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家族のせいではない理由

 前回の続きになると思います。

ヒトは自分の状況でしかものをみれないものですが、支援

にあたってはそれではやはりだめなのだろうなと痛感して

います。

 家庭生活と日中生活の対比が大きいこどもたちの姿の

多さについて書きました。例えば、幼児期には食べ物がま

るで違うなんてケースはざらにあります。

はじめに記しておきたいのはこのようなあらわれの対比は

誰が悪い訳でもないと言うことです。

強い特性や過敏性があってもみんなとの暮らしの中でよき

自分を模索したいという願いは尊いもの。がんばりたいけど

がんばれないヒトたちが頑張ってくるのですから家で情緒を

開放したり、マイマイマイペースになるのはある意味当然な

のだと思います。

また、日中生活は専門家による支援と構造化された環境

の中にあるもの。それは家庭には用意できないことが多い。

そして、「みんなと」が強大な力の源泉になっているのです。

 というようなことが理解できると、家でうまくやれないのは

家族が悪いなんて論調は出てこなくなります。

むしろ、「昼間の責任」や振れ幅が小さくなるような発達を導

き出せていない自分に思いがいきます。

障害を持つヒトの困難のいちばんはまずその障害そのもの

です。発達障害の問題についてはその障害の検出や理解

が容易ではないのですぐに養育の問題とリンクされて家族

批判されがちですがそれは違う。

家族批判をすればするほど実はこちらの無理解が露呈する

ということもあります。

知ると言うことはほんとうに大切だと思います。

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