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「食べる」

 食べ物をとるというのは社会的な行為だと思うのです。
昔、卒論で摂食障害をやった友人が、「知ってる?食事の
定義はみんなで食べることなんだよ。」と教えてくれてひっ
くり返ったのを思い出します。
我々大人もヒトと本当に仲良く成りたかったら食事か宴会
をするもんです。

 発達障害児の困難の中で、「偏食」があります。
一次的には口中の感覚過敏や彼らの嗜好興味の狭さに
よるものだと思いますが、発達障害を関係性の困難ととら
えた時には偏食は社会性のトラブルだと感じます。
そう感じているので食事は大事な支援場面です。
欲求が目前にあるので行動形成しやすいというのがまず。
「ちょっと食べて」「これだけ食べて」「これを食べたら次は
…」でやりとりが深まっていきます。
折り合いをつける、相手に合わせることが必然とできてきます。
「偏食」が和らいでいくと全体像がかわっていくのがわかります。

 それから、意識しているのは「食べ物は分けてみんなで食
べる」ということ。
・おやつは2個1封を用意して開封した後に隣の人に渡す。
・大パッケージを開けてみんなに一個ずつ配る。
・大皿に盛ってみんなで分け合う。
・そもそも物をたべる時は他者にあげようと思って食べる。
過去に食事制限のあるおこさんがいたこともありましたが、
こんなやりとりの中で固着しないで済んだことがありました。
食べ物を分け合うことでつながっていくとでもいうのでしょうか?

さらにはどこにどう座って食事を摂るかもけっこう考えます。
・介助度が多い時期は左側やコーナーを挟んで左にこども
をおきます。介助のしやすさを考えて。
・自立度があがり、やりとりを楽しめ「おいしいね。」ができる
頃、対面にします。
・食事調理場面では教室正面に並行に机を並べ、製作など
は教室正面に垂直直角に並べるなんて微妙な構造化もして
います。
・さらにこなれてきたら対面もやめて全体で向き合うパーティ
ー形式なんてこともやります。

こんな風にみていくと物を食べることには情緒を開放したり、
関係を紡ぐという効果があり、そのことは関係発達支援には
重要な手だてだと思うのです。
そんな訳で我が社は食ってばかりです。
食育というのは栄養や産地の話、調理や食べ方のありように
なっていますが、こんな風に本質的には「食事が社会的な行為
である」というのを教える作業だと思っています。

わたしの顔をみると「アメちょうだい!」とやってくる園児が居ます。
アメ玉ひとつあげると、必ず「先生は?」
彼はアメ玉を食べにくるのではなく、私に構ってもらいに来るの
です。

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