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「きみで良い」

 LD学会の会報が届きました。
巻頭言は北海道大学の田中康雄先生でしたが、秀逸です。
ただ感涙。

凸凹、特性のあるこどもたちに対して「どう関わればいいか?」
とか「こうしてみよう!」の前に、ここは大丈夫だよという環境
の安全性や「ボクは存在してよい」という絶対的肯定感を示し
たい。
「どう関わればいいか?」の前に本人がどう考えているかを尋
ねてみたい。
「キミの言葉を聴きたい。関係はそこからです。」と結んでいます。

 どうでしょうか?

 そうなんです。私も思うのです。
ここで田中先生のおっしゃる環境の安全性や絶対的肯定感と
いうような存在の保障がまず不可欠だと思うのです。
そして、これは駆け引きなしに大人が無条件に与える物です。
言い換えると、安全な愛着対象恒常性といえる
のだと思います。
すべてはそこからはじまる。
大人によって存在が保障されてはじめて、
「ヒト(他者)を好きになる」
「自分を好きになる」

がスタートするのだろうなと思います。

 余談ですが、先月末、ちょっと外で話をした時にやけにみん
ながこの「ヒト(他者)を好きになる」に反応してくれて、意外・拍
子抜けでした。素直に喜べいいんでしょうけど、「基本のきなの
になあ。」と思ってしまった私…
まあ、日常のことばで大事なことを語ることって心掛けなきゃい
けないですね。

 それから、「自分を好きになる」=自己肯定感ですが、どうも
最近はこの言葉が使われすぎてしらじらしくなってしまっています。
こどもをどこかに当てはめよう、大人の意図に乗せようとして
いる一方で「自己肯定感」なんて口にしているのをみたりすると、
「そんな簡単に自己肯定感なんていうじゃないよ。」と思ってし
まう。

それに最近は「自己肯定」なんてそんなにできるもんじゃないと
思い至ったのです。
よく考えたら、私も自分を肯定はしてはいない。
しょうがない自分を引き受けているし、まあ許してやっている。
この「まあ許す」が大事なのだと思います。

以前、何回か書きましたがメンタルヘルスを崩した仲間をサポ
ートしています。
本当に優しいヒトです。他人に本当に寛容で、許容度が高い。
責任感が強い。でも、そのことがこのヒトを苦しめている。
あんなに優しいのに、頑張っているに足りない、足りないと思っ
ている。私はこのヒト、大好きなのです。こんな十分なヒトはどこ
にもいない。

いいじゃねえか、しょうがない自分だけど今日、なんかひとつぐ
らいましだったことがあるよねえ。
なんか頑張ったことがあるよねえ。
頑張れなくてもまあ、明日になればねえ。
自己肯定の前に、しょうがない自分をちょっと許す。

Yon are OK! I am OK!

この順番でヒトは許し合い、認め合い生きていきたい。

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