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発達論の今

 暮れに発達心理学会誌が届きました。
発達論特集で、よく読みたいなと思っています。
(なかなか読み応えあって大変なのですが)

「障害」分野でも発達のとらえかたが変わってきているという論
文がありました。
「発達段階」よりも「特性」で育ちを語る場面が増えているとのこ
と。

なるほど。
「発達段階論」の基盤として、こどもの育ちは同じような道筋を
たどるというストーリーがあります。
概略はその通りだろうけど、多様な育ちを抱えたこどもたちの
それはまっすぐ「次はこうなる」というような進化論的な捉えや
展開とはちょっと違うことがみえてきたのは確かなのでしょう。

あとはなぜだか、「発達段階論」は支援者の胸に落ちてこなか
ったのです。
それほど難解でもないのでしょうが、「育ちの連関」を支援する
人たちが体系的に理解しようとしなかった気がするのです。
まとまった育ちの理解が難しい一方、困難を説明する切り口
として特性がサッと受け入れたのは必ずしもその視点の妥当
性だけではなかった気もするのです。
都合よく育ちを理解する切り口として「特性論」を胸におさめた
気がしないでもない。

でも、多様性ですべてを理解はできないと思うのです。
特性の集積がはたしてヒトなのか。
特性は困難という言葉に安易にかえられてしまう可能性もあり
ます。
「次はこうなる。」というようなものではないかもしれませんが、
育ちの機能連関や構造理解のためのモデルとして、発達段階
論は必要なものだと私は考えています。
定型モデルですべてを推し量るのは乱暴ですが、統計的蓄積
は参考にしておきたい。
ただ、その統計の見直しは常にしなければなりませんが。

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発達の理論と視点」カテゴリの記事

コメント

同感です。「「障害」分野でも」というのは他の分野でも「発達段階」という概念が薄れてきているということでしょうか?いろんなことを知らないままこの世界にいるのが不安になりますねえ(勉強不足で恐縮です)。研究会等に出て感じるのは、(多くは行動論的なアプローチですが)行動の形成や調整をもって「発達支援」と言い切る方々はおそらくこのような考えの基に実践をされているのだろうなということです。自分のイメージは(障害の重いお子さんは別の問題として発達障害等昨今話題の多いお子さん方については)大きなかつ多様な発達のみちすじがあり、そのみちすじを進むことを支えるイメージです。とはいえ、そのみちすじが多様なものになっているとは感じています。ですから、行動の調整や形成はそのためのひとつの方法であって、それを「発達」と呼んでしまうのはあまりに単純というか狭い考えではないかと思うのです。発達障害等が増えていると言われるこの頃ですから、発達の概念が変わってくることは十分理解もできますが、「発達」と「特性」を混同するのはどうにも釈然としません。「機能関連」「構造理解」という発達の理論の最も面白く難しい部分は発達に携わる方々が大事にして欲しいところですね。いつも勉強になります。ありがとうございます。

投稿: 923 | 2012年1月11日 (水) 09時00分

923さん、いつもありがとうございます。

 「部分の総合が全体ではない」ということはまさにヒトにあてはまることのはずなんですよね。
特性や行動の蓄積が発達支援ではないはずなのに。
どうしてだろうと思います。
ひょっとしたら支援者の中に、こどもたちと自己との存在のつながりというものへの意識がなくなってきているのだろうかと思ってしまいました。
同じ発達の筋道の上にいて、同じような凸凹のある存在のちょっとだけ違う場所に居るという連続性が意識されていない。
こどもたちは支援される対象で、自分とは違う。
コメントを拝見していてそんなこと思っているんじゃないかと危惧を感じてしまいました。

投稿: けやき堂 | 2012年1月11日 (水) 13時10分

 もしよろしければご参考にしてください。未公開の田中昌人先生の話を掲載していますので。
++++++++++++++++++++++
http://kyouikukagaku.blog.fc2.com/blog-entry-45.html
**************************

投稿: 障害者教育科学研究所 | 2014年3月 3日 (月) 23時15分

「発達を支援する」とか「発達に障がいや困難があるお子さん・・」と当然の共通理解前提で話している中で 確かに客観的?統計や科学的に?(偉い先生方の論に照らして?)人間としての発達の観点から見て『この子のここは凸凹で遅れてます』よく耳にする言葉です。・・今回このブログに出会えて「ああ、そうかも・・」と思えた事として『支援者と子ども達の自己の存在のつながりと言うモノの意識』(考えや感じ方も含まれることと思いますけれど)の希薄さ。支援者側が あの子たちとは違う!私は普通。(誤解を恐れずに言うと→)まともなの・・と。私はここで書いて下さったように「~同じ・・で・・まっ・・ちょっとだけ違う場所にいるけど、手を伸ばせば 何とか届くかな・・~」という感覚です。「発達」とは何ぞや?という研究や理論、統計や哲学も日々「発達」している訳でしょう・・発達を見失わない様に意識も発達させなければ・・うん。田中先生の所もご紹介いただきちょこっと読み始めました。田中節!良いですね!色々と気づかせてくれることの多いブログやコメント内容&皆様に『感謝!』です。

投稿: 赤根 修 | 2014年8月31日 (日) 18時35分

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