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いじめの代償から思う

 金曜日でしたか、フジテレビ系で熱血教師みたいな番組

をちらっとみました。

職業柄まずこどもたちの全体像が気になりました。

全部を通して見たわけではありませんが、私の見た場面

に登場した男の子は2人とも発達障害が予測されるこど

もだと私は感じました。

いじめに起因すると思われる二次的な問題が顕著でした

があらわれが対照的で、ひとりは暴力に出る外在化型、

ひとりはひきこもりや憾黙にでる内在化型のようでした。

ふたりとも特性よりも二次的な行動のあらわれが顕著な

ようで、存在の保障と関係を紡ぎ出す作業を懸命にして

いる先生方の姿は印象的でした。

けっこう厳しい対応もしていましたが、彼ら自身の中にあ

る肯定的な自己の存在への願いと関係への憧憬は確か

なので、そこをよく見据えたとりくみだったと思います。

青年期の支援の難しさを垣間見ましたが、そこにも技術

は確かにありました。

ただ、やはりこどもたちの状態像は顕著で、あそこにつれ

ていってはいけないと確信しました。

 「いじめ」について思います。

なぜいじめるのだろう?とこの記事を書く前は考えたので

すが、書き進んでいる内にちょっと思いついたのです。

ひょっとしたら「いじめ」も関係を求めるヒトの性向に起因

するもので、普通にしていたらそこに向かっていってしまう

傾向の行動特性なのではないかということです。

よき関係への希求と下手したら対になって。

未熟な仲間つくりの対として排他という働きになってしまう。

他者に関心があるからこそ、自分と違う特性に着目して

しまう。発達特性としてこれは大人が承知しておく必要は

ある。

このブレを念頭において修正し、方向付ける働きを意図

的にしようとすることが発達支援には不可欠なのではな

いか。

ひとりひとりのこどもの存在保障をするとともに、こどもの

エネルギーを関係だけでなく内容や物、事への関心や達

成にも向け、自己にも向けていく。

もちろん、関係をつむぎ、修正し続けることは大前提。

 すなわち、残念ですがヒトは普通にしているといじめてし

まうから、そこへの普段の努力は必要なのだと感じます。

ただ、このことがとんでもなく容易でないことは承知してい

ます。時代の閉塞感や愛着、見捨てられ不安の問題とも

密接にリンクしています。

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