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2011年8月

自分の世界に居るのだけど…

 たまたま「自分の世界に入ってしまうこどもをどうしましょう?」
というお尋ねを同じ日に何件か伺いました。

独特の興味、価値を持つみなさんです。
この質問が出てくる気持ちはわからないでもない。

でも、考えてみると、本質的な所がみえてしまう質問です。
感じ方が我々と違う人たちに我々と同じ世界でずっといつも暮ら
せというのか?ということです。

そう、参加適応は必要だけど、彼らの世界の尊重は欠かせない。
そして、彼らがこっちを向いてもらうためには、彼らをこちらに向け
るより前に、こちらが彼らの世界にお邪魔しなければならない。
異文化交流ですよねえ。

好きや得意を大事にとはそういうことなのでしょう。
好きなもの、コトに関心をもってくれるヒトは好きなヒト。
彼らの好きなもの、コトを独立独歩ひとりの世界だけでなく、我々
にも共有できるもの、コトにつなげていく。
共同共感というのはそういうこと。

一方で、独立独歩のひとりの世界の保障も不可欠です。
世の中のしがらみに縛られないヒトが世の中を変えていることは
確かな事実です。
我々小人のつまんない世界にあわせていただくのは申し訳なし。

コツとしてはへんなヒトには同じ位、へんな切り口で行くと楽しく
やれます。
内容のやりとりに拘泥せず、一緒に共に過ごす時間の面白さ
を受け止めていくとこっちを向いてくれます。

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「発達障害のいま」

 浜松医大 杉山登志郎先生の近著です。

内容としてはなかなか衝撃的で壮絶なのかもしれません。
導入として読むのはなかなかきつい。

しかし、我々支援者にとっては、虐待・精神疾患を含む内容は
現場の現実、現場の臨床像であり、説得力があります。
現場で我々が感じる迷いを整理してくれています。

そういうことも含めて発達障害の今、発達障害のAからZまでを
描き出しているのかも知れません。

これは知っておくべき景色なのでしょう。
ヒトは自分の状況でしか物がみえないもの。
支援においても小さな世界で、こどもたちを捉え、語ってしまう。
全体像を知った時に、そこが焦点でないことがわかる。

発達障害のいま、知っておきたい。

講談社現代新書です。

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状況を先につくる

 視覚支援が「支援ツールをみせること」と誤解されていると
思うのです。

意味言語状況理解が難しい時には、「みせることがわかりや
すい」ということを押さえておきたいことなのです。

その誤解が「支援ツールを見せたけれども…」というとんでも
結論につながることが多いのです。

抽象的な視覚支援ツール以外にも「みせること」はたくさんあり
ます。
・具体物をみせる。
・モデルをみせる。
・指さしをみせる。
等々

そして、けっこう大事なのは「状況を先につくる」ということ。
これは
・環境を先につくる。
・活動や集団を先行させる。
があります。

「環境を先に作る」は構造化です。
~する場所や場面、体制を先につくることです。
~する時にはこの形といった環境のこしらえを先にすることです。
刺激や課題の量のコントロールもです。
やれる環境をつくるということです。
実はこれが最優先で、このあと「~するよ」という見通しや手順が
伝えられてうまくいくのです。

「活動や集団を先行させる」というのは「みんなの動きをみせて
おく」ということです。
先に学びの場や体制をつくりたいと支援者はしがちですが、意味・
言語・状況理解が難しい、切り替えがうまくいかないヒトをそのスタ
ートに乗せるのは容易ではありません。
なぜって「~するよ。」の「~」が想起理解できていないのですから。

だから、とにかくはじまってみる。
はじまっていくと動きやムードにこどもたちが導かれる。
具体的にはじまっていく内容活動によって「わかる。」
先に動かすことがうまくいくことがあります。

スタートを一緒に
同じ手立てで
一斉に
その場でお話しをきいて
という方法論に固着してはうまくいかないですよね。

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悪いことばかり伝わりやすくて…

 巡回相談をまとめています。

保育園からの事例を読み込んでいてなんだか暗澹たる気持
ちになりました。
若い先生から出てきたケースを見守るまなざしがひどい。
これってそういう指導や伝承がされているってことです。

・どもりがひどい 保護者にどんな働きかけを
・きょうだいが生まれてから家族がなんでも自立させたいという
ことで手をかけていない。
・家族がマイナスのことを聞くのがイヤで受け入れてもらえない。

これって全部、家族の文脈に沿っていないですよね。
家族の立場にたてば当然のことを否定し、支援者の側になびく
家族のみを肯定する。
子育てを家族に帰結していく。
家でああせい、こうせいばっかりをテーマにしている。
それなら保育者や支援者は要らない。

支援技術を伝えると同時に、思考をぶっ壊す働きかけを
しないとならないなあと思います。
同じ事を毎回毎回言っていくことになるかもしれません。
違う言い回しやしつらえで同じ事を伝えていくことになるのかも
しれません。

子育ては家族のみがするものでも、支援者がするものでもあり
ません。
言うことをきくこどもを育てるのが子育てではありません。
言うことをきく家族としか共感できないのは支援者じゃありません。

静かに、怒り心頭です。

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進路を決める視点

 進路相談を受けました。

みんなと地域で暮らしたいけれど、みんなとうまく関われなくて
みんなの理解もまだまだで…
みんなも本人も思春期にさしかかり、微妙な感じになって…
本人の知的な力は教科学習での学びがかなり難しいようにな
ってきて…

御家族はみんなと暮らしていくことを大切にしたいと考えていま
す。というのも、将来にとって就労にとっても関係はとっても大事
だから…
このまなざし最近はとっても増えています。
「みんなの中に居て欲しいから」でなく、「本人の将来のために」

とはいえ、不適応が大きくなってきている。
家庭でも反動もみえてきている。
お悩みでした。

お話ししたこと。
将来につながる時期の進路選択です。
本人につけてほしい力の再検討をしたいもの。
みんなの中に居ることの意味を再確認したいもの。

知的な力を考えると、「みんなと」「教科学習が」難しくなってき
ています。
本人に生きていく力をつけてあげることが大事なのじゃなかろ
うか?


うまく関わるの土台にはできる、わかるが必要で、みんなの中
にいることがすなわちうまく関わることには成り得ないのではな
いか。

みんなの中に居ることは大事だけど、本人の不適応やみんな
との間が微妙に成っている中でそのことを維持することは本当
に本人のためになるのだろうか?

地域やみんなにわかってもらうことは大事だけど、啓蒙啓発の
ために本人が生きている訳ではない。本人の生きていく力をつけ
てあげることの方を優先した方がいい時期ではないだろうか?

そして、人間関係や関わりはライフステージによって移り変わる。
今の関係が一生続くわけではないから、今地域でみんなと居る
ことにそんなに固執しなくてもいいのではないか?

果たして、みんなと違う学びをすることが本当にみんなと離れてし
まうことになるのか?補う手だてはないのか?

私は思うのです。関係は大事なことです。
そのことが生きていく基盤であるといっていい。
このブログはそのことばっかり書いている。

けれども、参加はなんとなく一緒にいれば成立するものでありま
せん。
一緒に居ること任せでよき育ちが成立するほど甘くはない。
発達の課題を抱えたこどもたちを支えるのに、場の構造だけで
具体的なプログラムという手だてを打たないのは手落ちだと思う
のです。
プログラムのある育ちの保障が大事だと思うのです。

どうでしょうか?

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こどもの前に立って

夏休み
我が社のこどもたちの前でメモを持ちながら、今日の御相談
をしにスタッフに声をかけました。

すると、こどもたちは「行く!」

愛着の問題を抱えています。
反応速度は極めてはやい。
まだ、どこへ行くとも何をするとも言ってもいないのに…

ただ、うれしいのは私がそこに立つと何かがはじまることが了
解されてきたこと。
与え続けるのは本当に大変ですが、まあこのヒトは大丈夫と
思ってくれはじめているというのはまずまずです。
最近はつとめて言葉を削り、問題行動に着目しないようにして
いますが、それでも私、えらく叱ることもあります。
それでも期待されているならまあいいのかと思いました。

支援者としてはパッとこどもの前に立つと場がかわり、こども
たちに期待される、「あの先生面白い。」と思ってもらえるヒトで
あること大事にしたいと思います。

まあでも、苦しい、華やかでない時間や生活もあります。
私がこどもたちと楽しい時間を過ごしている間に地道な下支えを
してくれているスタッフの存在もあります。
そのことにも思いをはせます。

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乗り越えるべきもの

 刺激に反応しやすく、なんでもやりたがるAくん。
その基盤には発達障害があり、愛着形成の問題も抱えて
います。

難しいなあと思うのは、愛着形成のための受容と発達を支える
幼児的万能感の調整を両立させることです。
「ヒトは信用できるもの」ということと「人生思うに任せぬ事ばか
り」を両立させることはさじ加減に迷うものです。
ただ、このAくんは揺れながらも一定の愛着はできている部分が
あるので、万能感の調整に重きを置かれはじめています。

この幼児的万能感の調整で思ったのは、欲求の調整には「状況
の理解」「場面の理解」という知的でなおかつ対人的なスキルが
必要だということ。
「どうなれば欲求の実現ができる」という見通しがもてないと本人
の無駄足は増えます。
そこを支えることの大きさはあるようです。

この「幼児的万能感」の時代なんだろうなと思います。
「夢は願えばかなう。」みたいなキャンペーンをしてます。
その夢もテレビに出ているヒトが語るような夢。
そんなことはない。

これもまた愛着形成の問題なのだろうかと感じます。
じっくり受け入れながら、現実原則を示していくのが子育て。
欲求不満場面で揺れる情動を支えてくれるのも大人です。
ここにもかなりのバイタリティが必要です。
この深い関係、やりとりとバイタリティの欠落も時代の課題なの
かもしれません。

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新しいこども支援モデルが出た

 改正自立支援法でようやくこどもの支援モデルが示されて
います。

児童発達支援センターという療育機関を人口10万人あたり
に1カ所設置し、もうちょっと小さい児童発達支援事業を中学
校区あたりに設置していこうというもの。

まだ意見を受け付けている段階ですが、直感的に感じるの
は療育機関をセンターにしていくモデルは現状にあっていない
と思うのです。
これは特別支援学校のセンター的機能が現状とあっていない
の同様だと感じます。

高機能群が多い現状では、「障害」の枠組みでこどもたちが生
活することは少なくなっています。
「障害」にまで至らない「特性」を持つこどもたちが増加している
中で、「障害」の枠組みで捉えて支援をしていくことは現実に即し
ていないと思うのです。
療育にこどもが集まらない時代なのに、どうして療育機関を整備
していくのか疑問…

今まで整備されてこなかったものが今から整備できるのか?
財政的にかなり厳しい時代なのに…
おまけに地域支援を療育機関にということですが、今、療育は
ケースが増大し、キャパシティが一杯の中で悪戦苦闘しています。
とても、地域支援に手が回らない。
専門配置や部署が必要です。
それを担保できるのか?

すでに療育機関を設置しない市町域の支援モデルの形成もはじ
まっています。
混乱が生じないでしょうか?

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大人の発達障害

 大人のケースのことを2つききました。

ある研修に家族が統合失調の治療をしているが、基盤に発達
障害があると指摘され参加したという方がいました。

またあるケースでは、あるライフイベントを契機に生活がかわ
り、抑うつ場面が表れてきたそうです。
その治療をする中で発達障害がみえてきたのだそうです。

示唆的です。
「発達障害」というものの性質がみえるケースです。
この方々に発達障害が隠れていたのかというと、そうではないの
だと思うのです。

凸凹はあったのでしょうが、このヒトなりに適応してきた。
ライフイベントを契機とした抑うつ状態の治療の中で、このヒト
の中にある凸凹がみえ、抑うつ状態のなりやすさや土台にあ
るものとしてその凸凹を「障害」というようになったのだと思いま
す。良いときは凸凹であり、個性だけれど不適応が生じると
「障害」ということばになる。

広汎性発達障害とうつは親和性が高いと言われています。
うまくやれない自分への気づきや感じ方が違う自分への違和感
はそういうものにつながるのでしょう。
ADHDが外在化しやすい一方、内在化しやすいのかもしれませ
ん。

きっと、まずは今の症状の改善を先行させ、自己をモニタリング
できる状況になったら自己の凸凹、発達障害を理解した暮らし方
の提案をしていったらいくべきなのかなと思いました。

場面や状況の変化の中で揺らぎやすい凸凹という特性。
けれども、それは眠っている困難ではないのでしょう。
環境によってそれは適応にも不適応にもなる。
そして、大人にとっては「自己」と「認知」にアプローチしていくこ
と必要なのだろうなということ。
生きにくさに共感し、特性を理解して一緒にどう暮らしていこうか
考えていく。

大人の困難が教えてくれること。

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「遠まき」にしているのだけれど…

 夏休み。
こどもたちをヒーローショーに連れて行きました。
Aくんの話です。

Aくんはヒーロー大好き。
けれども、会場についた途端、尻込みを始めました。
まだ、ヒトは多くありません。
席もあります。
確かな見通しと期待を持って出かけたのに、会場の周縁に
出ていって涙目です。
迎えにいって外周に一緒に座りました。
手をつなぎながら…黙って…

いつものことです。
好きなものでも意識化されるとびっくりする。
もともと不安の強いAくんです。

ヒーローショーはじまりました。
出てきたらどうなるかと思いきや。
少し時間があったため、落ち着きをとりもどしたAくんはヒーロー
を歓迎し、彼なりに熱心にみることができました。

ショーは司会のおねえさんのはきはきした進行で進んでいきます。
そんなAくんです。
その進行にはきはきと応じながら…は難しい。
ちょっとだけ手をあげたり、口で反応しながらの参加です。
周りが敏捷に手をあげ、よく反応しているのと対照的です。
でも、Aくんの目は次第にキラキラしてきました。

 そんなAくんを見ながら思ったこと。
みんなと安心感やスピード感は違う。
けれども、ヒーローをみている思いは違わない。
このAくんの存在を大切にしていかなければならないなというこ
と。
私は、場の中で敏捷に反応しているこどもたちよりもこんな周り
でおっかなびっくり見つめているこどもたちが気になりました。
遠まきにしているのだけど彼らもこのショーには必要なメンバー
です。

気を付けないとそのことを我々は忘れてしまう。
多数のようないい反応はしない。
けれども、確かに彼らなりにキラキラしている。

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生活上のあらわれと「処理速度」

 最近、我が社を利用している小学生のことです。

刺激に反応しやすく、どこかで新しいことがはじまるとすぐに
「自分も!」となります。
さりとて、すべてに参加できる訳でもなく、涙や残念な思いをす
ること多数。

一方、参加したらしたでなかなか終われない。

そして、知的にもそう高くはないために、いろいろな説明や理由
の飲み込みは容易ではありません。
納得もできにくい。

衝動性強く、聞き分けもない感じになっていてこの子は育てにく
いだろうなと思います。

 そんなこの子をみていて特に気になったのは「処理速度」の
ことです。
見た物にはパッと反応する割に、思考が遅かったり言語化に時
間が掛かったりしています。
あんまり生活の中で「処理速度」を問題にすることってありません
が実はみておきたいことなのかなと感じています。

処理速度が遅いから満足に時間がかかる。
処理速度が遅いから納得に時間がかかる。
処理速度が遅いから思いの表出や反応に時間がかかる。

そう考えた時に、早めの予告や考える時間を与えること、充足
できるようなゆったりしたストロークで活動をとることは必要なの
かもしれません。

そして、もう1つ大事なこと。
処理速度に焦点を当てると大人のいらだちが減少する気がする
のです。
刺激にとんでいき、切り替えできない、わからないこの子の「でき
ない」「わからない」「よけいなことをする」に大人はいらだちます。
そこではなく「遅い」に目を向けたときに、ちょっと柔らかい思考が
できそうです。

処理速度=学習能力の評価にのみ使われがちですが、生活
を支えるヒントにもしっかりしたいなと思いました。

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現場のきらめき

 ある中学校の校内研修に行ってきました。
御題が要保護を含めた特別支援の話です。

現実的でいいテーマだなあと思ってお受けしました。
この学校の問題意識、取り組みがわかるテーマです。

けれども、中学校です。
まだまだの側面もありそうです。
小学校時代のせいにしてないかしら…
基本的な発達障害理解はしているかしら…
ユニバーサルデザイン・インクルーシブ等わかってくれる?
いろいろな思いを抱えていきました。

ところが…
前向きな感想に驚きました。

研修企画に賛同してもらって喜びました。

管理職が恩師だったことがわかり、その恩師が懸命に困難
事例を支えていました。

同級生が二次障害に苦しむこどもに向き合っていました。
そして、もっと勉強したい…こういう個の支援について知りたい
と言ってくれました。
中学校の普通学級の担任です。

うれしかったです。
行ってよかったです。
研修したのは私です。

現場のきらめきに救われました。

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「受容」の話

 できないなと思って日々修業していることがあります。
相手の感じ方を受容することです。

事実は確かにあります。
ただ、ヒトは事実をそれぞれに認知して理解し、その結果様々
な感情を抱え、行動しています。
事実が大事じゃないことの方が多い。

そうなると、「そう感じるんだね。」がとても重要です。
入り口としては相手の理解の仕方、感じ方を受容するという受
容許容が大事。
事実のやりとりの前に、そういう感じ方をしているあなたを受け
止めますという構えが大事。

これはカウンセリングでは「傾聴」というのでしょう。
「傾聴」はそれを続けることで相手が自分の認知や感じ方に気
づき、修正していくという方法論です。

私の場合は自分で気づく力が弱い相手と接することが多いの
と、せっかちなために「傾聴」を中心に支援をすることは少ない
のですが、今更ながらこの「傾聴」の構えの重要さを思います。

「傾聴」嫌いで、他の方法の模索して来ましたが今再び出会った
「傾聴」に驚いています。

どうやら「傾聴」は構えです。
自己コントロールです。
こちらが感情や認知をコントロールして向き合う。
満々と水をたたえた湖のように…
この技術つけたいものです。

「心配なんです。」
→×「心配ないよ。」
→○「心配なんだね。」

「へんな虫がみえるんです。」
→×「そんな虫いないよ。」
→○「虫がみえるんだね。」

支援技術というものは基本にして極意というものが本当
に多いということに最近気づいています。

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「許容」の話

 現場の雰囲気や動向と闘わねばならないことがあります。

先日ある研修で素晴らしいクラスつくりの実践を発表してくれ
た先生に突きつけられた質問は、その実践をどう広めていく
のかという問いでした。

最先端の実践は理解されません。
苦しいそうな日々のようでした。

教育や保育の中にあるこども観は本当にかたくて、こどもの発
達状況に沿っていないのが現状です。
啓蒙啓発は専門職に必要です、まだまだ。
「敵は身内にいる」感じを思います。

でも、その身内の思いや実践も許容しなければならないと思って
います。
いい実践をしている支援者がいらだち、同業者を攻撃する場面
をよく見ます。

ヒトはよわいもの…
攻撃されると、否定されると「私にはできない…」になってしまう。
「あのヒトだからできること…」になってしまう。

本当にヒトを動かしたければここでもやはり許容なのでしょう。

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学校園で愛着障害を支えるということ

 前回とつなげて読んでいただければと思います。

今週、サマーセミナーを開催しています。
2日間丸ごと愛着を支援する特集を組みました。
愛着障害そのもの
母親の心理病理の理解
SST
などなど
自己肯定感とよき関係を作り出すことの重要性について学び
ました。

愛着障害への支援実践です。
施設内特別支援学校から多くの参加がありました。
発達障害で、愛着障害のこどもたちの支援で本当に苦労して
います。我が社と御同業。

・集団で、内容(知的学習)に取り組むことが難しい。
・イライラ
・過敏性、刺激の反応性が高い。
・相互に刺激し合う

このヒトたちを学校の支援様式の中でどう支援するかを交換
しました。

あちこちでやっていた取り組みにヒントがありました。
それは「グルーピング」を工夫すること。
刺激をコントロールし、よくやれる場をつくること。

これは大事だなと思いました。

そして、応用行動分析的とりくみも共通していました。
好きなもの、得意なものをさがしながら材料にし、トークン等
で強化していく。

愛着障害への支援は愛着の形成です。
そのことの基本的な手だては個別的な関係性です。
支援の基盤はそれだけど、それだけが手だてではない。
彼らはヒトとの関係に苦慮しているけど関わりたいとは思って
いる。そのことを思えば、集団の中で支えていく方法論の模索
は不可欠です。
それは決してクラスにはめるという観点でなく。

これは支援者が新たに創造すべき分野なのでしょう。
アンケートに「人が引き起こした問題ならば、解決していけるの
もまた人と思って取り組んで参ります。」とあってスタッフ一同
感嘆し、胸に留め置きました。

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特別支援教育正式開始から5年経って③

 そして、語らなかったこと。
司会者としてあえて広げなかったことがあります。

それは家庭の問題、要保護、愛着障害との関連や生徒指導
上の問題との関連性です。

きっとこのことは5年の間に最も深刻になってしまったことで、
このことなしには特別支援教育も語れなくなってしまいました。

ただ、まだ支援の方策は明確でなく、ただの困った大会、愚痴
大会になってしまうのです。

そして思うのは、困った大会・愚痴大会ではなく、もう当然あり
うる問題として我々が引き受けて手だてを探していくことの必要
性です。

学びの場だから前向きに。
そんな感じの研究会にしたいと思ったのでした。

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特別支援教育正式開始から5年経って②

 すいません。
続き物にしたらプレッシャーでなかなか書けませんでした。
失敗失敗…

そうそう、それからやはり学習支援の動向は?と尋ねてみた
のでした。
学校で個別の学習を支えることは難しいというのはやはり
あがったのですが、少しずつ授業のわかりやすさ等ユニバーサ
ルデザインに向かう機運はあるようです。
専門家の助言である個に配慮した授業の仕方をしたらクラスの
仲間にとっても有効で以降、工夫しているという実践が紹介され
ました。
そういう実感は大事ですね。

そんな流れで授業研究や研修につながってほしいという話になり
ました。

ある先生が板書計画が大事というお話をしてくれたのをきっか
けに、今度はノートテイクの話になりました。

というのは前の画面を手元に写すという側面がノートテイクに
ある以上、前の画面をどう書くかは非常に重要。
以前のように板書がめちゃくちゃということはなく、教員自体もそ
のことには気を付けている傾向があるとのことでした。

教科毎に違う板書、ノートテイクの様式。
統一できるものは統一してみたらという意見も出て…
そこは担任毎に違っているということ、問題にしてもよいのでは?
そしてそんな大事なことに光が当たっていないのは盲点だったと
思いました。

トップダウンで考えると、将来必要なノートテイク関連の様式って
上手な「箇条書き」のスキルあたりの気がします。
箇条書きの方法論、ノートテイクでちゃんと教えてほしいものです。

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