学齢期の支援

惰性?!特別支援教育

 あるまちの専門家チームに入れられているので集まりに出
てきました。
プランつくりがテーマでした。
プランの作成状況は…
・夏休みに作っているのが現状で…
・つくってもらうようにコーディネートするのが難しくて…
・前年度末につくって修正をしているが、たいへんという声もあ
り…

ちょっと様子は違いますが、できそうなシンプルプランにかえた
と述べたら賛意多数。
・各校ごと自由なはずですが、様式の見直ししてなくて…
・どこに異動しても見直ししていないので作成がただただ大変。

すごい現場の実情はわかるのですが、これはいかん。
もっと凄かったのははじめてコーディネーターになったという中
学の先生が「どういう子が対象かわからん。」といったこと…
中学の特別支援が進まんと言っていたのはこれか…

だいぶ責任を感じてしまった…

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「通級指導教室の現状」で考えたこと

 前回の記事からの続きです。
単純に発達障害に起因する課題を支援することだけが通級
指導教室の役割ではなくなってきているとすると、そこで行わ
れるべき支援とは何だろう?ということになってきます。

ソーシャルスキルトレーニングや学習支援は比較的落ち着い
た自己があり、自己の課題についての意識があり、かえたい
願いがあってはじめて成立するものです。
そんな状況にないこどもたちにどう向き合うべきかを考えて
います。

ヒントになりそうだなと思ったのは、施設同士の研究集会で
学んだ「振り返り」の大切さということです。
衝動的で記憶もあいまい、感情も乱れがちが彼らと向き合っ

・何かあった時の事実を確認し
・感情を共有し
・どうすればよかったかと一緒に考えて
「自己」で行われるべきプロセスを「一緒に」やっていくことの
大切さを学びました。(確か記事にしました。)

もうちょっと言葉をかえると、「教える」とか「指導する」
「支援する」以前のプロセスを大事にしていくことなのかも
しれません。
共感やラポートという言葉で表現される、「教える」「指導」
「支援」の前に形成すべき関係を目的にしていくことになる
かもしれません。

手段を目的をすることになるのかもしれませんが、最近
思うのはスモールステップってそういうことまで含むのかも
しれないと考えています。

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通級指導教室の現状

 専門家チームで通級利用者の審議をしました。
手続的には就学指導を通ることになっています。
就学指導にも出ていますが、より具体的な状況がわかりまし
た。
ひとこと…ショックでした。

概略、「通級指導」の場ではなくて「通級」の場…とにかく通って
来る場になっています。
過敏で不登校、要保護児童、認知が歪んでおりやはり参加が
難しい。本来は特別支援学級に学籍の移動することがよいの
だけれども家族の支持が得られず通っている。
「基本的には通常の学級で学習が可能で…」という基準には
当てはまらない、とにかくこの個に学びと関係を保障する場を
という考えで運営されていることがわかりました。
基本的な趣旨であるソーシャルスキルトレーニングや学習の
支援ができている個はどのぐらいいるのか…

となった時に担当の先生方の日々に努力と感謝をせざるを
得ません。
市町域の困難事例にまっしぐらに向き合うことは日々チャレン
ジであるはずです。
通級が抽出による個別プログラムの支援が目標であることは
確かですが、アセスメントと愛着の形成・自己肯定感・関係
性の保障というものもかなり大きな目標になっていることを感
じました。

他の地域ではいかがでしょうか?
レポートしていただくと嬉しいのですが。

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いったい特別支援教育とは何だったのか?

   ある先生の年度末の感想です。
巡回相談やら学校支援をしている先生のことばなのですが、
色々な学校を巡り、スタッフの声をきく中での思いです。 決し
て体制整備が遅れている地域ではありませんが、依然として
特性に沿った支援や配慮がクラスの中でされている訳でもな
く、学級崩壊が過去の話になっている訳でもない現実を踏ま
えて、このつぶやきが出ました。

「学習がわかるのがすべてなんだけどねえ。」
まったくおっしゃる通りです。

ただ、私は特別支援教育はいったい何だったのかとはまだま
だ言いたくありません。
切り開くべき地平はまだあると思います。

 

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インクルーシブを見つめる中で

 ちょっと思い出したことです。
あるまちの就学指導委員会の最終回の席上、ある先生が
インクルーシブへの不安を口にされたのを思い出しました。

熱心な先生でこのまちの特別支援教育の推進役のひとり
です。
本人に沿ったプログラムを提案し実施することと、保護者の思
いを重視することのバランスの難しさをおっしゃったのです。
それからいろいろ考えています。

 私もなんでも一緒がインクルーシブであるとするとそれには
反対です。
ある場面、ある時期刺激を調整することでよき育ちを保障する
ことが必要なタイプのこどもはいます。
けれども、人は基本、人の輪の中に暮し参加を土台として生
きていくべきだと思います。
現状にある課題は、どちらかに押し込められていることなの
だと思うのです。

・みんなの中に、特性を支える場や手だてが用意され、研鑽
が積まれていくこと→ユニバーサルデザイン
・特別なプログラムは限定的であり、交流などが確実に質的
量的に保障されていくこと。
・ということはどちらかを選ぶのでではなくて、どちらもあると
いうこと。
・そして、どこでどう過ごすかにあたっては自己決定が重視
されるということ。

このあたりがポイントなのかなと思っています。

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春立つ日に思ったこと-放課後の地平-

 豆まきが終わって暦の上では春が来ました。
私、最近はここから春と思っています。
まだまだ冬枯れですが、この月の中で芽吹きが胎動してくる
ような様子がみえるからです。

 この春で5年程やってきた障害児の放課後児童クラブを終え
ることになっていろいろなことを思っています。
学童にとっては最後の春です。

昨今では制度改正で放課後児童デイサービスがたくさん事業
化されてきました。
それ以前の学童の入口をバタバタしてきた身から思うのは、
資源が増えてきたことはよかったと思います。

 学童は本当に難しいのです。
・OnOFFをどう使いわけていくか。使い分けるこどもたちと
どう接するか。

 放課後は自由な時間です。学校で頑張ってきたこどもたちに
どうしたら弛緩していて豊かな過ごし方を提供するかは模索で
です。どちらかというと枠にはまってもらうOnを仕立てる方が組
見立てはしやすいのかもしれません。
一方で、自由場面こそ過ごすことが難しいこどもたちの集まる
場です。ある程度はその日の方向性は必要です。
このあたりを本当に模索し続けて来ました。

・資源が厳しい中での発達支援の模索
 学童というものは配置的にも環境的にも資源は乏しいです。
資源が厳しいと特性に沿った支援が本当にやりにくい。
人材養成が必要です。障害の理解に時間がかかる。
環境による支援がしがたい。大勢でひとつの空間で過ごすの
は容易ではないし、丁寧にケアする配置も難しい。

・見守り的支援を乗り越える。放課後の発達支援って何?
 私はこの「見守り的支援」といういいまわしが大嫌いです。
ただ見てるだけの別の言い回しだと思っています。
こどもはその存在の中にかわりゆくものという特性が備わって
います。そのことの保障することなしに生活はなりたたないはず。
でも、Onの部分ではない。生活の中で、自由な中で何を保障し
ていくかは常に検討が必要でした。

時間を過ごす中でみえてきた姿は
①放課後の中でも集団や関係はできていく。
②生活を選び取る力はついていく。
③あわせて自己コントロールはみについていく。
ここでもやはり生まれてきたのは、おじさんおばさんスタッフ達
との豊かな関係性とみんなと暮らしでした。

雨後の筍のように乱立する放課後デイサービス。
まだ中身の議論には至っていないようです。
実はこのフィールドこそ発達支援の中ではとても難しい分野
だとこれまでの経験の中で私は感じています。
私たちはこのフィールドから引きますが、やがて放課後支援
のプロフェッショナルが生まれてほしいと願っています。
経験があるだけでなく、手立てや方向性を発達科学的に創
造し語れるヒトが。

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就学指導委員会

 あるまちの年度最後の就学指導委員会に出てきました。
かわってきたな、よかったなと思ったこと。

年度末、けっこう、むちゃくちゃな審議要求が学校から出て
きます。当日、差し込みもある。
学校の思いもわからなくはありませんが、ちょっと強引な方向
づけや本人、家族はどうなの?というのが見え隠れするケース
がありました。
なんとか新年度に間に合わせたい。


けれども、それをきちんと通さない審議ができたのです。
「検査がないよね?」
「診断がないよね?」
「IQが…?」
「移行先はそこではないのでは?」

現場の現実は知っています。
格闘や試行錯誤も知っています。

でも、いいようにしてはならない。
なんでもかんでもにしてはならない。

それ大事なのです。

 最近思うのは、特性や経過が多様な中で判断は慎重にし
なければならないと思うのです。
決め付けてはいけない。
本人と家族がどう選ぶかなのです。

相手の意志をくまずに決めてあげるのが支援ではない。
勝手によい方向に導くのが支援ではない。

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参加のできない過敏さ

 あるまちの学齢期の会議でのことです。
発達障害の通級指導教室のケースの話しをしていたのです。
吟味してみると、「通級」という判断もなかなか苦しいケースが
たくさんありました。

というのも、共通するのは「過敏すぎて参加ができていない。」
のです。

・みんなといることが苦痛で身体をこわばらせている。
・給食のにおいをかいだだけで吐き気をもよおしている。
・同一性保持がつよく、かたすぎる。
・多動性、衝動性、刺激への反応性が極端すぎる。

特別支援学級への学びの場の変更も考えていいケースかも
しれませんが、なにせ過敏すぎて基本参加ができていなかった
り、学校にも来にくい登校しぶり状態であったり、過敏すぎて小
集団でさえ難しい。
知的には悪くないので、校内の特別の場への抵抗感は小さく
ない。
というようなケースが少なくありません。
(このぐらい極端になってくると家族は十分理解受容していて
参加の場の模索に協力的です。)

この場合「通級」は
・登校できない場合の入り口の、刺激の少ない場の選択として。
・個別の、受容的な、対人関係の入り口としての大人との関係を
つくる場として。
・多動、衝動性の強い場合は刺激を低減させた学びの場として。
・同一性保持の強い場合には、変化の入り口として。
等「学習よりも参加の保障」が目標になってきます。

ただ、そんなヒトたちなので「通級」さえも参加しにくいのです。
参加できないのに「通級」とは何事かという議論も起こってしまう。

現実的な校内の場の工夫
家庭との連携や調整、介入
本人との関係構築
学校にこだわらない場の工夫
医療との連携

スクランブルで、包括的な対応が必要です。

あとは手だても…
ある「教室内での緊張感が強い」ケースには、呼吸のコントロール
や動作法などによる弛緩のトレーニングなどもいいのかなと
感じました。

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支援員はどこに向かうべきか?

 地域の支援を担当している方とお話。
ある余所の機関の担当の思いとして「支援員を専門家に!」
というのがあるのだけれど、それってどうなんだろう?という
議論をしました。

どう思いますか?

我々はそれって違うよねということになりました。
気持ちは分からないでもない。
でも、支援員さんを便利使いしてはいけない。
そもそも雇用の条件に適っていない。

というのも担任がすべきことが失われていく。
支援員さん任せになっていく。
すると、個はどんどん疎外されていく。
「○○ちゃんは△△先生がみてくれるから」になっていく。
よくあります。
担任を啓蒙していくこと、力をつけてもらうことは大変です。
でも、必要不可欠です。
教員のしがらみがあるから政治も必要ですよね。
面倒だけど。

一方、支援員という微妙なポジションは本当に難しいと思います。
こどもを理解し、クラスと授業と担任の状況をみながら参加を
サポートする。
実は高度なサポートを要する専門職です。

担任より支援員の方がこどもを支援するスキルが高いなんて
ことは山ほどあります。
求められることの難しさに自学をはじめて特別支援教育士等
の資格までとられる方も大勢います。
保健の先生と支援員さんがいつも支援のツボをおさえている。

でも、思うのです。
支援員さんは専門職として確立してはいけない。
あくまでも担任がユニバーサルデザインやインクルーシブを創造
すべき。
あくまでも担任がわかりやすい授業とよき参加をささえるクラスを
創造すべき。

「支援員の専門性を支えること」と「支援員を専門家に」は意味
が違います。きっと。

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反抗挑戦性がおさまってきた。

 この春のきづきです。
我が社の大物くん…反抗挑戦性の状態像を呈しています。
最近、大きく成長してきてちょっと丸くなってきました。

・待てるようになってきました。
・聞き入れることができるようになってきました。
・弱者に目がいくようになってきました。
・自己を対象化できるようになってきました。
 自分の弱さを語ることができるようになってきました。
・折り合いをつけて立ち直ることができるようになってきました。

1年生からの入所が高学年になりました。
この間、IQが20ほど伸びました。
最近は大人がABA的対応に徹してきました。
すなわち行動問題に着目しすぎず、ほめる支援をしていました。
トークンエコノミーも使います。
明確な要求や御褒美はわかりやすいです。
やっと彼の反抗挑戦性が課題ということが浸透しつつあります。
奪うよりも与える支援をしています。
空間や物の保障をしています。

そんなこんながようやく花開いています。
10歳の節目ということを思い出しました。
チャレンジの成果が出てきているのと、発達障害の彼が幼児期
に獲得できなかったことが今獲得できています。

発達保障とは、チャレンジであるとともに成熟を待つものである
ということが理解できてきました。

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