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保育者と3歳児神話

 3歳児神話とは、「こどもは3歳児頃までは母親の手元で育て
ないと悪い影響を及ぼす」という考え方です。

ある地域を支援していてやけに乳児保育に否定的だったので
どうしてかな?と思っていたら保育者がみんなこの考え方にとり
つかれていたのでした。

このことは科学的な根拠はないという研究がありますが、昨今
の母親像や愛着の問題などで再び神話化が深まっているよう
な気はします。

保育者からみれば懐疑的な母親像があるかもしれません。
他者依存的な子育てや放棄的な子育てもある。
その母親を支える必要はある。
でも、そのことと「小さいうちは母親が」はイコールにはならない
はずです。
むしろ、難しい子育てならば保育者がその代行をして母親やこ
どもの育ちを支える必要がある。

「誰が」すべきではなくて、すべきことをするのは誰であっても
よいのだと思うのです。
とにかく、すべきことが行われるべき。

 また、どうやら神話化を支えている視点のひとつが「愛着は母
親としか形成できない。」というこれまた神話です。
愛着は再形成もでき、母親以外とも形成はできます。
ケースによっては母親とは愛着を築けない場面も出てきます。
では、その個の発達は保障されないのか?
違います。

愛着とは誰とではなく、その形成自体が必須なのです。
自己肯定感、世界への肯定感と関係への動機につながる基盤
となる受容的関係の形成は発達にとって必須。

 そして、3歳児神話を奉じることは子育て現場の存在意義や専
門性を否定することにもつながってしまう。
「家族が子育てをした方がよいのならあなた達の存在意義は?」
「保育園は保育に欠けるこどもを救うための必要悪か?」
になってしまう。

園には場と関係があります。
それは子育てには欠かせないもの。
それは時には、現代家庭に失われがちなものでもあります。

子育ては家庭生活を基盤として社会全体の責任で行われてい
くべきものです。
母親を中心とした家庭の責任で行うべきものでは断じてない。
子育てを社会と切り離す、母親を社会と切り離すことを絶対に
してはいけないと思うのです。
母親だけで子育てをやれるほど、社会は生きやすくなくなって
います。

「3歳児神話」
実は専門家の間に再神話化されつつあってちょっとこわい。

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コメント

お考えは、よくわかります。
社会全体で子育てしていくもの・・・隣の家の人に、自分の子どもを名前で呼ばれた事もない、子どもと近所を散歩していても声もかけられない。何年住んでも、自分から挨拶を積極的にしてもです。こんな地域もあるんです。必然的に、自分しかいない・となります。
保育施設はどうなのか。本当に子どもの事を考えて、保育施設を運営している園はどれだけあるのでしょうか。存在意義があるといえる程、子ども第一に考えている園はあるでしょうか。私は疑問です。

すべきことを、行うべき・・・もちろんです。でも、うまくいかない場合が多々あります。愛着形成は母親以外でもできますが、それがどれだけ難しいことかおわかりですか。分娩方法、授乳方法でも愛着は変わってきます。
後半の、母親を社会と切り離す・とはどういった意味でしょう。子育ては社会全体でしていくもの・孤立させてはいけない・とのことでしょうか。それとも、母親であっても生産性がなければ、社会の一員ではないということでしょうか。私の意見では、子育てに専念している母親も立派な社会人であると思います。

投稿: ママ | 2012年2月23日 (木) 21時09分

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