです。
これは出会うケースの多さだけでなく、こどもをじっくり見つ
めることも大事です。
気を付けなければならないのは、○○障害を知ることが障
害児の支援を知ることと勘違いしてしまうことがあります。
こどもの困難の原因をすべて障害に帰結してしまうことが
あります。
障害という説明概念ですべてを捉えることはできません。
その子をそうさせている理由は障害だけではないということ
を知っておきたい。
 また、発達障害の理解で大事なのは、そう簡単に障害が
理解されるものではないという理解かもしれません。
障害、困難、認知特性と言われるものは本当に多様でわか
っていないこともたくさんあります。
ひとつひとつを知った上で、それぞれの障害を通底する「発
達障害とは?」「発達の凸凹とは?」をまとめておさえておく
必要がありそうです。
おそらく数年後には、今の障害のくくりは変わってきそうです。
理解の上では今のカテゴリーで理解しておくとわかりやすい
ではないかと思います。

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お定め書きにもこう書いてありますけれど

 どうにもこうにもわかってもらえない私立幼稚園があり、

言葉と手だてを探しています。あんまり腹が立ったので

私立幼稚園だって発達障害のこどもたちの特性にあった

保育教育をしなきゃならない根拠ってないのかと関連法規

を探してみました。

 まずは発達障害者支援法から

第4条  国民の責務)国民は、発達障害者の福祉につ
いて理解を深めるとともに、社会連帯の理念に基づき、
発達障害者が社会経済活動に参加しようとする努力に
対し、協力するように努めなければならない。

国や地方公共団体の役割を定めた法律なので弱いです。
関係があるとすれば国民の責務でしょうか。でも、弱いな。

続いて学校教育法、特別支援教育関連です。

第75条 1 小学校、中学校、高等学校、中等教育学
校及び幼稚園においては、次項各号のいずれかに該当
する児童、生徒及び幼児その他教育上特別の支援を必
要とする児童、生徒及び幼児に対し、文部科学大臣の定
めるところにより、障害による学習上又は生活上の困難
を克服するための教育を行うものとする。

直接関連条文なので明確に書いてありますね。

続いて教育基本法
第六条  (学校教育)法律に定める学校は、公の性質
を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に
定め
る法人のみが、これを設置することができる。
 前項の学校においては、教育の目標が達成される
よう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的
な教育が組織的に行われなければならない。この場合
において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必
要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組
む意欲を高めることを重視して行われなければならない。
学校教育法の幼稚園関連部分もみてみます。
第二二条 幼稚園は、義務教育及びその後の教育の基
礎を
培うものとして、幼児を保育し、幼児の健やかな成
長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助
長することを目的とする。
さらには幼稚園教育要領

1章  総則
(3)  幼児の発達は,心身の諸側面が相互に関連し合
い,多様な経過をたどって成し遂げられていくものであ
ること,

また,幼児の生活経験がそれぞれ異なることなどを考
慮して,
幼児一人一人の特性に応じ,発達の課題に即
した指導を行うようにすること。

こうやってみると、私立幼稚園であっても発達障害児に対す
る教育を行う責任は確かにあることがわかりました。
幼児期の教育全体の中で個別的に個の発達にあった教育
が求められているのは確かです。
私立幼稚園の「方針」よりも前にやらねばならないことがある。
まあ、ただ難しいのは、そこに居る発達障害児をただみている
だけでも、特性を無視してただ追いかけ回していても、定めら
れたことをやっていると言い抜けられるのですね、きっと。
諸々のやらねばならない状況をつくることと、やりたい気持ちを
育てることの両面が必要ですね、やはり。
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家族のせいではない理由

 前回の続きになると思います。

ヒトは自分の状況でしかものをみれないものですが、支援

にあたってはそれではやはりだめなのだろうなと痛感して

います。

 家庭生活と日中生活の対比が大きいこどもたちの姿の

多さについて書きました。例えば、幼児期には食べ物がま

るで違うなんてケースはざらにあります。

はじめに記しておきたいのはこのようなあらわれの対比は

誰が悪い訳でもないと言うことです。

強い特性や過敏性があってもみんなとの暮らしの中でよき

自分を模索したいという願いは尊いもの。がんばりたいけど

がんばれないヒトたちが頑張ってくるのですから家で情緒を

開放したり、マイマイマイペースになるのはある意味当然な

のだと思います。

また、日中生活は専門家による支援と構造化された環境

の中にあるもの。それは家庭には用意できないことが多い。

そして、「みんなと」が強大な力の源泉になっているのです。

 というようなことが理解できると、家でうまくやれないのは

家族が悪いなんて論調は出てこなくなります。

むしろ、「昼間の責任」や振れ幅が小さくなるような発達を導

き出せていない自分に思いがいきます。

障害を持つヒトの困難のいちばんはまずその障害そのもの

です。発達障害の問題についてはその障害の検出や理解

が容易ではないのですぐに養育の問題とリンクされて家族

批判されがちですがそれは違う。

家族批判をすればするほど実はこちらの無理解が露呈する

ということもあります。

知ると言うことはほんとうに大切だと思います。

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今年度のケースを振り返って

 今年度気になったケースの傾向があります。

幼児期、学齢期に共通しているのですが、知的に機

能が高く、また過敏性が異常に強いケースの多くなっ

て来ているのではないかということです。

まず、過敏なために基本的な参加から難しいのです。

「~が怖い。」「~がイヤ。」があまりに多いのです。

クラスに居れない、登校登園拒否につながりやすいのです。

関連して、そんなヒトは感情処理が苦手でちょっとしたこと

でパニックや大爆発が少なくありません。

そして、けっこうあったのは、そんな状態にもかかわらず

参加への動機は確かにあり、昼間頑張るものだから、家で

の生活との間に対比がつきすぎて家族がえらく苦労されて

いるのです。

さらに、そこから生じてくるのは現場による家族批判です。

大変なのはわかるけど、家で甘やかしているのではないか?

日中も大変でないとは言わないけれどなんとかやれている

場面もあるのだから…と。

 こういうケースにはこどもの全体像を関わるヒトたちが会し

てそれぞれの場面でみえる姿を共有することが大切でした。

そして、家族の問題より以前に本人のもつ障害特性の強さ

を確認し、まずはそこへのアプローチを基本に立ち返って

やっていこうと役割分担や技法を整理します。

①まずは参加を支える。
 普通のことを普通にすることに大困難を抱えていることに
気づき、何をどのぐらいどう頑張ったらいいかと本人に伝わ
るようにする。視覚的支援はかなり必須です。
毎日の参加がリズムを持ってできるようにすることが大事。
頑張った先によき事がある。メインの参加のために、ちょっと
した休憩もある。バイパスもある。
時には参加の場の大小や適切さを調整する必要もあるかも
しれません。リソースの利用や籍やメニューの移動が必要な
ことも少なくありません。

②困難をともに乗り越える関係をつくる
 怖い、イヤと向き合うためには脱感作的な慣れやどこまで
頑張ればいいかという見通しを持ったチャレンジ、それを一
緒に乗り越え評価共感してくれる大人の存在が欠かせません。
あのヒトとならがんばれる関係作り。

③過敏性を理解してスモールステップ
 脱感作もちょっとづつ。回避や休憩、参加の一時休止も
いれていく。

④ストレスケア、ストレスマネジメント、感情処理

⑤身体的な弛緩やボディワークもかなり有効

⑥家庭と日中生活の対比を理解し、家庭生活への支援や
家庭から参加にもどる支援も意図的に、日中活動現場から
提案していく。

まさに発達障害への理解と支援の全体像を問われるケース

が増えてきたという印象が私にはあります。

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「ドクターショッピング」肯定論

 ドクターショッピングという状態があります。

家族がいくつも医療機関をまわることです。

医師や専門家はけっこう厳しく批判をしますが、私は障害

受容や理解の過程で必要な場合があるとも思っています。

 発達障害はわかりにくい。

このことから誰も逃れられません。

受容と理解は容易ではないし、このわかりにくさは診断や

判断がわかれるという事態も生んでいます。揺れている家

族にとっては揺れを支えるような判断も出やすい部分もあ

ると思います。

また、家族がドクターショッピングに走るのは家族の問題

ではなく、専門機関の問題ということも少なくないのかもし

れません。きちっと発達評価できない。対応方法が提示で

きない。家族はそのことを見抜きます。

支援者よりも情報収集に熱心で学んでいることの多い家

族はよりよき専門機関を探そうとします。そうなると、家族

批判をすればするほどこちらの未熟と狭量が露呈します。

ドクターショッピングに腹を立てる専門家を見聞きする時に、

私は思います。「みんな自信があるんだな」と。

私はそんな自信はないのでとても余所に行くなとは言えな

いし、セカンドオピニオンという言葉もあるし、ある時期の

家族の捜し物は必要だとも感じます。

だから、余所へ行ってもいいと思います。

家族の気持ちと事情が許せるのなら複数機関の利用も賛

成です。その試行錯誤でみえてくるものあるはずです。

そして、こちらの姿勢としては支援内容や方法論は折衷主

義でいこうと思っています。特定のなんとか法にこだわらず、

世間でやっていて効果がありそうなことはなんでも取り入れ

る。いいとこ取りをする。家族がやってほしいことはそのエッ

センスを取り入れる。

こっちに幅があれが家族は余所には行かないのです。

余所に行っちゃっている家族の問題ではなく、行かれちゃっ

ているこっちの問題だと思っています。

きちんとした支援と発達評価ができていれば家族はきっと帰

ってきます。メインの利用機関にしてくれます。

まあ、あとはこれだけケースが多いと「御縁」「相性」の問題も

あります。どこかに行かれても腹を立てるだけ無意味かなとも

感じます。

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ケース会議が必要な時とは?

徐々にケース会議を開く文化が広がりつつあります。

ただまだ、会議を開いたら集まれる姿勢ができてきただけ

だと思うのです。

正直いうと、まだまだ前向きなケース会議ばかりではない

ように感じています。

現状ではだいたい会議を開いて役割分担を確認しないと、

主たる支援者や機関が支援やその責任自体を回避しそう

だったり、家族や本人に責任転嫁し始めているようなな時

にケース会議は開かれるのです。連携の広がりで、誰かが

そのことに気づきケース会議を開いて調整しようという気運

が生まれてきたのは嬉しいことです。

「放置」がなくなる可能性が増したのはいいことです。

まあでも参加者としては複雑で、振る舞いは難しいです。

喧嘩にならないように、なおかつちゃんと発破をかけて、に

は大変なバイタリティーが要ります。

早くみんなで問題解決のために前向きな作戦会議をしようと

いうケース会議をやりたいものです。

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実は権利擁護の問題?

ふと思ったのです。

現場で特性を理解して支援されないというのは、権利擁

護の点で問題あるのではないかと思うのです。

わかってもらえないとかそういうのんきな話ではなくて、差

別とか虐待の問題にもあたるのではないかと思ったので

す。

だって、見えない方に見ろとかきこえない方にきけとは言

わないし言えないのです。そして、それを求めたら大変な

問題なのです。

発達障害への無理解というのは質的にはその位のむちゃ

くちゃに近いのではと思うのです。

我々支援者にはアドボカシーも役割のひとつであり、時に

はこういう強い切り口も用意しておく必要もあるかもしれま

せん。

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新しい言葉、思想に出会う。

 インクルーシブ教育を調べていて新しい言葉に出会いま

した。

「レジリエンス」(resilience)です。 

困難な状況にも関わらず上手く適応できる力、どのような

逆境に置かれても耐え抜く力、そこから脱する力、新しく活

力を生み出す力のことを表現するのだそうです。

虐待や暴力からの回復のために必要な力として国際的に

よく用いられはじめているのだそうです。

そうなんでしょうね。

ここもちゃんと視野に入れておかないと支援じゃない。

・トラブルやアクシデントの予防のための諸活動や啓蒙

・意図的な関わりやプラン

・存在と関係の保障

そして、レジリエンスをつけていくこと。

どんなに頑張っても起こってしまった困難に対してはケア

とともに立ち直りを支える支援が必要です。

そこにも技術はあるはず。

それを見つけていく。

 春が来ています。

新しい学びの方向が私の中に見つかりつつあります。

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いじめの代償から思う

 金曜日でしたか、フジテレビ系で熱血教師みたいな番組

をちらっとみました。

職業柄まずこどもたちの全体像が気になりました。

全部を通して見たわけではありませんが、私の見た場面

に登場した男の子は2人とも発達障害が予測されるこど

もだと私は感じました。

いじめに起因すると思われる二次的な問題が顕著でした

があらわれが対照的で、ひとりは暴力に出る外在化型、

ひとりはひきこもりや憾黙にでる内在化型のようでした。

ふたりとも特性よりも二次的な行動のあらわれが顕著な

ようで、存在の保障と関係を紡ぎ出す作業を懸命にして

いる先生方の姿は印象的でした。

けっこう厳しい対応もしていましたが、彼ら自身の中にあ

る肯定的な自己の存在への願いと関係への憧憬は確か

なので、そこをよく見据えたとりくみだったと思います。

青年期の支援の難しさを垣間見ましたが、そこにも技術

は確かにありました。

ただ、やはりこどもたちの状態像は顕著で、あそこにつれ

ていってはいけないと確信しました。

 「いじめ」について思います。

なぜいじめるのだろう?とこの記事を書く前は考えたので

すが、書き進んでいる内にちょっと思いついたのです。

ひょっとしたら「いじめ」も関係を求めるヒトの性向に起因

するもので、普通にしていたらそこに向かっていってしまう

傾向の行動特性なのではないかということです。

よき関係への希求と下手したら対になって。

未熟な仲間つくりの対として排他という働きになってしまう。

他者に関心があるからこそ、自分と違う特性に着目して

しまう。発達特性としてこれは大人が承知しておく必要は

ある。

このブレを念頭において修正し、方向付ける働きを意図

的にしようとすることが発達支援には不可欠なのではな

いか。

ひとりひとりのこどもの存在保障をするとともに、こどもの

エネルギーを関係だけでなく内容や物、事への関心や達

成にも向け、自己にも向けていく。

もちろん、関係をつむぎ、修正し続けることは大前提。

 すなわち、残念ですがヒトは普通にしているといじめてし

まうから、そこへの普段の努力は必要なのだと感じます。

ただ、このことがとんでもなく容易でないことは承知してい

ます。時代の閉塞感や愛着、見捨てられ不安の問題とも

密接にリンクしています。

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入り口

 そろそろお別れの季節。

あるお母さんの言葉を思い出しました。

「先生、私、色々分かっているつもりなんだけど、毎日、

元気に生んであげられなくてごめんねって思っちゃう。」

胸が塞がるような言葉です。

お母さんというものが絶対思ってしまう感情なのでしょう。

でも、誰のせいでもないのです。そうですよね。

受精しても育たない命、着床しない命等があるのだから生

まれてきたそのことが希有なことと考えれば、ヒトはその存

在だけで意味があります。

このことを一緒に確認したくて、何よりもなんだかこんな風

に思ってしまう思いが切なくて苦しくて孤独の中に置くこと

ができなくて、親御さんたちと語り、こどもたちをくったくなく

かわいがりという日々を送っています。

きっと何かをプレゼントしたいと思っているのですが、実は

こっちがいただくことばっかりで…

そんな風に過ごす療育の、幼児期の数年間が終わろうと

しています。

振り返るとこんなお母さんの思いに添いたいと思うことが

療育の入り口なんだと思ってやってきている気がします。

 そして、また数年前の卒園生のお母さんの言葉を思い

出します。

「せっかく生まれてきた命なのだから大切にしたい…」

お母さん自身が語るとこの言葉の重さは計り知れないも

のになるような気がします。

そうだった。

入り口は「支援」じゃなかったっけ。

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「願えば叶う」「夢は叶う」思考の問題点

 少し前に、我が社の求人に応じてくる人々の現状につい

てぼやきました。

察するに今、この国に充満している現状なのかなとも思え

てきました。

すなわち、自己理解やセルフモニタリングがまったく弱くて、

自己が他者との関係でしかなりたっていない。

幼児期の自己中心性や万能観が大人になっても続いてい

て、他罰的。義務は果たしていないのに権利を主張する。

 これって原因はなんだろうと思うのです。

客観性を育てるためには、大人による現実との直面や絶対

評価がある程度必要で、時折膨らみすぎてしまうこどもの自

我や要求を大人が調整していくことが必至なのだと思うので

す。葛藤場面や注文を付ける場面です。

それと、負けたりうまくいかなかった場面での支え方も考えた

い。相手との関係ではなく、自己の能力や努力に物事を帰結

する思考に大人は導く必要性もある。

それから他者とのつながりの強さも必要なのでしょう。

繋がりを維持するためには、おれることや秩序を守ること、利

他や他者のために向かうふるまいも必要になる。

 夢が叶ったヒトの多くは願うだけでなく、己をよく知って努力

しており、他者に支えられて他者のために生きており、感謝

の思考を持っている。

我々の大部分は小さな人間です。

無限の可能性に満ちていない自分に気づきながら、自分で

手に入れることのできる幸せのために努力し、他者とつなが

っていこうとする。

このこと、子育ての方向性としても重要だと思います。

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「甘やかしている」を論破しようと思うのですが…

 今日は表題の通りです。

あるケース会議に出かける予定があります。

我々の最大の敵、「家族が甘やかしているのではないか

?」に対する論陣をどう張るかを考えています。

慣れればよい、とにかく園・学校に来ればよいという主張

に反論したいのです。

なんとなく厳しくすればどうにかなるではなくて、何をどの

ぐらい、どのような計画で、どこまでの期間で、どのような

方法で行うかを出せとでも言ってやろうかと思うのです。

鍛錬を主張するならば、その鍛錬の意図性や方法論をつ

いていこうかと思うのです。

そして、もうひとつ。

家族が甘やかしているのではなくて、昼間の薬が夜まで効

いていないんじゃないの?も言ってみたい所。

あとは、障害という機能器質的な困難が指摘されているの

に、養育の問題を先行させるのは何事か?もあります。

まあ、こんな風に全部突っかかってやっつけるケース会議

をやる訳ではありません(笑)

ただ、闘うべき思潮というのはあると思っています。

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あいつはどう思っているだろうか?

最近、どういう訳だか若い頃きいていた音楽をきいていま

す。

学生の頃、若くして命を落としてしまった友人が好きだと言

った音楽が流れてきました。教育学部系にいた我々は専攻

こそ違えど同じ何かを共有していました。現場に出て15年

あまり、私は彼と共有した思いを形にできているでしょうか?

彼が実現できなかった支援者になることへの思いを引き継

いでやれているだろうか?ということが思い浮かんできました。

決して彼に恥ずかしいようなふるまいや怠けた仕事はしてい

ませんが、志半ばで倒れた人間の深い深い思いにこたえて

いるか?と自問自答してみると迷い、たじろぐ所があります。

このこと、忘れないようにしたい。

この頃、我が社の求人に応じてやってくるヒトの勝手さに驚

きます。自分の働きたいように働けると思っているのです。

仕事なんです。仕事にあんたが合わせるに決まっているでし

ょうに。なおかつ、その仕事が困難をかかえたヒトを支えると

いうものです。こっちのつもりで進めていいわけがない。さらに

は、このヒトを支え、教え、育てる仕事にはそれを求めてくる大

勢の願いや熱望、熱情があります。願ってもこの職につけない

人の存在です。

私の亡くなった友のように…

いつも誰かのためにと、その誰かためにの質を追求しなけれ

ばと思います。

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特別支援教育はインクルーシブか?

  特別支援教育を語るのにインクルーシブの言葉を使うこ

とがあります。厳密にいえば違うのでしょうね。

でも、大事な入り口を開いたのは確かなことです。

あるタイプのこどもはみんなの中で過ごすべきで、集団の教

育自体を変えていこうという大きな思潮を導いたのですから。

ただまだ障害のある子は別な所へという対応はあります。

就学指導で対応しようという学校も少なくなく、難しい所です。

また、高機能だけど過敏でかたくて参加が難しいおこさんに

とってどうするのが幸せかという悩みもあります。

私は分離教育も必要な資源と方法と考えています。

発達段階と特性にあった学びの場の確実な保障は必要だと

思うのです。集団はその力動がエネルギーと資源ですが、そ

れだけでは保障できないものもあります。

日本の問題はまだまだ集団か個に即したかどちらかを選択し

なければならないことです。

われわれは幼児期の支援で並行通園モデルを実施しています

が、発達保障の観点でも家族の願いの観点でも集団(地域)と

個に即したの両面保障は意義が深いです。

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けっこう深かった-インクルーシブ-

 ユニバーサルデザインと対になる考え方、インクルーシブ

について調べています。

正直に言うと、「権利としての…」については疎いですし、私

「一緒にいればいい。」という方向性については抵抗感ある

のでそういう視点ではとらえていません。

今までの教育保育支援技術のみなおしや柔軟な対応をす

るという思潮と配慮の必要な個にとってよきことはみんなに

とってよいという支援技術として大いに賛同するので理解を

しようとしています。

 そうするとわかったこと。

今までは障害分野だけのとらえとしてみていなかったインク

ルーシブ教育ですが、本質的な捉えとしては海外異文化か

らのこども、被虐待のこどもたちなども含む広大な裾野を

持っていることがわかりました。まさにこれは子育て現場の

現実であり、意図的に構えをもって支援することで、見えて

くる、開けてくる地平はありそうです。

まずは一報です。

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極限の心理コントロールに学ぶ

 なるほどねえ~と思ったことです。

 確か小沢献金問題についての記事か何かでどこかの

ブログか何かで読んだのだったと思います。

「自白」に方向付けられる心理についての解説でした。

ヒトは厳しく責め立てられた後に、ちょっと優しくされたり、

共感されるとあっという間に相手側になびいてしまうそう

です。これは「洗脳」やら「マインドコントロール」やらにも

用いられるんだそうです。

その時には「恐ろしいもんだね。」で終わったのですが、こ

れって良い方法にも使えますよね。

 というのも、こどもと戦わねばならないことは現実的には

あります。「人を傷つけること」をしてしまったり、「勝手にも

ほどがある」場合には絶対に調整が必要です。

ヒトの自我は、特にこどもの自我は一時的に拡大し過ぎた

り勝手な方向に走り出します。そこには調整が必要です。

そのことを事実として伝え、どうすればいいか修正する。こ

れは絶対必要な作業です。

ただ、難しいのは「怒り」の感情等と連動するのでその分離

が本当にできない。すぐ怒っちゃいますよね、我々。

まあまあ、怒ちゃわなくても相手(こども)にとっては自分の

とった行動を少なくとも一部分は否定されるのでかなり厳し

い場面ではあります。

増長した自我や行動を冷静に指摘し、修正した後がポイン

トなのだと思うのです。

そこでちゃんと温かい感情や共感、評価で包み込むことが

必要なのでしょう。そこまでをセットにしていくとこどもはあ

って欲しい方向に向いてくる。

「厳しく責め立てられた後に、ちょっと優しくされたり、共感

されるとあっという間に相手側になびいてしまう」を正しい

方向にちゃんと使うのです。

叱るという作業には、厳しい局面と温かい局面がセットで

必要で、我々はそのことを承知しておくべきなのでしょう。

そう考えると、叱ることとその後のフォローを役割分担す

ることが多いですがひょっとしたらちょっと違うのかも知れ

ません。

もう少し検討は必要ですが、行動修正のための技術をひ

とつ知った気がしました。

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予測を裏切られる喜び

療育場面の公開を行いました。

お客様が大勢来ちゃっているこんな日はこどもたちはどう

にかなると思うことにしています。

けれども、今回は違いました。気後れするあの子も、過敏

で緊張感の高いあの子もむしろ張り切っています。見てほし

いというような期待感も見えました。

一年間の育ちを感じるような姿です。

この土台は何かと考えると、普段と変わらぬ楽しく興味を引く

活動と安心できる大人の存在、よき自分への願いとみんなと

やりたい思いなのでしょう。

これら当たり前ですが、こどもの豊かな姿を生み出す大事な

要素です。

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みんなと同じを止めたらみんなの中に戻っていった。

 特別支援の巡回相談でのお話です。

秋に集団に参加できず、授業妨害をしていたケースです。

年度末ということで再度うかがうとなんとちゃんと座って

授業に参加し、内容にとりくみ、みんなとちゃんと繋がって

いるではありませんか。おまけに友人をかばう発言なんぞ

もしていて…短期間に、劇的で。たまげました。

低学年のおこさんでしたが、当時担任の先生も支援員さ

んも打つ手無しでボロボロでした。

このヒト、学習とクラス作りが深まりつつある秋口に転校

してきた転校生で、家庭に事情もあり、家族に理解はなし。

ちっとも参加も内容もできていないのに、担任の先生は「こ

の子をなんとかすることはあなたにとってよい経験になる!」

なんて無責任で素っ頓狂なことを管理職に言われて立ち

つくしていました。

あんまり酷い状況なので、どうせ大人がひとりつかなきゃ

ならないのなら、みんなと同じことを要求するのではなく、

個別の関係性を深める支援をしたらどうですか?と無責

任な巡回相談員の私は言ってみました。

同じ場面にいても同じ内容手続きやるのではなく、本児が

できるわかることをくっついている先生とやってはどうかと

提案しました。

するとそういうアイデアは無い訳では無いのですが、管理

職からは「学習の保障はどうするのか?」と言われるので

と担任と支援員の先生の苦しいお返事です。

とても苦しそうなのでちょっとだけある政治力を発揮して、

私(巡回相談員)からの提案なのでと言ってくださいと助け

船を出して、合わせて管理職にも必要性を提案して帰りま

した。(と言ったことを忘れていました。)

 今回の変容を喜びながら共有する中で担任の先生が振り

返って仰いました。助言を受けるまでは、なんとかこどもをみ

んなと同じように参加させようと必死でどうにもならなくて苦し

かったのだが、助言を受けて考え方を改め、この子のできる

要求水準での学校生活をにしたら変わったのだと。

 これはとても大事な視点の転換です。

でも、この視点の転換が現場ではできにくいのだろうなと思い

ました。集団、参加、学習という学校の基盤を緩めようという

提案は校内からは出しにくいし、アイデアとしても浮かんで来

ないのでしょう。実際、担任と支援員の先生は仰いました。

緊急避難であってもそれをどこまで?という話にもなるはず。

でも、思い切ってやってみるものだねと終わりよければすべて

よしと喜びあいました。

この支援がうまくいった要素はこの提案が校内体制として承認

されてできたことと、クラスのこどもたちがとても柔らかく受容的

でなおかつ付和雷同しないという力のあるクラスであったことも

重要な要素だと思います。

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鍛錬主義②

 最近続けて聞いたある幼稚園の噂話です。

その幼稚園はとにかく幼稚園に来いというのだそうです。

リソースルームの利用等はそこそこにして欲しいという

のだそうです。理由は「慣れないから…」「友達との関係

ができにくくなるから…」だそうです。

発達障害サスペクトのおこさんの入園に不安を訴える

御家族に対しても同様の説明をし、「1学期経てば慣れ

て友達が支えてくれるから大丈夫!」と述べたのだとか。

御家族は「違う!」と仰いました。

友達に支えてもらう為に園に行くわけでなく、リソースとの

並行利用も幼稚園でできないこの子の居場所つくりや個

別的小集団での個にあった支援のために行くのにという

ことでした。その通りです。

 一見するとそんなに問題がないようにみえるこの園の対

応もやっぱり鍛錬主義に基づいていて特性を理解した支

援ではないと思うのです。

根拠が大まかな統計のようなフレーズで説明しているので

すが、ちっとも個々のニーズや状態に添っていないです。

ゴールがそのうち慣れるや友達が支えてくれるというのも

意図的な支援や園側が何をするかということの説明にはなっ

ていないのです。

幼稚園は参加が基盤になります。

けれども、みんなの中に居れればなんとなくどうにかなるとい

うのは無責任なのです。

自発や自立、自己コントロールや自我といったその個の自己

の育ちを支えるために、幼児期には特に丁寧な配慮や支援

が必要なタイプのおこさんがいます。その個の力を支えたいと

思っている家族の思いを「みんなの中にいればなんとなく…」

で押し流そうというのは乱暴なお話です。

こんな園に限って参加の流れに乗らないとその個の特性や

園での支援に目が向かないで「家族の子育てが…」と始まった

り、支援機関に「大変で!」と騒ぎ立てるのです。

 前回の記事も含めて「鍛錬主義」に見えるのはこどもの特性

理解の弱さです。

わかっていないからこそ鍛えればどうにかなるという論理展開

で押し通すことが出てくるのでしょう。そして、家族の思いを押し

流してしまう。うまくいかないとなると家族に原因を求めて脅かす。

個に添えないという現場の事情や体制は個の特性理解や配慮

をしないということとはまったく別のはずです。

それを知った上でインクルーシブな集団や方法を創造する。

できないことはできなくていい。

それは役割分担の中でどこかでやってもらえばいい。

おおざっぱで脅迫的な方法論でこどもと家族をいぢめないで

欲しい。

集団に彼らをどういれるか?というベクトルだけでなく、彼ら

もできる活動の創造や場のありかたも同時に考えて欲しい。

一方、必要だと思うのは鍛錬主義と似ていますが、楽天主義。

あんまりハッピーなのは放置なのでしょうが、個を理解しながら

緩やかに時間の経過でこどもをみる、過去からの連続でこども

をおおらかに見ていく視点は大事にしたいものです。

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鍛錬主義

特別支援学校の管理職とお話しました。

「参加」を土台にした支援を大事にしていこうという先生で

すが、その先生が鳴らした警鐘があります。

それはベテラン教員の中にある鍛錬主義です。

参加を基盤にする支援は過度の自立を求め過ぎません。

程よく援助を受けて、地域でみんなの中でやっていこうとい

うものです。本人の能力や困難の克服に焦点化し過ぎない。

代償やサービス利用、環境の整備、支援ツールの利用を積

極的に考えていくというものです。

これは支援の実践が深まり、認知科学が発達した現在、こど

もたちの姿がわかってきて出て来た方法論です。

ベテランの思考の転換をどう進めていくかは重要。

こどもたちに合わせる視点と行動問題や障害といった困難に

着目し過ぎず、問題解決志向で構えることだと思います。

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見ることの高次化

 視覚支援。

見せることの大きさを我々は知りました。

言葉の理解が難しい、言葉が記憶されにくいタイプのおこ

さんにも見せることは効果的です。

 今日、ある子の成長にはたと気づいたのです。

かなり重度感の強いお子さんですが、見ることによってよく

参加できるようになってきました。

ただ、まだなかなか言語的な指示や応答は容易ではありま

せん。このごろ、変わってきたのは対人意識の広がりです。

愛着のようなものが確かにみえたり、明確な接近がみえます。

今日の活動の中で、楽しい活動があり、その楽しさがなんと

なく友達と共有されていました。その共有共鳴は広がっていき

そのうち、友達の動きや反応をみる、刺激への反応とともに

友人の動きを参照にするということをしはじめたのです。

 発達障害のこどもたちは絵やら写真やら記号などを見て

反応することができても、対人的なものをみて反応すること

へのギャップは大きいことが少なくありません。

みせることのステップアップは、ヒトを見る、ヒトから発せられる

ものをみるに向かうべきだということにそうかと気づいたのでした。

そう、ヒトに至らないみることはまだ未熟、足りないのです。

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