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自閉症啓発デーに思ったこと

 4月2日は世界自閉症啓発デーでした。
だからといって新年度2日目、啓発よりもみなさんとの日々に
追われてしまっていました。
罪滅ぼしに、自閉症とは?啓発とは?について思っているこ
と書いてみようと思います。

みなさんとのお付き合いも20年をこしました。
きっと、以前は私にとっては「自閉」は対象であり、こどもたち
を阻害する障害だったのだと思います。
特にカナータイプのあらわれはキャリアの未熟な私にとっては
対象であり、彼らを理解し、支援するスキルを獲得することは
心の大きな部分を占めていたと思います。

そのうち、巡回相談のケースが何百件を超えるようになり、
ハイファンクションの人たちとも出会うようになりました。
さらにはいろんな年齢やあらわれの人たちとの出会いは広が
っています。
最近は、「自閉症」ということばも「発達障害」ということばも小さ
な領域しか表現していないのだろうなという思いが深まってい
ます。
典型発達(と思っている)我々、自分との違いはどんどん感じ
なくなっていますし、「典型」「定型」は幻想という考え方もさも
ありなんとも感じます。
すべてを包み込むことばとしての「多様」に心惹かれます。

 「多様」を用いる時に大事だなと思うのは、誤解を生む表現
かもしれませんが、簡単に相手をわかろうとしないということ
はあるかもしれないなと思うようになりました。
わかろうとする時に人は自分を他者を比較します。
それが間違いのもとのような気がしてきました。
きっと私は自閉症、発達障害について何かしら知っているの
かもしれませんが、彼らについて知っていると安易に語らない
ことが本当に知っていることになるのかもしれません。
実際、本当にひとりひとり違う姿に出会う度に、わからんと思い
ます。そして、それでいいと思います。

 一方、「啓発」とは私のこんな状況とは異なるはずです。
多様に出会う前に、そういう存在について知ってもらうこと不可
欠です。自分と違う誰かが居るそのことを認知することは必要
です。
・悪いヒトでも変なヒトでもなくてちょっと感じ方が違うヒト。
・困らせているのはなくて困っているヒト(時に)
・支援の「対象」であるし、そればかりではなくて我々の世を「変
えてきた」ヒト

まだまだ言葉は足さなくてはなりませんが、知ることは不可欠
だと思います。

それでも少しづつ胎動を感じます。
自閉症や発達障害という言葉が認知されているのを感じます。
だれかの何かの困難を説明する言葉として用いられ、以前
と比較したら柔らかいタッチで受け止められているのを感じます。

「多様」に向かう道のりが「啓発」なのかな。

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コメント

貴ブログをちょくちょく拝見させて
頂いております。いつも参考になります。

今回の記事、正に同感です。
「定型」と「発達障害」とを分ける壁は
どこにあるのだろうかという気がします。

誰もが他の人と違った感じ方(脳の情報処理方法の違いといいますか…)をしているのだという「多様性」を認める社会に少しずつ向かっていけばよいなと思います。

投稿: あおぞら | 2015年6月 5日 (金) 09時34分

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