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2012年2月

先生がよければいいのか?

 難しいなあと思うこと。

巡回相談にケースがあがらないことがあります。
担任の困り感をもとに要請がくるのですから当然です。
いいのだと思います。

でも、気を付けなければならないのは、先生が困っていないの
と本人が困っていないのとは別の時がある。
先生が困っていないからといって本人に特性や障害がないこと
にはならない。

診断や特性を嫌がる支援者がいます。
先生が嫌なのと有無とは別の話。
うまくまわっていると有るものがなしにされてしまうことがある。

次に支援を引き継いだ時に、環境の変化などで困難が顕在化
した時に、「きいていないんだけど…」ということもよくあるのです。

 大事なことは相対評価じゃなくて育ちの質をみることなんだと
思います。
うまくやれてる時にはうまくやれてる要素を分析し、そこに乗れる
本人の力を評価する。
そのことは逆にバランスが崩れた時におこる心配も予測できる。
発達を理解するというのは、順序性じゃなくて構造を理解すると
いうことだと思うのです。

うまくやれてるヒトのうまくやれてる力や条件をみておくこと、大切
だと思います。

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視線があわない

 園訪問のまとめをしています。
プロフィールに「視線があわない。」とよく書いてあります。
表現したいことの意味がわかりにくいです。

視線の合う合わないは指標にはなるのかもしれません。
違和感の表現として書いてくれているのかな?

でも、そのことは何の困難にもなっていない。
視線を向けることができるかできないかはその個の対人動機
等の今をみることには意味があるけれど、「視線をあわせなけ
ればならない。」という質の問題ではありません。

と私は思いますが、けっこうそうでもない支援者って居る。
「御行儀」と「違和感」を合わせて、視線をあわそうとさせること
って案外あります。

視線は強い強い対人刺激です。メッセージです。
なんと言っても「目は口ほどにものを言う」の目ですから。
その刺激自体を回避したい感じ方というものはある。
でも、それと関わらない、応答しないのは別です。
まあ、多少横向いていたって関わり、応答してくれれば問題
ないのです。

むしろ視線を合わせること自体が目的化しているのはおかしい。
視線があうのは結果です。
必要性があって、好きなヒトで、安心できるヒトが相手であれば
発達障害児でも視線をくれます。

ひょっとしたら「見ない」という特性よりも見てもらえない関係性
の方が問題なのかも。

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拾いすぎ

 最近思うのです。
地域によっては「拾いすぎ」の問題を吟味しなければいけない
のではないかと。

どういうことか?

早期発見、早期支援の意味や必要性が浸透してきました。
各ライフステージで懸命な取り組みが進んでいます。
そのことはまったく悪いことではないのです。
絶対に。

けれども、よくよくケースを吟味し特性について理解していかな
いとチェックされるヒトは増えていってしまうのです。

・特性のあるヒトすべてが、障害ではない。
 実はまだ、このあたり浸透していないと思うのです。
特性の有無=障害の有無になってしまっています。

落ちこぼしをおそれるあまり緩やかな特性までチェックし
てしまう。

 このことも拾いすぎの原因です。
そして、結局細かな支援ができなく、家族に不信感を生んでし
まうこともある。

・拾いすぎがサービス不足を招く。
・拾いすぎが支援者の力を奪う。

こんなに発達障害が多いのだから、もっと教室を療育をという
声があります。巡回相談をもっとという声があります。
ある程度まではその通りだと思います。
けれども、無尽蔵にサービスは増やせる訳がない。
そして増やすべきでもないと思うのです。
サービスが拡大していくこと=インクルーシブの進展を妨げると
思うのです。
発達障害のある個はどこかで専門家?!にみてもらうべきと
思っている支援者は本当にけっこう居る。
また、リソースルームだってあまりに拡大していくと分離教育の助
長だと思うのです。

・拾いすぎ=過度なラベリングは可能性を奪うことも
 就学でも思うのです。
本当に学籍の移動が必要なケースなのかの吟味は本当に慎重
にしていきたいもの。
ある時期、特性が強く過敏だが、それがかなりのスピードで改善
していくケースも少なくありません。
通常の学級へもどることはまだまだ容易ではありません。
将来の進路選択を見通した時に、どこで学ぶかは大切なことです。

まあ、ただ大部分地域では、「拾いすぎ」ではなく「落ちこぼし」が
話題になることが多いのだと思います。
これはずっとどちらかに揺れるものかもしれません。
どちらも防ぐためには方法があります。

地域に多段階支援システムを構築すること。
落ちこぼしても次のライフステージで支援を受けられる。
気づきが起こった所で支援を受けられる。
心配が引き継がれていく。
落ちても大丈夫となったら拾いすぎは減っていく。

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保育者と3歳児神話

 3歳児神話とは、「こどもは3歳児頃までは母親の手元で育て
ないと悪い影響を及ぼす」という考え方です。

ある地域を支援していてやけに乳児保育に否定的だったので
どうしてかな?と思っていたら保育者がみんなこの考え方にとり
つかれていたのでした。

このことは科学的な根拠はないという研究がありますが、昨今
の母親像や愛着の問題などで再び神話化が深まっているよう
な気はします。

保育者からみれば懐疑的な母親像があるかもしれません。
他者依存的な子育てや放棄的な子育てもある。
その母親を支える必要はある。
でも、そのことと「小さいうちは母親が」はイコールにはならない
はずです。
むしろ、難しい子育てならば保育者がその代行をして母親やこ
どもの育ちを支える必要がある。

「誰が」すべきではなくて、すべきことをするのは誰であっても
よいのだと思うのです。
とにかく、すべきことが行われるべき。

 また、どうやら神話化を支えている視点のひとつが「愛着は母
親としか形成できない。」というこれまた神話です。
愛着は再形成もでき、母親以外とも形成はできます。
ケースによっては母親とは愛着を築けない場面も出てきます。
では、その個の発達は保障されないのか?
違います。

愛着とは誰とではなく、その形成自体が必須なのです。
自己肯定感、世界への肯定感と関係への動機につながる基盤
となる受容的関係の形成は発達にとって必須。

 そして、3歳児神話を奉じることは子育て現場の存在意義や専
門性を否定することにもつながってしまう。
「家族が子育てをした方がよいのならあなた達の存在意義は?」
「保育園は保育に欠けるこどもを救うための必要悪か?」
になってしまう。

園には場と関係があります。
それは子育てには欠かせないもの。
それは時には、現代家庭に失われがちなものでもあります。

子育ては家庭生活を基盤として社会全体の責任で行われてい
くべきものです。
母親を中心とした家庭の責任で行うべきものでは断じてない。
子育てを社会と切り離す、母親を社会と切り離すことを絶対に
してはいけないと思うのです。
母親だけで子育てをやれるほど、社会は生きやすくなくなって
います。

「3歳児神話」
実は専門家の間に再神話化されつつあってちょっとこわい。

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少年犯罪の厳罰化に思うこと

 光市の殺人事件、当時18歳の犯人の死刑が確定しました。

こどもは失敗してよいのだと思います。
練習すればよいのだと思います。

ほとんどの、こどもの発達課題は社会や養育の影響の下に
起こっていること。
そのことを思うときに、こどもの失敗は大人の失敗だと思いま
す。こどもの発達課題は大人の発達課題なのかもしれません。

けれども、思うのです。
最も大切な他者の命を奪って、「更正」というのはあるのか?
私にはわかりません。
たとえばひとり殺しても、更正して何万人を救ったらそれでいい
の?
私にはわかりません。

こどもに教えるべきこと。
「ヒトを傷つけてはいけない。」ということ。
でも、その前にその個が傷つけられないということが保障され
ていなければなりません。
少年犯罪の影には必ずといってもその個の侵害や疎外がみえ
隠れします。

少年犯罪の厳罰化、世の中や大人のありようを問われています。
ヒトを殺してしまうようなこどもにするな!ということを問われてい
ます。

最近は、自立や自発、知識の習得の援助よりもいかにこちらが
手を出して援助するかに腐心しています。
援助というつながりで関係や愛着を保障することこそ、彼らの
存在を肯定することになるのではと思うからです。

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幼保小連携のよき実践

 幼保小連携の研修会に行ってきました。
私の話の前にすばらしい実践報告がありました。
いただいた資料もなかなかよくて…ちょっとレポートします。

実践報告
まあ研究の当番にあたっていたようで幼保小連携でやっている
実践をいろいろ織り込んだとりくみで、一点豪華主義みたいな
側面もありましたがよかったです。

よかったのは一年生をどうよく育てるかの観点でプログラムが
進んでいるということでした。
小学生になるためにではなく、今の6歳につけたい力を育てる
という願いが感じるのです。
これは大事な観点だと思いました。

主眼となるテーマが「あたたかな関係づくり」でした。
学習のことではなく、関係性を大事な物として捉えている視点は
共感できました。
この研修会は1年生担任と年長担任がいっしょに学んで後半は
移行支援を行うという仕立てでしたが、1年生担任がみな口を揃
えていっていたのは、大切なことは知的学習のスキルではなく、
生活の自立や関係性、コミュニケーションの力を大切にというこ
と。

現代の子育ての課題です、これは。

交流の様子も多軸です。
1年生の学びの中で年長を巻き込む、地域、園とつながる活動
があります。
文字通り行ったり来たりしています。
6年生も行き来しています。

良いなと思ったのは6年生が不要になったカスタネットを園にプレ
ゼントするという実践。
ただあげるのではなく、演奏をみせることがあこがれにつながり
物も受け渡されていく…素敵だと思いませんか?

スタートカリキュラムもよくできていました。
当初は、休み時間を長めにとり、こども同士で目一杯遊ぶ時間
をとる。
生活科中心に授業を組み立て、1,2時間目の集中できる時間
帯に国語、算数と固定して学習のリズムをつけられるようにした
とのことでした。

こうした学校のとりくみと呼応するように園でもバトンタッチプログ
ラムできないかな?と提案してきました。
学校へのあこがれを支える年長さんの実践です。

関係性の課題が現代の課題です。
すべての場面でそこを意識したい。

先日、愛着障害へのアプローチの中で、弱者や他者への援助も
重要なものであるという一節を読みました。
自分のされた関係を再現するだけが彼らの関係性ではありませ
ん。援助を通して自己の関係性を再構築していく力もヒトはもつ。
異年齢の関係性、交流はそんな意味ももつ。

一方、低学年までは仲間との関係の一方で、大人への強い信頼
や結びつきでできています。
発達に課題のあるこどもたちは愛着の形成が学齢期前中盤に起
こることも少なくありません。
先生とのゆたかな関係を基盤とした学び…これも大切なのでしょう。

地域という大きな単位も含めて関係をつくる。
幼保小連携の肝はそこなのかもしれません。

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iPad

先日、あるご父兄にうかがった事です。


病院で勧められて自閉症のお子さんに半信半疑でiPadをもたせてみたそうです。
すると、重度でとても操作が難しいと思っていたおこさんが、因果関係を理解して簡単なゲームやプログラムを操作し始めたのだそうです。

新しい媒体はこんな風にこども達の発達や明日をかえる可能性を持っていそうです。


持っていたいこと。新しい道具や方法を取り入れる柔軟性やチャレンジ精神。そして、こども達の可能性を信じるまなざし。重度児は様々なアセスメントや生活誌をへて、そこにいます。夢や物語をつくらず発達を土台に支援したいものです。
一方でヒトの脳機能はまだまだわからないことが多いのです。重度であるということは可能性に満ちたブラックボックスであるという側面もあるはずです。信じず、信じる視点が必要なのかもしれません。

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こども支援に必要なこと

 母子保健・幼児期支援の従事者の研究会の年度最終回が
ありました。
多くの意見情報交換で気づいたことです。

・こどもを育てる現場であってもこどもの育ちだけを見ずに
母/親自身のありようについての支援、母子/親子の関係
性についての評価支援が必要。
母子というユニットをみていくことに意味。

・ケースの状況
①虐待予防教室を利用している母子の子の多くに発達障害
のリスクがある。
②病気の母の生育歴をきいてみたら発達障害も疑われること
も少なくない。

・今までの母子保健のセオリーだった「こどもの育ちをみる、きく」
からそこに向き合う母をみつめ、支援することが重要。

・子育ての支援はすべてソーシャルワークが必要。
自分でできないことは他の部署につなげたり、任せていくことで
支援を生み出していく。

・子育て支援には家族へのグループアプローチも効果的。
ピアカウンセリング等

・そして、グループアプローチと個別支援、面談は両輪。

・指導ではなく、支援が重要。そしてカウンセリング的傾聴。

・一方ハイリスク母には「自己開示」の後のフォローも欠かせない。
トラウマの表出や開示の葛藤が生まれることがあるから…

「自閉症を発見できる健診は虐待予防にもつながる」という知見
をきいたことがあります。
今回の、子育て支援が関係性の評価と支援であるということは
この知見の意味を確認することになりました。
発達障害も虐待も関係性の困難です。
そこをみつめるのは個の状態像と関係性をみていくことなのだと
思います。

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