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2012年5月

二次障害ということ、青年期の支援ということ

 16歳、活発な個です。知的にはボーダーから軽度です。
意欲的で身体を動かすことが好きでリーダー的存在です。
まあ、一方で動きが多く、衝動性もあり、対人面は上手ではな
い所もあります。
中学では特別支援学級を卒業してきています。
家族にとってもかわいがられています。

このヒト、ひとりで買い物ができないというのです。
計算などの技能はできない訳ではなさそうです。
「店員さんに買い物の中身を知られるのがこわい。」
「こんなもの買ってと思われるのがこわい。」
と言っているそうです。
ある時、みんなで買い物に行った際、物のありかを尋ねること
ができてガッツポーズだったそうです。

このこときいてあまりの意外さに驚いたのです。
でも、このことを二次障害というのだろうと思うのです。
全体像に比して大きな不安の強さ。
私は他の場面でこの一見、活発にみえるヒトの脆弱さをなんと
なく感じることがあったので、さもありなんとも感じました。
担任とはいくつかの手だてを共有しました。
 ・個別での買い物経験
 ・手順表、スクリプトをつくって簡単な買い物をする。
あきらかに達成できることを行って強化する。
 ・認知行動療法的視点や介入
手だてはまだまだたくさんありそうです。

 いろいろなことを考えます。
中学生以降は経験不足よりもネガティブな経験の蓄積である
二次障害というものを含んで支援はすべきなのだろうなと感じ
ます。
軽度や高機能群に後から出会ったヒトは「やってなかったこと」
や「やればできることもなかなかある全体像」に着目して支援
をします。
でも、それだけじゃないこと、含んでおきたい。
やってもダメだったことを掘り起こしたり鍛錬するのではなく、
ある時点で視点を切り替えて代償や強い力を伸ばす支援に
切り替えたい。
必要だけどできないこともあります。
青年期は適応に迫られて、必要性だけに押し込みたくなるこ
ともあります。
それはこちらの都合であって実らないことがほとんど。

一方、青年期だからこそできる支援があります。
自己理解がはじまる時期です。
自分をかえたい時期です。
なりたい自分になるために、自己コントロールをすることも可能
になってきます。
いろんな経験や弱点を自分で知ってかえたい思いがどんどん
生まれてきます。
ソーシャルスキルトレーニングが本当にはまってくるのは実は
このあたりから。
ここにチャンスがあります。

もうひとつ。
こんな思いを支える土壌は、やはり受容。
できないことにだけ着目して支援する構えではなく、叱咤激励
しながらも受容し付き合う姿勢がきっと彼らを前向きにします。
思春期、青年期のエネルギーに付き合うのは大変です。
基本、エネルギーにあふれていて飛びだしていこうとする存在
を枯れた人達が枠にはめようとするからうまくない。
それでも、なんだかんだいっても存在を受容していった時に
みえる光を思います。

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共同行為

 最近、これかなあと思ったことです。
発達の課題をめぐって共同注意や共同行為に着目されてい
ますが、こどもたちとの生活の中での気づきです。

・「食べる」の共有
 一緒に飲食することは関係を深める行為です。
これは直感的に理解できます。
最近、ああこれかなあと思ったのは、「嫌いなものを食べてあ
げることの意味性」というようなもの。
嫌いなものを「減らして~」とやってくるこどもたち。
それを「はいよ。」と了解します。
①減らして、別の容器に移す。
②じゃあ、それはもらおうかねと私の器に入れて私が食べる。

なんとなくですが、①と②では意味がまるで違う気がするのです。
②をやっていると情動の交流をしている気がするのです。
求められているのは食べられない食物を減らす行為である
ので①でよいのです。まったくもって問題ない。
でも、②をやっていくとどうやら②は減らして欲しい気持ちを受け
とめることになるようなのです。
依存を保障するとか、ネガティブな感情を受け取ってあげるとか
そんなことにつながっていくのかなと感じます。

・「お手伝い」ということ。
 前の記事で女性スタッフが愛着障害のこどもに振り回されて
いると書きました。
彼女がちょっとした切り口を見つけました。
一緒に、食事の配膳をするという作業を通してなんだかよき関
係と距離感が成立しはじめています。
*作業がわかりやすい。
*指示や受け渡しという大人との明確なやりとりで行為がなり
たつ。
*結果もわかりやすい。
*生活動作は生存のために身についていることが多いので、さ
らに強化しやすい。もちろん、動機も高い。

密着でなくても、関わりがみえる、安心感が担保できる行為なの
でしょう。
「お手伝い」の意味性ってこういうことなのだろうかと思います。

行為の共同が関係を保障するということを確認します。
知的な作業の共有や操作の共有では築けないものはあるように
感じます。
生活や関係が行為と切り離された中で繰り広げられるようにな
っています。内容の交換や物の交換が関係の主体になっている
ことも関係性のトラブルとつながっているのかもしれません。
このあたりがヒントなのかなとも思います。

まあ大人の管理的世界の影響をどう突き破るかもあります。
「衛生面考えたらこどもに食べ物触らせるな。」
「カロリー計算や栄養バランス考えたら減らすな。」
なんて世界もあります。
こういうことで共同行為も阻害されていく。

あとは、共同行為で語りましたが、「食育」の観点でも語れそう
です。
「食べること」は関係とつながっているようです。

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経過・結果・予後

 この頃、感じた経過や予後のことです。
個人的な経験則にしか過ぎないのですが…

・早期に発見された、特性が強いタイプは2歳代での介入が
有効だろう。やはり。
特別なことをするというより普通の生活のしにくさを支えるプロ
グラムが大事。

・3歳以降の療育の積み重ねの成果は年長さん、5歳代に出
てくることが少なくない。
特に言語性の能力の伸張や意味理解の拡大となって。

・過敏性の強いタイプ
すべてのこどもが幼児期に介入でき、結果が出る訳ではない
ので出会った時がスタート。
生活のしにくさが長期にわたって持続していることが多いので
家族への支援も重要。
本人の不安や意志を確認しながら。

・就学指導
高機能群には特別支援学級から通常の学級へという判断も可
能になってきている。
過敏性や参加の問題は時間の経過や支援で劇的に改善する
ことも。

・そんなことは不登校等にもみえて。

早期支援は重要。
けれども、個人の育ちやタイミングもある。
うまくいかなくてもリカバリーもできなくない。
改めてライフステージに応じた支援、通じた支援。
効果や結果をすぐにプレゼントできないけれど、ついていく支援、
追っていく支援、待っている支援も大事。
強い特性は本人も家族も苦しい。
苦しさや不安を支えるのは、共にあること。

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キャリアとスキルと関係性

 若い女性スタッフが格闘しています。
反抗挑戦性の強い個が反抗で、挑戦で。
愛着障害の個が離れません。

これは必ずしもスキルや個性の問題ではありません。
反抗挑戦性は母性や女性に強く出るもの。
愛着は母性との関連性が強いもの。
私らおじさんの前にはみせないものであって、彼女が未熟だ
からばかりではありません。

ちょっとたいへんそうなのでヘルプをしています。
ベタベタして彼女の動きを止めてしまう愛着障害のこどもを場
面によっておじさんは引き取ります。
のべつまくなしの要求におじさんはメリハリをつけます。
おじさんはパニックをクールダウン、タイムアウトで静めます。
あんまり衝動的なのは止めます。
他害やルールを守れないのは叱ります。

 どうしてこのおじさんはこのちょっと大変で、かわいそうなこど
もにけっこう厳しい対応で迫れるのだろうと自問自答しました。
私はただ、知っているのです。
こんなこどもたちの予後を。
抱きしめたり、受け入れる以外の受容の方法の多様さを。
それだけだな。

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自己決定と再出発

 親の会へ。
近況をきいて驚いたケースがたくさんありました。
例えば…

・アスペルガータイプ。
不登校引きこもりあり、3浪していたが志望校かえて大学入学。
大学側の受け入れ体制もちょうど始動し登校している。
本人「もっと早くかえればよかった…」
家族「この3年が必要だったんだよ。」

・アスペルガータイプ
不登校引きこもり。中学は行っていない。
この春から専門学校へ。
友人に巻き込まれて参加。一緒にコンビニいったりテニスして。
ほとんど乗ったことのない電車に乗って単独で出掛けたり…

いろいろなことに気づきます。
・自己決定の大切さ
 自分で決めたことだからチャレンジできる。

・タイミングの大切さ
 小さい時は本当にしんどい思いしたようですが、機会が来れ
ばタイミングがあえば再び参加も再始動もできる。

・高機能群の苦しさと持つ力
 彼らのこれまでを思うと胸がふさがるばかりです。
過敏で参加が苦しかった特性。
一方で、知的な力は再出発を支えたのだろうなと感じました。
経験したことなくても知識と動機があれば習得に向かってチャ
レンジはできる。
そう思うと、「小さい時期にどのように」も多様なのでしょう。
苦しさを軽減するための早期支援の重要性の反面、リセット・
再出発の力もあるのだから早期支援に押し込めないのもほんと。

・進路、就労観
 親御さんが、学校の進路観、就労観がかたいとおっしゃって
いました。
別に普通の流れに乗るだけが進路じゃないと気づいたそうです。
その通り。働き方は多様、進学の仕方や資源も多様。

「この子たちのお陰であたしたちはまなざしが広がって豊かに
なったわよねえ。」

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スーパービジョン論

 スーパーバイザーや管理場面が多くなってきました。
気を付けようと思っていることです。

方法をおしつけないということです。
答えをおしつけないということかもしれません。

ひとりひとりの支援者の尊厳や試行錯誤、エンパワメントを
大事にすることが大切なのだろうなと感じています。

確かに方法はある。
その方法ができるようにトレーニングはすべき。
ただ、その方法にあてはめて行き過ぎると、支援者個人が損な
われていくことが多い気がします。

必要な方法だけれど、今のスキルやキャリアじゃできない。
必要な方法だけれど、今のこどもとの関係じゃできない。
必要な方法だけれど、今の私の気持ちじゃできない。
こういうの尊重したいものです。
そうでないとくじけてしまう。

まあ、今の若者にどうつきあうかということかもしれません。
厳しいだけじゃだめ。ガッツでこいじゃだめ。

こういう方法がある。
やってみな。試行錯誤してみな。
今のあなたじゃ難しいけれどできるためにはこういう階段があるよ。
今のあなたじゃ難しいけれど向かうのはここだよ。
キャリアの中で僕にはできます。でも、今のあなたじゃ難しい。
でも、そのことを認めます。
その試行錯誤が大事大事。やってみな。
困ったりわからなかったら言っておいで。
(といいつつ、言ってこないから助けにいく。)

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現場で対応

 気を付けようと思ったこと。
こどものあらわれを誰かのせいにしたいということ。

そりゃあ、誰かのせいのこともあるのです。
でも、よく考えてみれば私の前でこどもが示しているあらわれ
は私が対応すべきことなのです。
私にみせているあらわれで、私がいま、そこで向き合っている
支援者なのだから。
発達支援というのは、直接的なものです。
いま、そこでを積み重ねていくものです。

「愛情不足」なんていいまわしがあります。
私、これが非常に気に入らない。
愛情ってなんだ、なんにも表現してねえじゃないかというのが
ひとつ。

もうひとつはこの言葉をはくということは、その愛情を不足させ
てるヒトの対応に現場の支援者の対応が負けているってことを
認めてることになるんだよということです。
養育に問題を帰結しすぎると、じゃあそれをフォローできない、
ケアできない、代償できないあなたの存在意義は何?
何をもって支援者?ってことになると思うのです。

原因はいろいろあるかもしれませんが、瞬間瞬間によい記憶
をプレゼントするのが支援者。
よい記憶を創造するのが支援者だと思うのです。

問題解決志向ってそういうこと。
原因はどうでもいい。わからないことばかり。
とにかくどうにかなればいい。
このあたりを練っていくこと、面白いと思うのですが。

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解釈しすぎない

 ちょっと思ったのです。
多様な育ちと向き合うということ。

特性は多様、あらわれも多様。
行動問題もあるとすれば多様。

 後輩が新人を指導していました。
ちょっとみたこどもの姿で何か色々な解釈を話している。
なんだかちょっと違うなあ。
なんだかちょっと表層的だなあ。
知識にこどもの姿を押し入れているように聞こえるのです。
それって本当にこの個の姿かなあ。

ある程度の見立てができるというのは大事なスキルです。
けれども、原因も結果もそんな単線的ではない。
最初から予断をもって見過ぎないことは大切なのだと思います。

あとは図鑑みたいに診断名にあてはめない。
ちょっとわかるとラベリングしたくなりますが、実はそのことは
本質ではありません。
スペクトラムだから。
例外にぶちあたります。
そこで混乱する。また、解釈におぼれてしまう。
特性は有無ではなく、濃淡や強弱だったりするのです。
そんなわかりにくいもの解釈するほうが難しいのです。

「仮に理解して支援する」といいます。
それ以上のことはないと思うのです。
入り口の理解は、「このヒトは困難を抱えている」でいいのです。
特性っぽいものがひとつでもあったらそうかもしれないで支援
がはじまる。
うまくいかないことがあったら、やらないじゃなくてできないで
支援をはじめる。
やらないじゃなくてわからないで支援をはじめる。
粗暴なヒトがいたら「こいつ!」じゃなくて、この個をそうさせて
いる原因にアプローチする。

そこでやることは実はそんなに色々ない。
ユニバーサルデザインとかABAとか視覚支援とか愛着形成
などがツールです。
とにかく存在を保障していく。
わかる、できるを支える。

特性や診断名に1対1の対処法があると思いがちです。
そんなことはありません。

そして、よく考えるとシンプルにとらえる方が無理がなかったり
するのです。

まあ、ともかく難しい育ちです。
それを理解して専門家の階段をのぼるのも難しいことです。

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「洞察」

 ふと思い出したのです。
「洞察」ということば。
この言葉にはよく使うニュアンスとは異なった意味があるそう
です。

心理学用語です。ゲシュタルト心理学か何かの。
確か課題に直面した時に経験や過去によらずにあたらしい思
考で解決策などを導き出すこと。
というような意味合いです。

思考の枠組みが変わること、かえることなのでしょう。
意図的にやろうとすることをリフレームというのでしょうか?

これ、大事だと思いませんか?
経験や過去だけによるとパターンが少なすぎて危険。
ヒトはそのことに依存し過ぎてしまうので危険。

過去に頼って離れる。

「洞察」って確かinsight。
見通しというような意味もあったように思います。
ちょっと不思議。

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自閉性

 ある特別支援学級の先生とお話しました。
情緒・自閉症学級の先生です。
高機能で過敏なこどもたちの集団で毎日いろいろ…

お話しているとこの子たちの内的世界がみえてくるような気が
しました。
・もめるのに、関わりを求めていくような所がある。
・繰り返されるトラブルのパターン。
・何も起こっていないのに「こんな所にはいられない。」と給食
時揺れる。(フラッシュバック)
・ひとりになると「いじめたり、けんかしちゃいけないんだよね。」
とつぶやき。

これは異論があるのかもしれませんが、彼らの中には2つの自
己がありそうです。
特性の世界とコントロールできる自己の世界。
そのせめぎ合いや兼ね合いの中で生きている。
個人や発達段階によってその配分やコントロール状況は違う。

刺激や感じ方に左右される、時にはどうにもならない性分。
一方、生活経験の積み重ねや持っている知的能力の中で生きて
いる文化の中で生きている自分。
「これだけわかっているのに、特性が強くて苦しいそう。」なんて
こともよくあります。

このあたり、押さえておきたいなと思いました。
どの部分の彼らにアプローチするのか。
「がんばりたいのにがんばれない。」状況もどう理解するか。

今更ながら…

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施設養護と社会的養護

 あるまちの要保護児童地域対策協議会に出ました。
ケースはたくさん。いろいろなことを思います。

・これだけケースが多いと必要な支援の質は様々。
虐待関連だからといってすぐ施設へ保護へということは容易
ではありません。また、必要でもありません。
困難の質のアセスメントをしっかりしてステップや段階を追った
支援をしていくことになります。
子育て関連職はこういう会議等に出ておくと視野が広がるのか
なと感じます。
そりゃ確かに困難だけど、その困難の支え方には具体的な技
術や手だては必要。

・障害福祉における社会資源の充実も虐待における社会的養
護にとって重要な手だてになります。
少し前にも書きましたが、関連ケースの6割に障害が関与して
いるといいます。
この会議にも親にも子にも特性を感じる場面が多数でした。
障害福祉サービスが家庭とこどもを支える手だてになることは
多いはずです。

・障害性のabuseの場合
「分離してトレーニング」か「家族と居ること、関係を重視して地
域で支える」かに迷います。
きっと今は後者が主流なのでしょう。
可能な限り地域で暮らすことは重要。
地域で暮らす時間の方が長いのだから、家族の変容を求め
家族なりのストーリーを支え、地域が子育てを支える総合力を
つけていくことが現実的なのでしょう。
一方で、本当に危険であったり生活がなりたたないケースは
きっぱり保護をと思います。

細かいみたてやマネジメントが必要です。
ソーシャルワークの力が問われます。
支援は子育て関連職全体ですべきで、子育て関連職には程度
の差こそあれソーシャルワークが必須ということを痛感していま
す。

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参加のできない過敏さ

 あるまちの学齢期の会議でのことです。
発達障害の通級指導教室のケースの話しをしていたのです。
吟味してみると、「通級」という判断もなかなか苦しいケースが
たくさんありました。

というのも、共通するのは「過敏すぎて参加ができていない。」
のです。

・みんなといることが苦痛で身体をこわばらせている。
・給食のにおいをかいだだけで吐き気をもよおしている。
・同一性保持がつよく、かたすぎる。
・多動性、衝動性、刺激への反応性が極端すぎる。

特別支援学級への学びの場の変更も考えていいケースかも
しれませんが、なにせ過敏すぎて基本参加ができていなかった
り、学校にも来にくい登校しぶり状態であったり、過敏すぎて小
集団でさえ難しい。
知的には悪くないので、校内の特別の場への抵抗感は小さく
ない。
というようなケースが少なくありません。
(このぐらい極端になってくると家族は十分理解受容していて
参加の場の模索に協力的です。)

この場合「通級」は
・登校できない場合の入り口の、刺激の少ない場の選択として。
・個別の、受容的な、対人関係の入り口としての大人との関係を
つくる場として。
・多動、衝動性の強い場合は刺激を低減させた学びの場として。
・同一性保持の強い場合には、変化の入り口として。
等「学習よりも参加の保障」が目標になってきます。

ただ、そんなヒトたちなので「通級」さえも参加しにくいのです。
参加できないのに「通級」とは何事かという議論も起こってしまう。

現実的な校内の場の工夫
家庭との連携や調整、介入
本人との関係構築
学校にこだわらない場の工夫
医療との連携

スクランブルで、包括的な対応が必要です。

あとは手だても…
ある「教室内での緊張感が強い」ケースには、呼吸のコントロール
や動作法などによる弛緩のトレーニングなどもいいのかなと
感じました。

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そんな簡単じゃないのに

 こどもの困難を母親のせいにする。
 チームの困難を先輩や上席のせいにする。
私は違うと思うのです。
敵をつくるのは簡単だ。
原因をつくるのは簡単だ。

けれども、世の中そんな簡単じゃない。
ひとりひとりが原因で、ひとりひとりが結果です。
悪事の片棒を我々ひとりひとりが担いでいる。
「世の中」は私と関係無しに存在している訳ではない。

大学の時の英語の授業。
むこうの先生の授業はわからんかった(笑)
けれども、教材で読んだ文章にあった「cause and effect」と
いうのを覚えています。
原因と結果は連鎖している。
結果がまた新たな原因を生む。

どこかの専門家や係のヒトに面倒なことをやってもらおうとかで
はなくて今おこっている問題は全体で対処しなければならないこと。
こどもの困難は個の問題だけでなく、周囲との関係性による
ことも多い。

図式は簡単じゃない。
簡単な図式で問題を解決しようというのは短絡なのだと最近
感じています。

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チームで支援するということ

 チームで支援するということは難しいなと今さらながら思って
います。

やらなければならないことはあるのに、チームのスキルが未熟
である場合…
チームにどこまで求めて良いのか?
求めすぎても、求め過ぎなくても違う。
課題を、困難を抱えたこどもの支援を行うチームです。
チームができる支援をするのではなく、こどもに必要な支援を
チームでするのです。
苦しいなあと思います。

だからといってすべきこと、あるべき姿を求めるタイミングや状
況ってある。
チームが真面目であれば真面目であるほど、できないことに追
いつめられていく。

 あとは新年度…張り切っているヒトは迷惑ですね(笑)
状況に関係なく、あるべき姿や方法を押しつけて迫る。
私はこの4月、張り切っているヒトに疲れてしまうことが多かったで
す。
自分の枠組みとペースで、揺れている新年度状況の落ち着く
のを待てずに新機軸を無理矢理打ち出そうとしたりするヒトに疲れ
ました。

昔、タモリさんがラジオで「やる気のある奴は去れ!」といっていた
のが名言だなと思いました。

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「甘やかすなの構造」にさらに思う。

 前回の記事がけっこうたくさん読まれているようで驚いてい
ます。
まだまだ「甘やかすな。」の世界で、支援や関わりってあるん
だろうなあということでしょうか。
でも、きっと、それじゃよくないなと皆さんが思っているのでし
ょうねえ。

 昨今の大阪維新の会のいろいろを見聞してちょっと思ったの
は「愛情不足!」っていうのは「甘やかすな!」と論調が似てい
るということ。
「愛情不足!」っていうヒトに愛情や情感を感じることが少ない
のは私だけでしょうか。
なんだろう。

なんとなくですが、許容度のせまさを感じるからでしょうか。
こどものトラブルの原因を全部、愛情不足で処理しようとしてい
る狭量さを感じる気がします。
それは事実でもないし、フェアでもない。
リカバリーへフォローの視点もない。
愛情がもてないヒトもいる。
愛情を確保できない状況もある。
そうなるとダメなのか。

前回の記事にもちょっと書いたのですが、「悪意」や「愛情不足」
ってそのこと責めてもあんまり意味がない気がするのです。
やっつけるべきはそのことが起こってしまう状況。
結果や状況が酷すぎる場合はのんきなことも言っていられませ
ん。
ただ、それだけでもうまくない。

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「甘やかすな!」の構造

 前の記事とつながっています。

発達障害系のこどもの支援を巡って「甘やかすな!」という
方向に支援がゆがんでいくことがあります。

端的にいうと、特性が理解されにくいということにつきます。

ある一定の知的なやりとりや理解が示されたり、ある場面での
参加や達成がある一方で、対人的なトラブルがあったり、マイ
ペースであったりすることは「わかっているのに…故意に問題
を起こしている」=悪意に捉えられがちです。

実は本当にわからない、できないというのは多くの実践の積み
重ねやケースとの出会い、試行錯誤や学びによって支援するヒ
トの思考の枠組みがかわった時に理解されることが多いように
思います。

こどもに悪意がないなんてことばかりでもないと思います。
けれども、「悪意」とみえるものの構造をみた時に、そこには
未熟や理解の不足、受容や肯定の不足がみえるはずです。
「悪意」をひっくり返すのは拒否や叱責でなく、悪意を産まない
ための受容や認知を修正できるための肯定的な関係です。
「悪意」を放置するのは、支援するヒトの問題です。
「悪意」の修正は受容でしかできない。

「甘やかすな!」の結果、罰や条件づけに支援がつながってい
くこともよくあります。
応用行動分析が教えてくれるのは、罰は効果が低いということ。
問題行動の解消は新しい力がついた時に起こるということ。
そして、人道がそれを許さないということ。
ヒトは手だてを選ばねばならないということ。

 そして「甘やかすな!」発言は実は大人の不安や無責任さか
ら出ることが多いように感じます。
これって直接、支援しているヒトは言わない。
あんまり関わっていないヒトや担当者でないヒトが口にする。
傍観者の発言であることが多いのです。
チャレンジの入り口も最中も成功した時も失敗した時も全部関
わるヒトは「押しまくれ!」なんてキャッチフレーズには乗らない
のです。
「やらないくせに無責任な…」
「強制した後始末をしないくせに…」

どう考えても、支援は相手にあわせる他はないのです。
それは放置ではなく、スモールステップであったり関係性やその
個の強い力を利用していくことになるです。

 また、「甘やかすな!」発言には「将来…」という強迫で語ら
れることがあります。
「○○しないようになる。」「××してしまうようになる。」
とつながっていく。

でも、いちばんひどい悪影響って、そうやって無理強いし注意叱
責することによる二次障害=自己肯定感の低下や対人的回避
や信頼の喪失だとは思いませんか?

あとは、1年や2年しかひとりの個をみないのに、そこで子ども
のすべてを引き受けようと思わなくていいと思うのです。
発達には臨界期もありますが、可塑性もあります。
1年で何かができなくてもその後での回復はできなくない。

それに問題が顕在化するのはその個の特性やその時の環境に
よります。
前のステップで何かをしてこなかったからだけではない。
ヒトは自分が苦しい時に誰かのせいにします。
支援者は特に過去のせいにします。過去の支援のせいにします。

幼児期に何かをしてこなかったからでない。
小さい頃にがんばっても思春期や青年期の成長でぶつかる葛藤
や困難はある。
今、理解の難しい御家族は小さい頃も理解が難しかったはずだ。

早期支援は重要です。
でも、強迫される必要はない。
支援にはタイミングがある。リカバリーもできる。
支援してたっておこる困難はある。
脳の機能不全という「障害」の基盤をみると時には制限もかかる。

 思うのです。
誰に対しても許容度高く、相手を肯定する所からしかはじまらない。
こんな風に考えてしまう、支援者の性向の入り口だって発達障害
というものの捉えにくさからくるはずだ。

「甘やかすな!」注意です。

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繰り返される混乱の原因

 ある先生と世間話。
ある個の支援をめぐってチームのありようが難しいというので
す。

知的な問題は大きくありませんが、参加が難しいおこさんです。
マイペース、反抗挑戦的、巻き込みは多いです。
乗ればなかなかクリエイティブ。
この個をどう支援するかで議論が沸騰するのだそうです。

この先生はあらわれ全体をこの個の困難と捉えて、まずは穏や
かに「参加」ができるようにを大事にしたいといいます。

一方、他からは「甘やかすな。」「できない訳じゃないのだから
秩序と内容に!」という声が出る。

メンバーは大きく変わっていないこの学校のチームですが、
スタッフの組み合わせがかわっています。
今まで密に関わっていないスタッフが関わる体制になりました。


実はこのつぶやき、ここ数年、このチームの誰かから必ず聞いて
います。
私、思わず「先生、毎年、誰かがいっているよね。」

ここなんだろうなと思いました。
新年度、環境がかわり、揺れるこどもたちは少なくありません。
この環境の変化の中で大きいのは、こどものまわりの物理的な
ものよりこうした対応の変化やチーム内の揺れなのかもしれません。

こどもの実態がつきあいの中で身にしみるまで、大人はやりつけた
方法論やあるべき姿をイメージした対応で迫ります。
アンバランスはこども理解を複雑にします。
それこそが特性なのだけれども。

この先生がおっしゃっていたこと。
「キャリアが長くても教員の障害観は様々でねえ…」

発達障害を、アンバランスをわかったつもりにならない。
肝に銘じました。

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