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ソーシャルスキルトレーニングを吟味

 ある本を読んでいてなるほどと思ったこと。

ソーシャルスキルトレーニングの前に、関わりたいという動機
や共感性、共同注意等がなければうまくいかないということが
書いてありました。
当事者自身の語りとしてもそれはあるのだと。

あったりまえですよね。

でも、これって、このぶれってよくある。
「うまくいかないんだからトレーニングすればいい。」という論法
うなくいかなさの吟味が必要なのです。
足りないから補えばいい。
できないからトレーニングすればいい。
そういう教室に行けばいい。
そんな簡単な図式ではない。

果たしてその質は何かということを見つめなければならないと
思うのです。
トレーニングすれば身につくまでの下位技能は育っているか
ということ。ちょっと背伸びをすれば、ちょっと手伝えばできる
という発達の最近接領域に届いているかということ。

あるまちの通級指導教室の検討の中で、「就学指導の対象
のこどもの通級利用についてもっと丁寧に」という議論にな
りました。
通級の取り組みの中で家族の理解と本人の変容をすすめ
体験的な経験を積んで学籍の移動に向かって支援すると
いうことあると思います。そんなブリッジはある。
けれども、通級指導と就学指導は本質的に異なる。
求められる支援と対象となっているこどもの姿も異なっている。
本当に必要な支援のためには、区別が必要です。

この区別のことを発達評価というだと思いました。
発達と課題に沿った支援を用意する。
その評価を厳密にする。

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コメント

まさに「特性」と「発達」というものの混同でしょうか。このような問題は子どもらをとりまく多くの状況で起こっているように思います。「メカニズム」を考えずに「状態像」のみで対応することにもつながっているように思えますね。加えて、就学指導と通級の問題は学校教育におけるインクルーシブ教育の流れ…「合理的配慮」という名のもとに個体の発達や個体能力を考えずに社会的な理念のみでまぜこぜにしてしまう特定の流れがあります…の問題にもつながるように思えます。権利や理念の問題と教育そのものと何を一緒に考え、何を分けて考えるかを慎重に考えてすすめたいものです。

投稿: 923 | 2013年5月16日 (木) 08時29分

923さん、ありがとうございます。
 基本的な「障害観」が変わらないんだなあと世の中の状況を思っています。
「できなきゃできるようにすればいい。」という簡単な図式がかわらない。
支援にプランをつくる流れは教育から福祉にもようやく広がってきました。けれども、まだまだ単純にトレーニングする、修正する方向性でしかない気がします。きちんとアセスメントして触らないところをしっかり見極めるのが支援なのかなと思います。

私もごちゃまぜがインクルーシブになることは危惧しています。「合理的配慮」もちょっと意味が違うものを示してきた気がします。

投稿: けやき堂 | 2013年5月18日 (土) 06時53分

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