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「甘やかすなの構造」にさらに思う。

 前回の記事がけっこうたくさん読まれているようで驚いてい
ます。
まだまだ「甘やかすな。」の世界で、支援や関わりってあるん
だろうなあということでしょうか。
でも、きっと、それじゃよくないなと皆さんが思っているのでし
ょうねえ。

 昨今の大阪維新の会のいろいろを見聞してちょっと思ったの
は「愛情不足!」っていうのは「甘やかすな!」と論調が似てい
るということ。
「愛情不足!」っていうヒトに愛情や情感を感じることが少ない
のは私だけでしょうか。
なんだろう。

なんとなくですが、許容度のせまさを感じるからでしょうか。
こどものトラブルの原因を全部、愛情不足で処理しようとしてい
る狭量さを感じる気がします。
それは事実でもないし、フェアでもない。
リカバリーへフォローの視点もない。
愛情がもてないヒトもいる。
愛情を確保できない状況もある。
そうなるとダメなのか。

前回の記事にもちょっと書いたのですが、「悪意」や「愛情不足」
ってそのこと責めてもあんまり意味がない気がするのです。
やっつけるべきはそのことが起こってしまう状況。
結果や状況が酷すぎる場合はのんきなことも言っていられませ
ん。
ただ、それだけでもうまくない。

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支援現場の状況を巡って」カテゴリの記事

コメント

いつも有意義な記事をありがとうございます。
大変身近な問題というか、日常的にはこういう事態に対するストレスが大きいような気もします。
許容度の狭さ=生き方の問題 のようにも思われます。仕事に対しても同じかなあ…。大坂維新の会の件は論外だとしても、「専門家」と名乗っている方の中にも「甘やかすな!」論者はいますし、全く正反対で許容度が広すぎるあまりに、コミュニケーション・交渉さえも滞ってしまう「専門家」もいます。どちらもそのものは間違っていない場面もあるのだけれど、状況の理解が不足していることが多いと感じます。負荷は育ちには必要だけれど全く耐性がない個にいきなりの大きな負荷はやはりダメージが大きい。その負荷が大きいか小さいか…個の発達にとって適切かどうか…個に対する受容は、その状況で育ちを輔けるかどうか…やはり、個への理解と状況の理解が必要になると思うのです。あまり偉そうなことを言うほどの仕事を自分がしているかどうかはさておきの話ですけど…。自分の考えは結局ここに落ちてしまうのだけれど、やはり方法論だけの専門家が増えていて、個の発達や育ちに対する洞察を伴った専門家はあまりいないのでしょうか?

投稿: | 2012年5月 8日 (火) 08時29分

 コメントありがとうございます。
「方法論だけの専門家」なるほどの御指摘だと思いました。
支援がどこかの、なにかの方法論にあてはめていくのが、その方法論を知っているのが専門家になってしまっているというのは私も共感します。
そして、その方法論が決して育ちを支える方法論でない。

個の育ちを、巷間で支持共感されている方法論に基づいて支援していく。
偏らない、個別的になりすぎない。
一般的に、対処的になりすぎない。
大事なことですよね。

投稿: けやき堂 | 2012年5月10日 (木) 19時49分

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