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レッテル

 よく「こどもにレッテルを張りたくない。」という言葉を気に
なる子、発達障害サスペクト児に対する評価でつかう支援
者がいます。
正直よくわからないのです。

レッテルじゃなくて「事実」の話をしているのに、「間違った、
一方的なフレームでこどもをみたくない」と言っているのは
論理のすり替えだと思うのです。
こんな支援者はこどもの行動特性、障害を語る言葉を持ち
合わせていません。

行動特性は事実です。
事実を語る言葉が足りない。
ということは言葉の背景となる「行動特性が何を意味する
か」の学びが足りないのだと思います。
そして、事実を語る客観性が足りない傾向があるように思
います。
別にできないことやわからないことをあげつらう必要はない
のです。
定型発達と比べて遅滞はないか、アンバランスはないか、
特異な行動はないかを感情を交えずに集積して言葉にす
ればいいのです。
この「感情を交えずに集積して」語るまなざしを客観性という
のです。

日々の支援はこどもの行動特性にとらわれる必要はあり
ません。
その個の得意や好きを生かし、ちょっと支えればできるこ
とをさらに伸ばし、参加や関係の中でよき時間が過ごせる
ように支えればよいのです。
さらに、それを診断や評価につなげるかはその個の困難
の程度やタイミング、家族の文脈による訳で必須事項では
ありません。

保育者、教育者、支援者は情熱的です。
そうあってしかるべきです。むしろそうじゃなきゃいかん。
けれども、情熱的と情緒的とは違うのです。
子育てが情緒的、感情的になってよいことはないのです。
一貫性が揺らぎ、大人の御気分や都合次第になっていく。
それを家族が行い、こどもの存在を脅かすようなものは
「虐待」と言われるのです。
支援も支援者次第で客観性、一貫性を失った時には「虐
待」と同じなのです。
そう考えると、「レッテルを張りたくない」というのは、学びと
客観性が足りず情緒的なのだと思います。

こどもを語る言葉をたくさん持ちたい。
こどもを見つめる視点をたくさん持ちたい。
事実を捉えるまなざしはちゃんと持ちたい。
そして、熱情があふれ出す子育てをする。

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