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2011年6月

咲かなかった花

 今夏、我が家では植わっていたけど咲かなかった花が2種
類咲きました。
環境を変えたのです。
ひとつは日向で水やり少なめから水やりを増やし、日陰に移動。
もうひとつは、花壇脇の日陰から鉢植えにして、日向に移動。
実に美しい花が咲きました。

何を言いたいか?
これって支援にもあるのではと思ったのです。
よく調べもせずに、日向や広い所におき、ただ水をやってみる
に近い対応をしてはいないかなあ…と。
日陰の方がいい花もある。
鉢植えの方がいい花もある。
水だって少なめがいいこともある。

アセスメントをしっかりしよう。
特性をちゃんとみよう。
定型やあるべき姿でなんとなく推し量るのをやめよう。

先日もあるケース会議に出て思ったのです。
みんなとは違うけどそれは彼の特性だ。
みんなに合わせようとだけすれば不適応。
彼にあわせてみんなとつなげていけば適応。

常識的なまなざしでみればわかってくれない家族。
でも、その家族の立場や物語でみれば当然の感じ方、景色。
家族の文脈で理解し、接し、伝わる手だてを考えなければ…

花が咲かないのは花のせいではありません。
植え方や環境、ちょっと考えた方がいい。
恵みの雨のシーズンで、あたたかな夏だから思っています。

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リカバリー

精神障害の支援をしているNPOのスタッフとちょっとお話を。
研修の講師をお願いするので文書をお渡しすると、私が御案
内の中で使っていた「リカバリー」という言葉をみて、「あー、リ
カバリーって使うんですね?」とお尋ねいただきました。ここで
概念規定のご確認。
「治る、もとに戻るってことじゃなくて、再スタートって意味です
よねえ。」「そうそう。」

この考え方大事ですよね。「みんなと同じようにじゃなくて、そ
の個なりに」も同じですね。

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要保護対応と地域福祉

 地域でさまざまなサービスやネットワーク、資源を使いなが
ら個人が選択しつつ生活することを「地域福祉」といいます。
地域差はありますが、少しずつ進んできた感があります。
一方、施設という居住系サービスで仕事をしていると、いろい
ろな現実的な景色はみえていろいろなことを考えます。

というのも、地域福祉の進展で居住系サービスが受け止める
べきケースは困難事例や要保護ケースになってきました。
それは百も承知二百も理解しています。
そのことはきっと地域も承知しているのでしょう。
けれども、現実は厳しいのです。
そして、その現実を前に地域は新しいまなざしを持って欲しい
のです。

要保護ケース=なんていっても保護という以上、保護の必
要性があるケースのことです。
ただ、知っておいてほしいのは、必ずしも保護が長期であると
か、居住系、入所系サービスであることがゴールではありませ
ん。

①ひとつには居住系、入所系の収容力には限界があること。
②もうひとつは分離、長期保護によって家族を分断し、再教育
や再統合の機会を奪うこと、絆を奪うのは得策ではないこと。
③地域福祉という観点を思うときに、危ういながらも地域で生活
することから個人を切り離すべきではないこと。
などがあります。

①だから②③がついてきた側面はあるのかもしれません。
ただ、育て直しや家族再統合というリカバリーのまなざしがなけ
れば社会における疎外や分断は深まっていくばかりです。
状況が変わらなければまなざしをかえるということもあるかも
しれません。

地域福祉はかなり手間がかかります。
いろんなものをつむぎ、つないでいく必要がある。
入所系に行ってしまえば地域の支援者はそりゃあ楽です。
でも、状況はもはや違う。

地域で、いろんな足場づくりをしながら生を支えていく。
ソーシャルワークが必要になってきます。
連携やケースワークが必要になってきます。
ライフステージを見つめた支援が必要になってきます。

危ういながらも地域で暮らすことを地域福祉というのだろうと思い
ます。

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自分の支援を否定しない。

 この頃思うのです。
できないことは一杯あるけれど、自分の支援を否定しないとい
うことが大事じゃないかなと思うのです。
支援者は迷います。
「やった方がいいこととできることが違う。」
色々な問題課題によってこの状況はなりたちますが、多くは目
標設定や願いが発達的でなくなっている時に起こると思うので
す。

・できていることを確認する=良循環、最近接領域を確認
 できていることは今、まわっていること、フィットしていること。
それって意味だと思うのです。
そして、今のこどもの姿に次の、直近の発達がある。
今の支援を肯定することは今のこどもの育ちを受容することで
あり、ないものねだりをしないことでもあります。

・できたり、できなかったりする支援状況を肯定する。
 これが苦しいのですが、支援というのはある状況=「資源」で
行う援助行為をいうのだと思います。
そして、ここにこたえや方向性をひとつにしたがり、「~すべき」
思考に陥りやすい支援者の性向が合わさった時に苦しみは増
大するもの。
「~した方がいいですか?」なんて質問はたいてい無理がある。

今勝負しない。
自分で全部やらない。
二者択一なんてしない。
ないものねだりしない。

支援者の自己犠牲や無理な背伸びでやろうとすることを援助妄想
というのだと思います。
あるものの中からやりましょうよ。

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すごい宿題

 前回とつながっています。
親子の関係をつなごうとしている面白い実践をききました。

「宿題はだっこしてもらうこと」
2年生にこんな宿題を出した先生がいるそうです。
まあ、いろいろな課題をもつこどもたちを抱えたクラスで、2年
生だから出せた宿題です。
いつもより本当に簡単な宿題だったようですが、やってこない
こどもたちもたくさん…時代を思います。
何よりそんな宿題を出した、この先生の素敵なこと。肝が据わ
っていること。
こどもを巡る課題が押さえられていて、発達段階が押さえられて
いることがわかります。
この宿題は6年生に出してもダメで、批判の対象にもなります。
たぶん実際は、そのまま抱っこではなく、もうちょっと捻ってあった
はずです。
それにしても「宿題はだっこ」
かっこいいなあ。

「中学生だけど宿題をみてもらう」
これは昨年私がある中学校の校長先生に直接きいた実践です。
この学校では御家族に宿題をみてもらうという取り組みをはじめ
たのだそうです。
まあ、直接そばについてではなく、やったものに目を通してもらう
形のようですが、そこでみえた落ち着きや学習の向上があるとか。
いろいろ難しい世界も想像できそうですが、これも関係をつなぐ
という意図が明確にあります。

知的な学習が学校での学びの形態です。
けれども、その道具立てをつかって愛着を支えようという試み、な
んだか頭が下がります。
そして、学校の先生のスペシャリティってたいしたものです。

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「こどもがかわいいと思えない」

 昨年度はじめた母子保健の研究会を今年も。
支援はどこへ向かっているのか?というテーマでフリートーク
をしました。

リスクのある出産の把握や子育て支援の状況をききました。
・母子保健受給時のアンケートでこどもができてうれしくない
という回答がけっこうある。
・育児サポーターとして家庭に支援に入ると、こどもよりもお母
さんとの対話になってしまう。
なんて報告があり、こどもがかわいいと思えないのだろうかとい
う議論になりました。

乳幼児期のこどもの育ちが足踏みしているなんて話題にもなり
ました。
・トイレットトレーニングは園でが当たり前
・食事は食べさせられている
けれども入園して支援していけば身についてくるのだから、こども
の持っている力、発達は揺らいではいないのだろう。
面倒なことはできない時代なのかしら。

なんだか愛着形成がうまくいかない理由がみえてきた気がします。
行為を通した共同共感をしていない。

どうやら母子保健領域では発達障害の早期発見早期支援は
現在大きなトピックでなくなっているだそうです。
こんな大きな危機を前にしたら、こどもの課題よりも子育て状況
や子育てする親の支援にターゲットが向くのは仕方ないかもし
れません。

我々は子育てを支援するために何をすべきでしょうか?

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子育て支援センターの難しさ

 前回と続いています。
子育て支援センターの「場」に療育的な、関係支援的な力があ
るのではないかということを書きました。
集まって遊ぶ場のある意味です。
では、そんな風に発達支援の場としての機能に期待がある以
上、早期発見の構えも持った方がよいのでしょうか?
関わるスタッフは早期発見のための動きをすべきでしょうか?

これが難しいです。

御家族はそんなことを求めて子育て支援センターに来ている
訳ではないからです。
求められていないのに「おたくのおこさん…」なんてのは余計な
お世話でしかない。
ひょっとしたら、すでに色々なことはわかっているけど、ただ日常
を過ごす場所として子育て支援センターに来ているのかも知れ
ません。

「好意の無関心」という言葉を思い出します。
障害の受容プロセスの中で、「専門職がくったくなく困難を抱え
たこどもと過ごしているのを見て救われる。」というのを思い出
します。

ここにもエンパワメントの重要性があります。
任意性が大切。自分で選び取ることが大切。
それは逆に余計なお世話をしないことでもあります。
支援者が自分の変なやりがいの為に、介入しすぎて育ちの邪
魔になることがあります。
子育て支援センターでは「相談」も大事な機能です。
でも、相談は基本相手発信でなければならない。
求められることの大切さです。

 発達支援機能に期待している早期発見担当部署が勝手に子
育て支援センターに早期発見まで求めるかもしれない。
虐待発見のための通告的な動きは別として、早期発見を積極
的に行おうとするのはちょっと違うのでしょう。

ただ、この受け身で攻める支援がしにくいというのが子育て支
援センターの難しさでもあります。
けれども、新しい支援の切り口ととらえることもできるかもしれま
せん。
新しい価値や構えを作り出したらフロンティア。

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子育て支援センターの役割

 世の中に子育て支援センターというものができて少し時間が
たちました。
保育園などに付置されたり、つどいの運営をしたりと形態や事
業は様々でいまでもあり方については議論がたえません。
「いったい何が子育て支援になるのか?」
「母親の力をうばうだけではないのか?」
難しいところです。

先日、ちょっとシステムつくりの話をしていて気づいたのですが
最近子育て支援センターの動きや役割や使い方が変わってきた
のかもしれません。

健診フォローの相談の中で、子育て支援センターの利用をお
勧めすることが多くなってきました。
気になる子や難しい育児を直接支える機関として保健が運営
する療育教室や保育サービスがこれまで支援の場としてはあ
りました。
しかし、そこに届きにくい母子というのもいます。
そんな場合には子育て支援センターは有効ではないかと思っ
ています。

①場がある。
 「ヒトがいて、活動や行為があふれる場がある。」このことは関
係性の課題や子育てが苦しいヒト、時期には支えになります。
そして、この場が生み出すものは本当に大きいのです。
こどもも親も発散をし、関わりや遊びが広がっていく。
自由度もあり、設定度や介入も参加もある。
このことの効果性は小さくないように思います。

②支援者がいる。
 保育士などの専門職が配置されていることが多いです。
相談の場にもなりますし、こどもを半分は預かり管理見守って
くれるというだけでお母さんの負荷は減るようです。

このふたつが子育てを支えてくれることは大きいのです。
とにかく「ヒトと関係の中で子育てしてほしい。」「孤独で苦しい
育児をしないでほしい。」
私は思います。
そんな時、子育て支援センターの包容力の強さは支えになると
思っています。

従事するみなさんが、「子育て支援ってなんじゃらほい???」
と毎日毎日悩んでいることを知りながらも。

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就学指導のこと

 就学指導…いろいろ難しい問題がありますが、実際の就学
先の決定と手続き論はちょっと違っていていいのかなと最近
は思っています。
委員会による判断と本人家族の選択は違っていてよく、無理
なすりあわせをする必要はないと思います。
そこに時間の経過や試行錯誤、支援の積み重ね、相談の積
み重ねが合わさってある方向に向かっていく。

 ただ、大事なのは判断すべき機関、委員会では客観的な判
断がなされておく必要があります。
ひとことで言ってしまえば、ここでの判断は「障害性の認定」です。

障害性の認定に必要なもの…
知能検査など客観的な指標や医師の診断等が必要です。
ここでは行動観察や状態像の申告や評定だけではいけないと
思うのです。
「障害性」が客観的に示されているということ。
「参加できないから」「学習が遅れているから」だけでは客観性
が欠けるのです。

そうなると極論なのかもしれませんが、受診はともかく検査を
とる所まで御家族との共通理解が深まらなければ、軽々し
く学籍の移動を口に出すべきではないのかもしれません。

まだまだ学校が、教員が大変だから学籍の移動で対処しようと
いう学校も少なくありません。
学籍の移動は困難の先にあるものではありません。
それをした方がよき学びが保障されるから。本人の最近接領域
をちゃんと捉えた支援がなされるから提案されるべきものです。
負けていく所では断じてない。
特別支援教育で支える努力をして、それから後に検討されるもの。

また、自閉症・情緒障害児学級の入級にあたっては「検査」と
「診断」まできちんと手続き的にはなければ。
判断用件は入級用件のはずです。

「障害性の認定」は大変重いことです。
たいへんだから、その方がよいからという現実だけで回しては
実は尊厳を傷つけてしまうのです。

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情緒障害児学級と愛着障害

 ある街の就学指導に出ていて思ったのです。
愛着障害の支援に情緒学級というのはありなのかもしれない。

気を付けないと、家庭からの分離がゴールと勘違いしてしまう
愛着障害への支援です。
分離が幸せを生むとは限らないし、環境の調整や地域の力を
導入することで好転することもある。
地域福祉という考え方。危ういかも知れないが、地域の力を寄
せ集めて支えていく。もちろん、さじ加減は難しいですが。
また、現実的に分離をする資源は手一杯です。

そんな中、地域でいきるこどもたちの安全な愛着を支えるため
に学籍の移動で対応するというのはありうることかもしれません。

ただ、難しいことがあります。
自閉症・情緒障害児学級なのです。
今現在、高機能群の居場所として拡大しているこの学級。
高機能群と愛着障害のこどもが同席することは容易ならざること
であるのは想像に難くない。

ひょっとしたら将来的には自閉症学級と情緒障害児学級は明確
に分離すべきかもしれません。
そんなことが必要なほどケースが増えないことをただ祈るのみ。

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すてきな視点

 ある打ち合わせでのことです。
協働で学びの場をつくるのですが、今年度は現場の課題に
ついて考え学ぶのではなく、できていることを確認し、やりたい
ことを出し合うことをテーマにしようということになりました。

できていることを確認し、やりたいことを出し合う。

思っても見ませんでしたが、この肯定的で前向きなまなざしの
すばらしさ。
私、今後、全部これでいくことに決定しました。
少なくとも今年は絶対キャンペーン。

 もうひとつうれしかったこと。
「発達といえばけやき堂」と思ってくれているヒトがいるようで
私しゃうれしいよ。
まだまだやるよ、もっとやる。
私のできていることはそんなことなのかもしれません。

できていることを確認し、やりたいことを出し合う。

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愛着障害の連鎖を断ち切る

 虐待は世代間連鎖するといいます。
虐待だけではないのです。
子育て期に家族が困難の抱えていた場合、愛着の形成には
トラブルが生じます。
そのことが発達の課題や青年期以降のトラブル、アクシデント
とつながっていくことは少なくないようです。

「見捨てられ不安」
3歳頃、愛着を確立したヒトは、その安心感を基盤にチャレンジ
していきます。逆にそこがうまくいかなかった場合はその葛藤を
引きずるのだそうです。それを「見捨てられ不安」というのだとか。
受容や関係に対する強い強い渇望があります。

そして、「両価性」という心理状態にもよく直面するようです。
自己決定しにくい、選択しにくい。葛藤の中で揺れやすい。
よく考えてみれば、「対」という3歳の節目を乗り越えていないこ
とからこの心性は起こるのかも知れません。
2つの世界から抜け出していけない。
情動の調律や物事の決定は初期発達においては大人が援助
してするもの。ひとりじゃできない。
それがなければ、その時の状況を引きずるのは当然。

 愛着の形成はどのようにと最近いつも考えています。
援助レベルをあげることからなのかなと思います。
そのことが受容につながっていく。自立参加をいったん外す。
大人から与えるものを多く多くしていく。
課題を抱えた御家族への接し方も「安全な愛着を支える」ことが
大事なのでしょう。
こどもたちとは方法は違いますが、関係に対する安心感をプレ
ゼントすることが肝要なのではないか。

発達障害と愛着についても考えます。
その特性から愛着は拡散し、児童期後半に意外と深まったりす
るようです。この子たちの課題、共感や共同注意は愛着の下衣
概念や構成要素のはずです。その質と関連については検討して
いきたい。

思うのです。
愛着の形成を援助する。愛着障害の連鎖を断ち切ることが子育て
現場の仕事と言い切っても過言ではないのではないか。
「ヒトを好きにする、自分を好きにする」ってそういうことなのでは。

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他者の気持ちがわかるということ

 前の記事とつながっています。

このケースは年長さん。
相手の立場に立って考えるのが難しいとのことでした。
まあ、そうだろう。
5歳頃に育つ、相手の立場や状況に立って考える「心の理論」
の育ちの弱さについてお話ししました。
パースペクティブなまなざしはとりにくい。
まあ、だから少しステレオタイプかもしれないけど、知識やあり
方として具体的に「どんなヒトが素敵」(ふわっと言葉等)「どう
ふるまうべき」(ルール)を示していくことが手だてなのだろうと
話し合いました。

じゃあ、年少さんのトラブルに相手の立場に立ってを求めていく
のは無意味なの?という質問が来ました。
そんなことありません。
確かに相手の立場にはまだまだ立てませんし、言語も未熟で
起こるトラブルも多いはずですが、共感にアプローチしていくこ
とでつながることもあります。
というのも、およそ1歳6ヶ月の節目でヒトは「他者の苦痛に反応、
共感する」という育ちがあるのです。
相手の立場には立てないけれど、ヒトに向いていればつながる。
また、一方、言葉や知識として「よくない」「こうあるべき」が入って
修正できることもあります。

手だてはたくさんありそうです。
発達が教えてくれること。

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みんなとうまくやれないケースのこと

 表題のような御相談を受けました。
発達障害サスペクトの年長さんです。
マイペースで、相手にあわせることはかなり難しい。
そのくせ、うまくやれないと相手を責めるという今の様子。
集団参加が求められ、設定度も高い年長さんの暮らしは
大変なんでしょうね。
活動へ取り組むことはできているようです。
マイペースでトラブル頻発な暮らしぶりをどうしましょうというの
が悩みの種。

①まずは去年、効いたのは…
 学齢期の支援でよく使う「ふわっとことば、ちくっとことば」
これ年長さんから使えます。
集団のよき一員でありたい年長さんの育ちにははまりはじめる
ようです。
この方も揉め事の基盤にはうまくやりたい、仲良く参加したいが
あるので何が優しい、かっこいいを明示するのは大事なのかも。
これをクラス全体に提案したいものです。
目指すものを示して、そこに向かうふるまい方を提案強化して
いく。

②行動問題には…
 参加の仕方で揉めています。
その子がわかるルールを示して、視覚的にも提示しておく。
それが守れなければ、あまりにひどい言動や行動であったら
本人と確認して参加を一時遮断するのも緊急避難としてはあ
ります。
タイムアウトです。
タイムアウト先の工夫などかなり配慮ややりくりが工夫ですが、
この場合のタイムアウトは参加を一時遮断してクールダウンし
自己コントロールを促すことなのであんまりトラブルが酷いとき
にはやってみる価値はあると思います。
担任もみんなも疲弊してしまう時には…
わかるようにルールを示したら、それを受け入れられないのは
本人の問題。葛藤場面でそれを支える必要がある。

 もうひとつ
注意引きの行動問題には反応しないのが常道です。
ただ、これがクラス内では容易でない。みなさんに御迷惑を
おかけしますので。

大事なこと。
タイムアウトや無視をしなければならない時、その裏側でしっか
りその個と個別場面をつくり、付き合うことが必要なのだと思い
ます。二正面作戦です。

③個を認める、ほめる
 よき参加を求める、行動を修正することを求める一方で、そ
の個の存在を認める手だてを意図的に用意したいものです。
「求める」だけじゃ大人の勝手。プレゼントもしなければ。

あと、話題にあがったのは、そんな個を抱える担任の葛藤。
そのやりくりをしながらやっていくというのは大事。

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