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2012年10月

やるべき論

よく聞くいいまわしで、そりゃあ違うというのがあります。

「本来〇〇は××がやるべき!」というやつです。

これってやらないヒトのいいまわしです。

誰がやるとか誰がやらないとかどうでもいいと思うのです。
子どものための必要性を思って気づいたヒトがやる。

誰がじゃなくて自分がやる。
誰がじゃなくておまえがやれ。
誰かやってなんていう奴にろくなやつはいないのです。

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愛着障害の特性

 愛着にトラブルを抱えるこどもたちをみていて感じる強い
特性というものがあります。
それは…

「相手によってあらわれがかわる」

ということです。

これが本当にやっかいなのです。
ひとこと、関わるヒトを苦しめる。

関係に対する表現が一定ではなく、時と場合と相手によって
激変するといういいかたがいいでしょうか。
この統一感のなさは、この愛着のトラブルを本当に象徴している。
そして、このトラブルの甚大さをあらわしています。
解離とか多重人格が虐待に起因するというのはわかることです。

ヒトは肯定されないと、統一した安定した自己を形成できない
ということでしょうか。

 支援の中で、気をつけなければならないこと
おこるトラブルの分析がゆれます。
チームがゆれます。
・私の時にはそのトラブルは起こらない。
・この場面では起こらない。
という図式が顕著なので支援者の技術や場面環境課題設定の
せいにされがちです。

確かにそのことは支援にとって重要な要素だけれど、相手が
愛着の問題を抱えている場合はそれとこれとは別のことが多々
あります。
そのトラブルの性質や傾向についてよく知ること大事だなと思い
ます。
こっちの問題でなく、あっちの問題。

だから…
①バトンタッチをする。
②関係の中に入って介入や調整をする。
③落ち着いた関係をとれるヒトとやること、そうでないヒトとや
ることを分ける。
④関係が乱れてしまう支援者の心理的フォローや関係の意味
づけをチーム内で行う。
⑤環境設定や構造化した関わりをつくる。

けっこう④が大事なのです。
相手が「あなた」を選んだことの意味を肯定していくことなのだ
と思うのです。
そこに芽がある。その芽は双方にとっての芽です。

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おっちょこちょいで、あわてんぼう

 特性があることで有名なある芸人さんが自分のことを評して
「おっちょこちょいで、あわてんぼう」と言っていました。

なんかいいなあと思ったのです。
こういう肯定感が今、欠けているんですよね、きっと。

状態はとらえています。
そして、存在は肯定されています。

関係は双方向のものだけど、周囲がどうとらえるかで個のあり
ようは双方向に決まってくる。
「おっちょちょいで、あわてんぼう」程度に周囲がしてあげること
も大事なのかなと思います。
「動きが多くて、落ち着かない」じゃなくて。

そして、その雰囲気をつくるのは集団を導くような役割にいる大
人。
許容度と肯定の中で、特性を個性にかえていく。

最近は単純性のADHDは減っているともききます。
「おっちょこちょいで、あわてんぼう」の前に「空気が読めなくて
マイペース」がついちゃったりもする。
なかなか肯定、許容もしにくいかもしれない。
まあ、でも包み込んでいく。

ICFモデルを思い出します。
本人の変容をギリギリ迫らずに、参加を支える。
変容、教育、獲得、訓練、行動修正まだまだ顕著で厳しいなあ
と支援文化というものを感じます。

そう変わらない。じゃあどうするか?
コミュニケーションは双方がかわることといいます。
ある時期まで十分チャレンジやかわってもらったら変わるべきは
周囲なのだと思います。

「おっちょこちょいで、あわてんぼう」の他にも「極楽とんぼ」と
か「鉄砲玉」ということばもあります。

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支援目標になりにくい項目

 新人さんがプランをつくってみせてくれました。
じっくり見ていて思ったのは、どうにかしたいけれど支援項目
にはなりにくいものもあるなということ。

ひとつには…
・お行儀よくする。
 ちょっと浮かれ気味、のぼせ気味の個です。
みんなといるとふざけちゃう。
これお行儀よくする、ふざけないは支援目標にはなりにくい。
立てるんだったら、○○の際に集中して取り組むことができる
か何かの項目で集中できる環境つくることが手立てにでもなる
のかもれしませんが、なかなかそれも。
ちょっと難しい。

・スピーチの明瞭度をあげる。
 これってSTさんや言葉の先生以外は手を出すべきではない
と思うのです。
スピーチのトレーニングはテクニカルなもの。
それなのに、案外、いいなおしやたくさん話す、早口言葉みたい
なもので修正しようとするむきがなくならない。
それによくみてると、明瞭度よりやりとりの中身や関係性が課題
になっていることが多い。
知的、発達的な問題を抱える個のスピーチの課題は脳の機能不
全による口腔機能の不全であるというのは間違いない。
トレーニングの適応がないとはいいませんが、誤学習も多いの
だから簡単に手を出すべきではないだろうなと思います。

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うまくいっている、次は?

 園訪問でのことです。
特性のある個への支援と彼のいるクラスをどうつくっていくか?
が担任の先生の課題意識です。
年長さんです。

個は適応しています。
かなり意識的な提示の方法や援助を方法ができる担任です。
みんなも柔らかく彼を包み込んでいます。
まあ、こんなもの。
問題ありません。うまくやれている。いいじゃないか。

 次のステップはなんだろう?
「自分で」につながる力をつけることだと思いました。
個の適応は、担任の配慮とクラスの関係でなりたっています。
自分で動きだせる。自己コントロールができる。
そのためには支援ツール等の使用が改めて必要なのではと
思います。
それから、援助を求めるスキルもつけたい。

このクラス自体も担任がいないとざわつくのだそうです。
底力、自分たちで動き出せる力をつけたい。
自己決定する場面があるか。
自分たちでしなければならないことを理解して動きだせるか。
そんなこともできていきたい。

適応の次の景色も考えたい。
できてる時にも次の発達をみていきたい。

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つながっているのだけれど

 あるまちの会議に出ました。
学齢期の要保護から非行までをまとめて取り扱う会議です。
「包括的」でなく「まとめて扱う」会議です。

というのも、すべてが同じ土壌の上では語られていないから。
非行は非行、生徒指導は生徒指導で語られているのです。

どう考えてもDBDマーチでADHDを基盤に反抗挑戦性障害や
行為障害の視点でみるべきケース。
この不適応の土台には、発達障害に起因する理解やふるまい
の特性があるなあというケース。
発達障害を主訴にしているけれど二次障害としての統合失調
様のあらわれもあってアプローチは単線的ではないなあ…
ケースを語るまなざしにヒントはいっぱいあるのだけれど、
それとこれとはつながっていない。

こちらのまなざしからみれば見立ても対処もまだまだ考えられる
ことはたくさんある気がしました。
どこから景色をみるかで、切り口はある。
あの景色とこの景色はつながっている。
そして…つながる土壌、つなげる土壌としての地域システム
つくりや啓蒙啓発って必要だなと思います。

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さびしさの中で

参観日。
家族のいない、参観日にこれないこどもたちはいっぱいいます。
けっこう、残酷でたいへんな日なのかもしれません。

いろんなことをします。
けっきょくは家族の代わりにはなれないことを痛感します。

そんな中でもなんとかやり過ごしながら1日を終えて帰ってくる
こどもたち。
やり過ごすしかないのだけれど…
やり過ごせたことをなんとなく包み込んで
参観日の意味なんてどうなのかなとちょっと一緒にふてくされた
り、合理化しながら
また、普通の生活にもどって…もどったふりをして
なんにも言わずに手をつないで、そっと身体にふれて

この関係が我々の役割。

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「あくまがいる」

 愛着におおきなトラブルを抱えた個がちょっと問題行動を。
ふりかえりをしました。
(この行動の問題には我々支援する側にも大きな問題があっ
たのも事実ですが。)

反省の弁を述べてくれました。
そして…はなかなか出てきません。
「どうして?」と尋ねると振り絞っていいました。
「また、やっちゃうかもしれないから…」
「本当は素直やいい子になりたいけど、悪魔が出てきちゃう。」

私は思わず、この発言を評価しました。
このことに気づいたことは大きいね。
書いておこうね。
誓いにしようね。

決して知的にも高い個ではありません。
その個がこのように自己を対象化できているのはこの個の変
容の芽なのだと感じます。
衝動性やひょっとしたらあるかもしれない解離は、自分でコント
ロールできない、まさしく「悪魔」
この「悪魔」との戦いにどう共同戦線をはるか?が我々のテー
マになりました。

それから数日。
私はあくまとの日々はどうか?と声をかけます。
あくまが出なかったことを評価します。
自分でコントロールできる範疇のこと=感情等については振り
返りやクールダウンをします。

心理的な問題をこのように名前をつけたり、対象化して切り離し
ていく外在化の技法、ある発達段階や年齢に達したこども達に
とっては自己理解や自己コントロールの上では意味のある気が
してきました。

よく考えてみれば、愛着の問題は原因は個に依存していない、
植えつけられた、奪われたことによって生まれた「悪魔」です。

問題が自己に属していないこととして捉えると解放されるもの
があるはずです。
また、コントロールすべき、対処すべき対象として客観的に
向き合えることがあるかもしれません。

トラブルの中にある発達の扉をみつけた気がします。

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