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2015年4月

「自閉性」

新しく出会った重度、自閉のおこさんです。
過敏です。重度です。
表現の大部分は自己刺激行動と自傷です。

食べ物たべない。食べることができない。眠れません。

食事を一緒にしています。
食べさせると自傷です。
でも、口は動きます。
自傷止めると口は動きます。
どうやらたべたい気持ちがあります。食べたいものの意思表示もありそうです。
どうもなかなか指示理解もあります。
後追いもあります。

でも、表現は自傷、自己刺激。
介入されるとそれは増大。

以前から思うのは、本人の意思やあらわれと「自閉性」というものはちょっと別のところにあるのかなということを感じます。
「ボクはこうしたいのにこだわってしまう」というような…
自閉性が意思や育ちを邪魔するような印象です。

となると「自閉」=彼自身としない方がよいのかもしれません。
まだまだ幼いこのヒトの「自閉性」にチャレンジしたいと思っています。

早期療育のポイントにはスキルの獲得だけでなく、暮らしにくいほどの特性は軽減してあげるということもあると思っています。
毒性を特性に
自閉を砕くようなイメージで。

ごはん一緒に食べて彼の発達要求がみえたのです。
なんとなく。

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ふたりの違い

地域移行したふたりの検査結果をあわせみる機会があって考え込んでしまいました。

フルIQは全く同じです。
長く入所が必要だったふたりです。
実は予後が全く違うのです。

IQ60台ですが、ひとりは就労し、ひとりは生活介護に通っています。
ふたりは被虐待児です。
ふたりともネグレクトでしたが、後者はきっと心理的にも身体的にも被害を受けていたはずです。

違いは、前者は幼児のうちに保護されました。後者は高学年になって保護されました。

前者はちょうど施設内療育をはじめた頃の入所で、本人の力もあって多くのチャレンジをしました。
電車で地域の学校にも通いました。

後者は情動が安定しませんでした。受容と承認の欲求も強く、注意引きも多かったです。
高等部は週数日の登校でした。

IQ60について考えます。
前者を思うとこのIQでも就労できるんだなあと思います。
まあまあ、これは結果としてのいまの姿であってこれまでの経験やこのヒトの努力などはかなり深いものがありました。
実は小さい頃はもっと高い数値もあったので知能構造、学習構造にはもっと分析が必要です、きっと。

後者はこのIQで生活介護はちょっともったいないのかもしれません。でも、この人を支えるためには生産よりも承認で、情動の安定と受容を生活の基盤とすることが大切だろうとなりました。

「予後」の話なのでしょう。
早期支援の話です。
一方、ふたりは今、前に進んでいます。
スタートラインが違うだけともいえます。

申し添えると、ふたりとも希望と充実の春を迎えています。

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自閉症啓発デーに思ったこと

 4月2日は世界自閉症啓発デーでした。
だからといって新年度2日目、啓発よりもみなさんとの日々に
追われてしまっていました。
罪滅ぼしに、自閉症とは?啓発とは?について思っているこ
と書いてみようと思います。

みなさんとのお付き合いも20年をこしました。
きっと、以前は私にとっては「自閉」は対象であり、こどもたち
を阻害する障害だったのだと思います。
特にカナータイプのあらわれはキャリアの未熟な私にとっては
対象であり、彼らを理解し、支援するスキルを獲得することは
心の大きな部分を占めていたと思います。

そのうち、巡回相談のケースが何百件を超えるようになり、
ハイファンクションの人たちとも出会うようになりました。
さらにはいろんな年齢やあらわれの人たちとの出会いは広が
っています。
最近は、「自閉症」ということばも「発達障害」ということばも小さ
な領域しか表現していないのだろうなという思いが深まってい
ます。
典型発達(と思っている)我々、自分との違いはどんどん感じ
なくなっていますし、「典型」「定型」は幻想という考え方もさも
ありなんとも感じます。
すべてを包み込むことばとしての「多様」に心惹かれます。

 「多様」を用いる時に大事だなと思うのは、誤解を生む表現
かもしれませんが、簡単に相手をわかろうとしないということ
はあるかもしれないなと思うようになりました。
わかろうとする時に人は自分を他者を比較します。
それが間違いのもとのような気がしてきました。
きっと私は自閉症、発達障害について何かしら知っているの
かもしれませんが、彼らについて知っていると安易に語らない
ことが本当に知っていることになるのかもしれません。
実際、本当にひとりひとり違う姿に出会う度に、わからんと思い
ます。そして、それでいいと思います。

 一方、「啓発」とは私のこんな状況とは異なるはずです。
多様に出会う前に、そういう存在について知ってもらうこと不可
欠です。自分と違う誰かが居るそのことを認知することは必要
です。
・悪いヒトでも変なヒトでもなくてちょっと感じ方が違うヒト。
・困らせているのはなくて困っているヒト(時に)
・支援の「対象」であるし、そればかりではなくて我々の世を「変
えてきた」ヒト

まだまだ言葉は足さなくてはなりませんが、知ることは不可欠
だと思います。

それでも少しづつ胎動を感じます。
自閉症や発達障害という言葉が認知されているのを感じます。
だれかの何かの困難を説明する言葉として用いられ、以前
と比較したら柔らかいタッチで受け止められているのを感じます。

「多様」に向かう道のりが「啓発」なのかな。

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